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【村田春樹】日本の敗戦以後、暴虐の限りを尽くした?三国人の真実の歴史




SakuraSoTV チャンネル桜 さくらじ#128 2014年3月21日
【古谷経衡】さくらじ#128 村田春樹の語る「戦後日本と朝鮮人」【saya】 より抜粋

出演:古谷経衡、saya、村田春樹
皇紀2674年3月7日収録

完全版はこちら ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=JJ7Gw...

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/


在日韓国・朝鮮人の事件年表   

この記事は在日韓国・朝鮮人事件年表である。

-1944年

1945-1955年

  • 1945年(昭和20年)
    • 8月30日 名古屋少年匕首殺害事件、路上で少年3人が脅迫されて金銭を奪われ、匕首で切り付けられて1人死亡、1人負傷、犯人は拘置所から脱獄、韓国に逃亡
    • 10月22日 大阿仁村事件、秋田県の栗林に侵入し村人と乱闘
    • 12月
      • 24日 生田警察署襲撃事件(第1回)拳銃強盗事件にからんで50名を超える朝鮮人の暴徒が襲撃、連合国軍が暴動を鎮圧
      • 29日 直江津駅リンチ殺人事件、朝鮮人3人組が列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとし、それを阻んだ乗客にパイプやスコップ等で集団暴行し殺害、朝鮮人3人組は逮捕されたが程なく逃走
  • 1946年(昭和21年)
  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)
  • 1949年(昭和24年)
    • 1月25日 - 益田事件、密輸の摘発を巡って約200名が警察署に押しかけ、警察官と乱闘、48名検挙
    • 4月
      • 6-13日 - 枝川事件、窃盗犯を逮捕しようとした警察と衝突
      • 7-11日 - 高田ドブロク事件、新潟県で密造酒の取締りで朝鮮人が警察と対立、12人検挙
    • 6月
      • 2日 - 本郷事件、福井県で朝鮮人地区の地図作成に抗議し朝鮮人70人が派出所を占拠し警官に暴行
      • 30日 - 平事件、福島県平市の警察署に乱入し占拠、警官に暴行、231人を騒擾罪で検挙
    • 7月 塩釜事件、朝連と民団の構想を巡って警察とも紛争
    • 8月19-20日 - 下関事件 (騒乱)、朝連と民団が乱闘、構成員の自宅を襲撃、略奪
    • 9月
  • 1950年(昭和25年)
    • 3月20日 - 台東会館事件在日本朝鮮人連盟が「暴力主義的団体」として解散を命じられ、台東支部があった台東会館を接収しようとしたが、妨害を受け朝鮮人119人検挙
    • 8月15日 - 連島町事件、岡山県で約700名の朝鮮人が集会を強行し警察と乱闘、警官15名負傷、8名検挙
    • 11月20-27日 - 長田区役所襲撃事件、朝鮮人が税免除などを要求して区役所を襲撃、20日30人逮捕、24日26人逮捕、27日179人逮捕
    • 12月1日 - 大津地方検察庁襲撃事件、勾留中の同志の釈放を要求し検察庁に突入、暴徒化、43人逮捕
  • 1951年(昭和26年)
    • 1月23日 - 四日市事件、朝連四日市支部接収の妨害、暴動、15名検挙
    • 3月
