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錦通から高瀬川に沿う木屋町通を歩いて幕末の遺跡を散策しました!
 【薩摩藩邸跡−京都大丸百貨店(錦小路通・東洞院通)】
 京都にある薩摩藩邸のなかで最初に造られたのが大丸百貨店京都店の界隈・東洞院錦エリア。江戸時代の諸国大名は江戸とともに京都の市中にも藩の出先機関である藩邸があり、江戸時代に多数出版された「京絵図」にも藩邸が記されています。この界隈が18世紀の初頭から約160年間薩摩守(島津氏)の京屋敷となり、烏丸今出川の同志社大学エリアも薩摩藩邸跡として残っていますが、東洞院錦の薩摩藩邸はそれよりも先にありました。
 この薩摩藩邸の印象は薄いようですが1864年8月に坂本龍馬は勝海舟の紹介で西郷隆盛と初めて会った場所と言われ、重要な場所になっています。 

京都大丸百貨店錦小路通出口・薩摩藩邸
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 −東洞院通(ひがしのとういんどおり)−
 “洞院(とういん)”とは上皇・法皇の居所を意味し、この通りは“東洞院通”と名前の通り天皇のお住まいがありました。東洞院通は北進する北向き一方通行。この道が一方通に規制された日本最初の道だそうです。

 −錦小路通(にしきこうじどうり)・錦市場−
 錦小路通と言えば“京都の台所”で有名な錦市場がある通です。錦市場は高倉通から新京極通まで続く約400メートル・130軒の店が軒を並べ、市場として400年の歴史を持つ別格の商店街です。錦小路の地下は豊富な地下水があり、一年を通してほぼ同じ温度で冷たい水があるので冷蔵庫の無い時代、新鮮な物を扱う場所として適した土地で発展したと思われます。今も地下水を利用しておられる店もあるようです。
 錦市場の歴史は古くは平安時代にさかのぼりますが、魚問屋とし幕府から称号、許可を得たのは1615年の江戸時代になります。昭和2年に京都中央卸売市場ができたのを境に鮮魚店、青物屋、漬物店、和菓子屋、乾物屋などのお店が連なる現在の錦市場の姿になりました。東京の築地市場は京都中央卸売場開設の8年後に作られたそうです。東京よりも古いのですね。 

アーケードがカラフルな錦市場
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 錦市場・高倉通の入口は、琳派の絵師・伊藤若冲の生家(青物問屋)がありました。錦市場では昨年より伊藤若冲生誕300年を記念して市場内で若冲の絵画を店のシャッターにプリントしたり垂れ幕などに若冲の絵画を描いたり錦市場をよりいっそう鮮やかに演出しています。 

伊藤若冲生家
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 −錦天満宮−
 高倉通から錦小路通を歩き進んで行くと新京極通に突き当たり錦天満宮が鎮座しています。起源は999年、源融ゆかりの六条河原にあった歓喜寺(かんきじ)の鎮守社として菅原道真の霊を祀り建てられました。豊臣秀吉の都市計画により現在の地・錦小路通に移転。その後、明治の神仏分離令により、歓喜寺は東山に移転し、神社のみ現在の錦天満宮の境内に残りました。神社の名前は“錦小路東端”の地名にちなみ、神社は道真公がお祀りされていることから学問の神様として信仰を集めています。 
菅原道真公ゆかりの錦天満宮
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 道真公ゆかりの神社にはたいてい牛の像があります。錦天満宮にも牛の像があり頭を撫でると賢くなるということからたくさんの人が撫でて牛の頭は少しテカっています(笑)。道真公は丑年ともいわれ牛にまつわる伝説が多く残ります。
道真公はライバルの藤原時平の陰謀により大宰府へ左遷される道中、刺客から襲われそうになった道真を牛が命を救ったという言い伝えが残り、また道真公が左遷されて二年後に亡くなり亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かず、これは道真公の御心であるとしてその地に亡骸を埋葬。後にそこへ社殿が建立され現在の太宰府天満宮にいたるのだそうです。道真公の歴史になにかと出てくる「牛」。境内でも神様の使いの牛として鎮座していますが、決して四本足で立つ牛の姿ではなく、伏しているのは伝説の“伏して動かなくなった”という姿からきているのでしょうか。伝説を知って興味深くなりました。
境内ではやはり地下水が湧き出て日本の百名水に選ばれています。天満宮の鳥居は錦小路通を跨ぐように神社の前に建てられていますが、後からできた鳥居の左右のお店の二階室内に鳥居の左右先端が入り込んでいるのが有名。また、境内にあるからくりみくじは、エンジニアの経験をお持ちの宮司さんが考案されたものです。名水、珍鳥居、からくりみくじと歴史もさることながら魅力が豊富な神社で、小さくてもあなどるなかれと鎮座して見えます。 

