日帰り湯めぐり旅日記

いままで立ち寄った温泉・旅先の紹介をします。

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龍馬暗殺者は誰?

龍馬暗殺者は・・・

   今年の3月末に1回目の車検が来たときの走行距離は85000キロ、先日ガソリン
 
  スタンドに行って給油中にオイル点検しておきますか、と言われたので「お願いします」
 
  と応えた。
 
      「お客さん、そろそろオイル交換した方がいいですよ♪」
 
   そうか汚れてるのか、と思い朝一でオイル交換。もう少しで10万キロになりそう!
 
  オイル交換中に面白そうな歴史の本があったのでパラパラとめくっていると龍馬暗殺
 
  ことが書いてあった。
 
  もう少し読みたかったが「オイル交換完了しました〜♪」・・・ム〜!!
 
   龍馬は慶応3年(1867)11月15日の夜、京都四条河原町にある近江屋という
 
  醤油屋の2階で誰かに暗殺された。たまたまこの部屋に土佐藩出身の尊攘倒幕派の
 
  中岡慎太郎が訪ねてきていた。
 
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   8畳間の部屋にいたふたりに刺客が襲いかかり、ひとりは龍馬の額に、もう一人は
 
  中岡慎太郎の後頭部に切りつける・・・フ〜!
                      
    中岡慎太郎の目が素晴らしいですね♪ 右手は女性の手と書いてあります♪
 
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                                                ・・・写真はWikipediaより・・・
                      
   龍馬は暗殺される前年1月、寺田屋で役人に襲われている。
 
  誰なのでしょうね〜新選組、京都見廻組、紀州藩、薩摩・長州・・・!
 
   中岡慎太郎は二日間生き延びて襲撃の様子を土佐藩士の谷干城(たにたてき)に詳細を
 
  話しているという。
 
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                           ・・・写真はWikipediaより・・・
                       
   谷干城(たにたてき)を調べてみると、土佐藩士で軍人、政治家。第2代学習院院長となっている。
 
   「え〜、それでは初代の学習院院長はだれかな?」と調べると
 
   立花種恭 (たちばなたねゆき) 1877年 - 1884年 三池藩第8代藩主、子爵
 
   ・・・となっていた。
 
   「え〜、立花・・・聞いたことがある名前だな」と調べると福島県の梁川から川俣町に行く
 
   途中の月舘町にある下手渡藩の第3代藩主でした。九州から転勤させられたのですね。!
 
    この下手渡藩も調べ甲斐がありそうです♪
 
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     下手渡藩陣屋敷跡。
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岩手県立博物館

岩手県立博物館

   今日の仙台は雨模様、朝の練習も中止になったので鮎貝氏のことを探索に
 
   岩手県遠野方面へ東北自動車道を北上、雨が途中から強くなったので急遽
 
   予定を変更し盛岡にある岩手県立博物館に行ってみることにした。
 
    ひょっとしたら南部藩と伊達藩の境界争いに鮎貝氏がどこかで絡んでいる
 
   ことが書いてあるものはないか、と思いながら盛岡ICで高速を降りた。
 
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    NAVIが動作しないので「感」を頼りに行くことにした。
 
    とりあえず盛岡駅方面に向かわず、以前どこかで看板を見た記憶があるので
 
   なぜか高松方面に向かうと案内板発見♪ 
 
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いいですね、この住所♪
 
途中信号待ちでパチリ。
 
盛岡市内はあまり走りたくないですね〜、やはり川があるので渋滞しやすいのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    途中、国道4号線を北に向かいすぎてUターンしたがほぼ迷わず博物館到着。
 
   住所を見ると住宅地に松園と表示してあるので、作家の高橋克彦氏はこの周辺に
 
   住んでいるのかなと思いながら入場券を支払い中へ入ると恐竜が目に飛び込んで
 
   きた。
 
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  立派ですね、岩手県立博物館。
 
お初でしたね〜♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        この恐竜、でかいですね〜! あれ、振り向いてしまいましたね。ま〜、ボケているからいいか♪
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    入口を入ったところに売店があり「南部と伊達の境争い」・・・が売っていた
 
   ので即購入。 知らないことが分かるという事は楽しいものですね〜♪
 
 
       歴史博物館、子供達にに人気ですね〜♪
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     なぜか面白そうですが千円、貧乏人の私にはにはチョット痛い出費♪(笑)
    
   また昼飯は2時過ぎてしまい博物館近くの「山留」というところで遅いご飯を食べて帰宅でした。
 
       冷麺定食、900円でした。
 
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山形県白鷹町

白鷹町図書館へ

   宮城県内の市町村を訪ねていると、何故ここにこの人の足跡が残っているのかな?っと
 
   疑問を持つことがあります。
 
    今回、気仙沼に行った時になんで気仙沼に山形県白鷹町鮎貝の鮎貝氏が足跡を
 
   残しているのか気になったので白鷹町の図書館に行ってみた。
 
   (ファン登録させていただいているKeiさんから鮎貝氏の資料があることを教えていただいた
 
    アタマの回転が鈍ってきているのですぐに行かないと忘れてしまいそうと思ったので、
 
    野球の試合だったがピッチャーがもう一人来ていたので「用事ができた!」と言い残し
 
    山形県白鷹町図書館へ。
 
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     NAVIが今回の猛暑でダウンして「元気出せよ」と叱咤激励しようとナビ周辺部にショックを
 
    与えたがウンともスンとも云わずグロッキーモード。歴女が「あんだ、そんなにショック与えっと
 
    エアバッグ開くよ」っとクルマに詳しそうな事を云うが何キロ走ればオイル交換するなど全く
 
    知らないのに「中々云うな、おぬしは」と思う今日この頃である。(笑)
 
    蔵王ICを降りてから県民の森経由で畑谷を通って行こうと思ったが夕方の「反省会か祝勝会」
 
    に出ないとマズイので素直に長谷堂城前を経由して白鷹町到着。
 
     
                         図書館は白鷹町役場の敷地内にありました♪
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      市街地に入りスピードを緩めると白鷹町役場右折の看板発見!たぶん、図書館もその
 
    周辺にあるだろうと思って行ってみるとピンポイントで到着できた
 
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上手な書が多数展示してあります。
 
おふくろは上手な文字を見ると「拝むような字だなや〜♪」
とジ〜っと見入るのが趣味かも。
 
 
     
 
 
 
 
 
   蔵王ICで降りて長谷堂城方面へ!上杉、最上の合戦場なんて分からなかったですね〜!
 