    • 6月13日 - 神奈川朝鮮人学校事件、朝鮮人学校の運動会をきっかけに横浜駅前で500人が暴動、28人検挙
    • 10月
      • 18日 - 日野事件、滋賀県で違法デモ隊が警官隊に襲い掛かり拳銃を奪う、20人検挙
      • 22日 - 下里村役場集団恐喝事件、兵庫県で朝鮮人約200名が村役場に押しかけ暴行脅迫恐喝、15名検挙
    • 11月21日 - 福岡事件
    • 12月
      • 1日 - 東成警察署襲撃事件、泥酔し保護された男性が死亡した事を、警官のリンチ殺人だとデマを流し、署内に突入しようとして3人逮捕
      • 3日 - 半田・一宮事件
      • 16日 - 親子爆弾事件、大阪で事故死した朝鮮人の慰霊祭をきっかけに、クラスター爆弾の工場を襲撃、集団暴行
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月
      • 21日-23日 - 木造地区警察署襲撃事件、青森県で傷害容疑で朝鮮人2名を逮捕した事に対し即時釈放を要求し警察署襲撃
      • 28日 - 姫路事件
    • 3月
      • 多奈川町事件、大阪で密造酒の取締りで朝鮮人が警察と対立、27名逮捕
      • 1日 - 八坂神社事件
      • 13日 - 宇治事件
    • 4月
      • 24日〜5月30日 - 岡山事件阪神教育事件の記念日である4月24日に朝鮮人約200名が岡山市役所へ岡山市公安条例に違反する無届デモを敢行し岡山市警が制止しようとしたところ、旗ザオに見せかけた竹槍で警察官2名を刺したうえにプロムアセトン催涙ガス)入りの瓶を投げつけたり投石したため乱闘になり8名を検挙した。
    • 5月
      • 1日 - 血のメーデー事件、皇居外苑で警察部隊と衝突
      • 8日 - 上郡事件
      • 13日 - 広島地裁被疑者奪回事件、閉廷直前に傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、放火の被疑者朝鮮人4人を奪還
      • 25-26日 - 高田事件 (法学)、名古屋各所で同時多発事件、派出所や米軍宿舎などに火炎瓶を投げ込む
      • 25日-30日 - 桜井町事件、奈良県で暴行傷害で逮捕された朝鮮人の即時釈放を要求して警察と衝突
      • 30日 - 大梶南事件、仙台で民団系と民戦系が抗争
      • 31日 - 奈良警察官宅襲撃事件、巡査の自宅に約10名の朝鮮人が覆面姿で押しかけ、父親を暴行し意識不明の重体にして窓ガラスや障子を破壊して逃走
    • 6月
      • 5日 - 万来町事件、山口県で、派出所を襲撃、工場に乱入
      • 10日 - 島津三条工場事件、京都で祖国防衛隊 (在日朝鮮人団体)約50人が工場に押しかけアジ演説、警察が逮捕して護送中にパトカーに火炎瓶を投げ込む
      • 13日 - 醒井事件、滋賀県で民団系と民戦系の対立を巡って、被疑者の逮捕を妨害して大乱闘
      • 24 - 葺合・長田事件
      • 24-25日 - 吹田事件、デモ隊が火炎瓶や石を投げて暴徒化、111人が騒擾罪で起訴
      • 24-25日 - 枚方事件、工場を時限爆弾で爆破、人違いで火炎瓶で一般家屋に放火、98人検挙
    • 7月
    • 11月
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月19日 - 別府市警察署事件、逮捕された男性の死亡をリンチ殺人だと決め付け警官隊と衝突
  • 1955年(昭和30年)