京の名水
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両脇の建物にめり込む錦天満宮の鳥居
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錦天満宮のからくりみくじ
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−新京極通−
 錦天満宮の前を南北に延びる新京極通界隈は誓願寺の門前町です。明治維新で天皇が東京へ遷都されたとき、京都の町は閑散として衰退の一途だったそうです。これを嘆いた当時の京都府参事の槇村正直は京都の活気を取り戻すために、豊臣秀吉の都市計画(寺院を寺町通に集めたことにより、各寺院の縁日などで周辺はにぎわい見世物や催し物が発展したことに注目)にならい、明治10年(1877)頃に、芝居小屋、寄席、興行場、飲食店などの店舗立ち並ぶ新京極通を作りました。計画が成功し明治30年代には東京の浅草、大阪の千日前とともに日本の三大盛り場として知られるようになったそうです。今も日本のみならず世界の国の観光客で賑わっています。 
観光客で賑わう新京極通
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【近江屋事件−坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地】
−称名寺(裏寺町蛸薬師)−
 新京極通から離れて東へ行くと「裏寺町通」があります。新京極通の一本西に「寺町通」があってその通の裏(後ろ)にあることから“裏寺町通”と呼ばれるようになったとか。通りの名前のとおり、この通りにもたくさんのお寺が連なり、裏寺町通の蛸薬師通を南へ下がった東側に「称名寺」という幕末ゆかりのお寺があります。そのお寺の奥と坂本龍馬が仮住まいした近江屋(醤油屋)の裏側の蔵とがつながっていて、何かあれば龍馬はすぐにこのお寺へ逃げることができるようになっていました。しかし、実際には逃げることはできませんでした。 
裏寺町通
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裏寺町通にある称名寺
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 坂本龍馬は近江屋の蔵にいましたが風邪でたまたま座敷の間に寝ておりそこへ中岡慎太郎が訪ね話し合っていたところ、十津川郷士を名乗る客人が訪れ、龍馬の用心棒・元力士の山田藤吉が龍馬へ会せようとする後ろから斬りつけられました。その物音で龍馬が“どうしたのか騒ぐな”という言葉を土佐弁で「ほたえな!」と言ったために刺客に龍馬のいる部屋がわかり暗殺されたのだそうです。
たらればではありますが、もし龍馬が風邪をひかず座敷ではなく奥の蔵にいれば、称名寺に逃げ込み刺客から逃れたかもしれないなと、後にこの遭難の地・近江屋跡地を訪ねるファンの人々は少なからず思っておられるのではないでしょうか。
 
−近江屋(河原町蛸薬師)−
 坂本龍馬、中岡慎太郎遭難地・近江屋は河原町通に面して、今は「かっぱ」という回転寿司屋さんになっています。坂本龍馬が暗殺されたのは11月15日(1867年)で不思議なことに誕生日と同じ日に亡くなっているのだそうです。このお店の前に「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地」と石碑と駒札がありますが、その場所がまさしく切りつけられた殺害現場になります。昔は河原町通の南行きと北行きの道路(道路幅分)いっぱいに建物が建っていたそうですから、南側の石碑が建っているところが近江屋の蔵に位置したそうです。江戸時代の河原町通りは今とは反対に住居が広く道幅が狭かったのですね。 

近江屋・坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地
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今は回転寿司屋さんになっている
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−中岡慎太郎寓居−
 坂本龍馬の同志である三歳年下の土佐藩主・中岡慎太郎は近江屋の斜め向かいの家に住んでいました。今は「抹茶館」という抹茶ティラミスで行列ができるスイーツのお店になっています。 
中岡慎太郎寓居跡・今はスイーツの店に
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【高瀬川・木屋町通】
−本間精一郎(木屋町紙屋橋付近)−
 幕末の志士たちの活動を語るとき外してはならないのがやはり各藩邸や寓居が密集していた木屋町の四条通から二条通間とそれに沿って流れる高瀬川界隈です。よく見て歩くと石碑や駒札が建てられています。
 木屋町紙屋橋付近に本間精一郎遭難の地ということで駒札が建てられています。本間精一郎は新潟出身で文武両道に秀でた人物でした。豊かな家柄から江戸で遊学し京都に上がり尊王攘夷活動に身を投じましたが、特定の藩に属さない自由な行動で遊説をしていました。しかし、寺田屋事件を機にそんな本間瀬一郎の活動をよく思わない薩摩藩士、土佐藩士から、待ち伏せされ惨殺されました。