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イメージ 5 長谷堂城の上には「天地人」の幟も猛暑でちょっと疲れているかも知れないですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    トンネルを抜けると朝日連峰の看板が・・・♪
 
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  走りながら撮ったのでちょっとボケてしまいました。
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   白鷹町は自然に囲まれていいですね〜、住んでみたくなりました。 また、図書館に行かないと♪


  鮎貝累代記ほか数冊、図書館で読ませてもらいました。
 
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会津若松と白虎隊

白虎隊と十六橋

  戊辰戦争の時、会津藩の主要な防衛拠点は越後側は津川、八十里越え。
 
  南は日光口と三斗小屋方面、東は磐梯熱海温泉方面から来る中山峠と
 
  御霊櫃峠。それに母成峠だが会津地方に行く時一番北端の峠で険しい
 
  山なのでまさか新政府軍が来ないだろうと、四・五百人の農兵や他国兵が
 
  守っていたところ三千人の薩摩軍などが来襲。
 
   ここを越されると会津若松はもうすぐ、と云うので必ず敵兵が渡る日橋川に
 
  架かる十六橋を破壊しよと駆り出された中に白虎隊士42人がいたのでしょうか。
 
   猪苗代湖から流れ出るところに十六橋があるため普通の木橋ではもたない
 
  と云うことで頑丈な「石橋」を造るため会津藩は一大土木工事をしていたことが
 
  この時だけは災いしたのですね〜。
 
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           ネットで調べると十六橋の古い写真があったので掲載させてもらいます・・・スミマセン。
 
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   会津藩が持っていた武器と薩摩藩などの武器の違いはやはり機能、性能の差が大きかった
   のでしょね、射程距離と単発、連発の違いでしょうか。
 
                戸の口原方面から撤退してきた白虎隊士は、この水門から飯盛山へ!
 
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    飯盛山。
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     飯盛山にある白虎隊士の墓。
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                    よく目にするイラストで白虎隊士自刃の様子ですね。・・・ム〜!
 
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             このイラストの場所がここなのですかね、↓
 
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    白虎隊や当時の会津藩の実情を調べると段々入り込んで行きそうなのでこの辺で会津の旅
  は終わりにします。   フ〜ッ・・・奥が深かったですね〜!
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   そして、鶴ヶ城が燃えていると勘違いして自刃するのですね〜
 

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会津若松神指城周辺

神指城跡(こうざしじょうあと)と高瀬の大木

  上杉家家老、直江兼続に詳しい福島在住の古文書解読、解説も手掛ける
 
  hiroさん(ファン登録させていただいている方)の記事を読んでから会津若松に
 
  ある築城半ばで廃城となった神指城跡に行ってみようと七日町から西に道なり
 
  に進んでみた。(今年の猛暑でクルマのNAVIが故障し動作しない・・・ム〜!)
 
   NAVIをクルマに設置する前は全国どこでも地図を頼りに、(助手席では歴女が
 
  地図をくるくる回さないと方向がどうも分からないようで、・・・回さないで見れ
 
  ないのかな?と疑問なのだが!)行けたのだが一度NAVIの恩恵を享受して
 
  しまうとどうにも不安になってしまう。
 
   西側の広々とした田んぼの中にこんもりとした木々が生えているところを見つけ
 
  たので行って見ると「神指城跡の解説板」発見!うろうろせずに済んでホッっと一息♪
 
    神指城跡。 ( 高瀬の大木方向から本丸予定地を撮りました)
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 神指城跡をクルマ1台通れる道があったので対向車が来ないようにと思いながら・・・!
 
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   神指城をなぜここに?と云う疑問解決の説明書きがありました。
 
イメージ 3景勝、兼続の構想は・・・
 
西側の門から大川(阿賀川)に出て日本海まで漕ぎだして諸国との貿易・・・
 
経済都市「会津若松構想」でした。
 
  なるほど、ですね〜!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        
     神指城説明書き。
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   神指城東角の高瀬の大木。
 
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クルマの左側に石垣の石が置いてありますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                         近くで見てもやっぱり大木でした。
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     このような説明書きも。
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     ちょっとびっくりした事!
  高瀬の大木の北側隣りに福昌寺がありました。大木を見た後、Uターンしたら何やら説明書きが
  あったので写真に撮ってみると金売り吉次の弟、吉六が溺死したという伝説があり吉六の冥福を
  祈って建立したのが高瀬観音堂・・・ム〜?!!
 
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イメージ 9  クルマを止める所がないので塀越しにパチリ
 
金売り吉次の弟が溺死と書いてあるが、白河にある吉次三兄弟のお墓は何なのでしょうね〜?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    白河市指定重要文化財(史跡) (伝)金売吉次兄弟の墓の中に「吉六」と書いてある。
    両方とも云い伝えなのでしょうか。
 
 
     この日の磐梯山はこの様に見えました。 常夏の会津若松でした。
     稲は順調に育っているように見えますが、この猛暑で作況指数はどうなのでしょう。
 
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   神指城跡は↓です。
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