1956年-


朝鮮進駐軍とは

※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。
在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
イメージ

転載元転載元: 文字の知恵

朝鮮進駐軍とは

※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。
在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。
イメージ

転載元転載元: おばぁーのゆんたくひんたく






2016/04/01 に公開
『朝鮮進駐軍』とは戦後直後に、集団や少人数の愚連隊や個人として日本各地で暴れ回った在日朝鮮人達を総称した呼称です。 彼等は、戦争で焼け野原に成った主要都市の一等地を日本人から奪い、裕福な家に押し入って強盗を働き、農家の作物や牧場の家畜を略奪して闇市で売りさばき、昼日中から女性を強姦し、自分達の意向に逆らったり気に食わない日本人を殺害し、捕まった仲間を取り戻すために警察署を襲ったりするなどの数々の犯罪を働きました。 この動画は、それらの『朝鮮進駐軍』による犯罪の内の十人以上による「集団犯罪」についての情報をまとめたものです。

 街宣・チラシ作成・生放送に役立つように、下記のURLで、この動画や動画の音声、そしてこの動画で使用しているテキスト(文章)をダウンロードきるようにしています(Wordで開く事ができます)。また、テキスト(文章)はPDFでも表示できますので、印刷の際に使ってください。
http://detox-nippon.jp/index.html )←朝鮮進駐群の集団犯罪リストのページのURLです。移動できない時は、detox-nippon.jp/ も試してください。


首相官邸デモ事件

首相官邸デモ事件(しゅしょうかんていデモじけん)とは、1946年(昭和21年)12月20日東京都麹町区(現・千代田区)で発生した在日朝鮮人による暴動である。

  •  

    事件の発端

    1946年(昭和21年)11月10日に、在日朝鮮人は在日朝鮮人生活権擁護委員会を結成し、朝鮮人に対する生活物資の優先配給を行政機関に要求していた。そして、同年12月20日皇居前広場で「朝鮮人生活権擁護全国大会」を開催した。

    事件の概要

    1946年(昭和21年)12月20日の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。
    午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。
    午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。
    この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた。

    その後の顛末

    警察は、「在日朝鮮人生活権擁護委員会」の委員長ら10人を、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕、身柄を米軍東京憲兵司令部に送致した。
    米軍東京憲兵司令部は、彼らを軍事裁判にかけ、12月26日に全員有罪の判決を下した。翌年3月8日に国外追放処分となった。

    参考文献

    • 警視庁史(第4)』(警視庁史編さん委員会編 1978年)
    • 日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』(李瑜煥 1980年)

    関連項目






    
    

    (皇居前)人民広場事件(じんみんひろばじけん)


    1950年(昭和25年)5月30日日本共産党を支持するデモ隊と占領軍が東京の皇居前広場で衝突した事件。占領軍と大衆行動との最初の衝突事件とされる。
    なお、「人民広場」とは、戦後に共産党などの国体に反対する勢力「皇居前広場」に対して付けた名称である。1950年(昭和25年)5月3日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)のダグラス・マッカーサー総司令官は共産主義陣営による日本侵略の恐れを警告し、更に日本共産党がそれに協力していると非難、場合によっては同党の非合法化も検討しているとする趣旨の声明を出した。これは第2回参議院議員通常選挙(6月4日)を1ヶ月後に控えた時点での発言であり、共産党は強く反発した。
     5月30日民主民族戦線東京準備会共産党の指導のもとで皇居前広場(人民広場)で5万人規模(主催者発表)の人民決起大会を開催した。だが、その時に私服警官が集会に紛れ込んでいたのを追及したのを機に警備をしていた占領軍との小競り合いに発展、民主青年団東京都委員長ら8名の労働者学生が逮捕された。6月1日に共産党はこれは反対派の学生による投石による挑発を受けたものであるとし、集会参加者の逮捕は4日の参議院選挙に対する妨害行為であるとのGHQ批判を行う。
     翌日、警視庁は都内での集会・デモの禁止措置を発令、更に3日には占領軍の軍事裁判にて逮捕者に重労働10年などの有罪判決が下された。なお、4日に行われた第2回参議院議員通常選挙では共産党は改選議席である2議席を引き続き確保している。6月6日、GHQと政府は日本共産党中央委員会委員24名の公職追放と機関紙『アカハタ』の発行禁止命令を出し、レッドパージが本格化することになる。
    http://nanyo.club/wp-content/uploads/2016/05/koukyomae.jpg

    首相官邸デモ事件

       
    首相官邸デモ事件(しゅしょうかんていデモじけん)とは、1946年(昭和21年)12月20日東京都麹町区(現・千代田区)で発生した在日朝鮮人による暴動である。

    事件の発端

    1946年(昭和21年)11月10日に、在日朝鮮人は在日朝鮮人生活権擁護委員会を結成し、朝鮮人に対する生活物資の優先配給を行政機関に要求していた。そして、同年12月20日皇居前広場で「朝鮮人生活権擁護全国大会」を開催した。

    事件の概要

    1946年(昭和21年)12月20日の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。
    午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。
    午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。
    この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた。

    その後の顛末

    警察は、「在日朝鮮人生活権擁護委員会」の委員長ら10人を、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕、身柄を米軍東京憲兵司令部に送致した。
    米軍東京憲兵司令部は、彼らを軍事裁判にかけ、12月26日に全員有罪の判決を下した。翌年3月8日に国外追放処分となった。

    参考文献

    • 警視庁史(第4)』(警視庁史編さん委員会編 1978年)
    • 日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』(李瑜煥 1980年)

    関連項目

    転載元転載元: 国益平和環境安全マネジメントって?


    【KSM】朝鮮進駐軍 在日朝鮮・韓国人の犯罪 新潟 坂町事件(警察官襲撃)・新潟日報社襲撃事件(昭和21年9月)



    坂町事件

       
    坂町事件(さかまちじけん)とは、1946年(昭和21年)9月22日に、新潟県岩船郡保内村(現・村上市)で発生した事件。

    事件の発端

    終戦直後より在日朝鮮人在日中国人は、取締権限の不明確さに乗じて公然と日本の法律を無視し、食糧管理法に反するヤミ米の流通・販売などの経済統制違反を繰り返していた。
    新潟県北部では、在日本朝鮮人連盟新発田市に事務所を置き、羽越本線坂町駅を中継基地として、ヤミ米を関西方面に出荷していた。当時、1日あたり50俵が坂町駅を経由したといわれている。

    事件の概要

    1946年9月22日午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。
    この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。
    金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。
    その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。
    軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された。

    その後の顛末

    検挙された12人は新潟軍政部に移され、取り調べを受けたが、新潟県外への追放とヤミ米の買出しをしない旨の誓約書提出だけで全員釈放された。またこの事件を報じた報道機関が、朝鮮人に破壊活動を受ける新潟日報社襲撃事件へと発展した。

    参考文献

    • 『在日朝鮮人運動(実務教養選書)』(篠崎平治 1955年)
    • 『新潟県警察史』(新潟県警察史編さん委員会 1959年)

    関連項目


    新潟日報社襲撃事件

       
    新潟日報社襲撃事件
    新潟日報社襲撃事件(にいがたにっぽうしゃしゅうげきじけん)とは、1946年昭和21年)9月29日新潟県新潟市で発生した朝鮮人16名による暴力事件。

    事件の発端

    1946年9月23日付の新潟日報夕刊は、「MPも出動、坂町で深夜の乱闘」と題して、朝鮮人や在日中国人が新潟県岩船郡保内村(現・村上市)内で起こした坂町事件の記事を掲載した。読売新聞も事件を報じた。

    事件の概要

    1946年9月26日、在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。
    その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。
    9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。
    新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した。

    その後の顛末

    最終的に9人が起訴され、裁判の結果、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反と業務妨害罪で有罪の判決が下った。

    参考文献

    • 在日朝鮮人運動(実務教養選書)』(篠崎平治 1955年)
    • 新潟県警察史』(新潟県警察史編さん委員会 1959年)

    関連項目

    終戦後の在日朝鮮人について
    「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)にて、当時の総理大臣である吉田茂は戦後の在日朝鮮人に対して以下の見解を出している。
    ・彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国。
    すべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待する。
    その理由は次の通り。
    ・現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能。 
    ・大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献していない。
    さらに悪いことには、朝鮮人の中で 犯罪分子が大きな割合を占めている。
    彼らは日本の経済法令の常習的違反者 であります。多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態である。

    1981年8月には、『朝日新聞記者の証言5』(朝日ソノラマ)の「第三国人の独壇場」の章に
    彼らの一部には、治外法権があるかのような優越感をいだかせ、社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、売春、強・窃盗、土地建物の不法占拠などの不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大した。

    転載元転載元: 世界は仲良く

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