 本間精一郎・遭難の地
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−高瀬川(木屋町通の二条通から四条通)−
 木屋町と平行に流れる高瀬川は1611年に角倉了以によって物流を目的として開削された運河で、伏見まで約10㎞の長さを有します。高瀬川は鴨川(みそそぎ川)から水を引き入れ、水深は約10㎝程度と浅いため底が平らな高瀬舟と呼ばれる小舟が行き交いました。高瀬舟が行き交うことから高瀬川と名付けられたそうです。 
高瀬川
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高瀬川の特徴は細長い川幅で、荷物の積み下ろしや方向転換をするための「船入」という場所をところどころに設けています。二条通から四条通の間に九つ(現在は、史跡指定されている「一之船入」のみ現存)ほどの船入があり船入を中心に高瀬川に沿って藩邸がありました。また木屋町通は名前の由来どおり川から重要な木材などが頻繁に運ばれたことから木材屋が多く存在したそうです。 

一之船入
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一之船入だけ現存
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三条通付近はとくに東海道五十三次の始終点地でもあったため人や物資がたくさん集まり、勤王や幕藩思想を持つ人も集まり潜む格好の場所になったにちがいありません。日本各地の人々が行き交う中で言葉のなまりや出身を気にせず活動ができた場所でもありました。 

−土佐藩邸・岬神社・土佐稲荷(蛸薬師通木屋町)−
高瀬川の七之船入には土佐藩邸がありました。土佐藩は薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、と並んで幕末政局の主導権を握った雄藩で、武市瑞山(ずいざん)、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎らの志士が活躍しました。 

七之船入あたり
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土佐藩邸跡
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土佐藩邸は河原町あたりまで広がる大きな敷地だったそうですが、藩邸の中には岬神社があったそうです。岬神社は室町時代初期、鴨川の中州の岬(突端)に祠を建てたのが始まりでその後幾度となく移転し、江戸時代初期にはこの土佐藩邸の京都屋敷内移されました。岬神社は一般にお稲荷さんの愛称で親しまれ信仰を集めていたため、土佐藩邸内でありながら一般の人の参拝を受け入れ、通路まで確保して通称「土佐稲荷」と呼ばれたそうです。明治維新で土佐藩邸が売却されるとともに1913年に氏子たちによって現在の社殿が建立されました。 

岬神社
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岬神社境内に坂本龍馬像あり
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【酢屋・龍馬通】
 木屋町通を北に上がり龍馬通を西へ入ると坂本龍馬の寓居であった酢屋があります。酢屋は当時高瀬川五の船入りで上げ下ろしされた木材の商い営み今も続く290年の老舗です。
 
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1867年6月酢屋は、店主6代目酢屋嘉兵衛の理解から建物二階表西側の部屋が龍馬の住まいとなり龍馬が結成した海援隊の京都本部にもなりました。二階の住まいから五の船入りにむかってピストルの試し打ちをしたというエピソードが残っています。その後、近辺に新撰組や見廻りの情報が入るようになり、11月には近江屋へ転居することになりました。転居先の近江屋ですぐに遭難にあうとは誰が予想できたでしょうか?
坂本龍馬寓居石碑
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坂本龍馬の酢屋二階の部屋
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【池田屋跡・池田屋事件】
 酢屋を後にして三条通に出ると池田屋事件の跡地があります。今はその歴史のごとく「池田屋」という名の居酒屋さんが建ち人気のお店になっています。お店に入ると「御用改めである。手向かいすると容赦なく斬り捨てる」といったセリフが飛び込み面白いお店です。
池田屋事件は1864年7月8日に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件です。当初は公武合体派が主流となっていたため尊王攘夷派の勢力挽回のもくろみを阻止するため新撰組を用いて京都市内の警備を行わせていた。
そんな中御所に火を放ち、孝明天皇を長州に連れ出すという策略情報を新撰組がキャッチして尊王の志士を支援していた炭薪商の古高俊太郎を捕らえ拷問により自白させた。策略の会合が池田屋において行われることを突き止めた新撰組は襲撃をかけました。この襲撃で尊王派の策略は成功せず、この池田屋事件で新撰組の名を広めたのだそうです。

池田屋事件石碑
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池田屋の名前の居酒屋
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今は美味しい物で会合
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このほかにももっと幕末の石碑や史跡が残りますが、今回はこの辺でストップします。歴史の中でも幕末はあまり知らないのでