龍馬暗殺者は・・・
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歴史
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温泉への行き帰りに立ち寄った遺跡。
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白虎隊と十六橋 戊辰戦争の時、会津藩の主要な防衛拠点は越後側は津川、八十里越え。
南は日光口と三斗小屋方面、東は磐梯熱海温泉方面から来る中山峠と
御霊櫃峠。それに母成峠だが会津地方に行く時一番北端の峠で険しい
山なのでまさか新政府軍が来ないだろうと、四・五百人の農兵や他国兵が
守っていたところ三千人の薩摩軍などが来襲。
ここを越されると会津若松はもうすぐ、と云うので必ず敵兵が渡る日橋川に
架かる十六橋を破壊しよと駆り出された中に白虎隊士42人がいたのでしょうか。
猪苗代湖から流れ出るところに十六橋があるため普通の木橋ではもたない
と云うことで頑丈な「石橋」を造るため会津藩は一大土木工事をしていたことが
この時だけは災いしたのですね〜。
ネットで調べると十六橋の古い写真があったので掲載させてもらいます・・・スミマセン。
会津藩が持っていた武器と薩摩藩などの武器の違いはやはり機能、性能の差が大きかった
のでしょね、射程距離と単発、連発の違いでしょうか。
戸の口原方面から撤退してきた白虎隊士は、この水門から飯盛山へ!
飯盛山。
飯盛山にある白虎隊士の墓。
よく目にするイラストで白虎隊士自刃の様子ですね。・・・ム〜!
このイラストの場所がここなのですかね、↓
白虎隊や当時の会津藩の実情を調べると段々入り込んで行きそうなのでこの辺で会津の旅
は終わりにします。 フ〜ッ・・・奥が深かったですね〜!
そして、鶴ヶ城が燃えていると勘違いして自刃するのですね〜
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神指城跡(こうざしじょうあと)と高瀬の大木 上杉家家老、直江兼続に詳しい福島在住の古文書解読、解説も手掛ける
hiroさん(ファン登録させていただいている方)の記事を読んでから会津若松に
ある築城半ばで廃城となった神指城跡に行ってみようと七日町から西に道なり
に進んでみた。(今年の猛暑でクルマのNAVIが故障し動作しない・・・ム〜!)
NAVIをクルマに設置する前は全国どこでも地図を頼りに、(助手席では歴女が
地図をくるくる回さないと方向がどうも分からないようで、・・・回さないで見れ
ないのかな?と疑問なのだが!)行けたのだが一度NAVIの恩恵を享受して
しまうとどうにも不安になってしまう。
西側の広々とした田んぼの中にこんもりとした木々が生えているところを見つけ
たので行って見ると「神指城跡の解説板」発見!うろうろせずに済んでホッっと一息♪
神指城跡。 ( 高瀬の大木方向から本丸予定地を撮りました)
神指城跡をクルマ1台通れる道があったので対向車が来ないようにと思いながら・・・!
神指城をなぜここに?と云う疑問解決の説明書きがありました。
西側の門から大川(阿賀川)に出て日本海まで漕ぎだして諸国との貿易・・・
経済都市「会津若松構想」でした。
なるほど、ですね〜!
神指城説明書き。
神指城東角の高瀬の大木。
クルマの左側に石垣の石が置いてありますね。
近くで見てもやっぱり大木でした。
このような説明書きも。
ちょっとびっくりした事!
高瀬の大木の北側隣りに福昌寺がありました。大木を見た後、Uターンしたら何やら説明書きが
あったので写真に撮ってみると金売り吉次の弟、吉六が溺死したという伝説があり吉六の冥福を
祈って建立したのが高瀬観音堂・・・ム〜?!!
金売り吉次の弟が溺死と書いてあるが、白河にある吉次三兄弟のお墓は何なのでしょうね〜?
白河市指定重要文化財(史跡) (伝)金売吉次兄弟の墓の中に「吉六」と書いてある。
両方とも云い伝えなのでしょうか。
この日の磐梯山はこの様に見えました。 常夏の会津若松でした。
稲は順調に育っているように見えますが、この猛暑で作況指数はどうなのでしょう。
神指城跡は↓です。
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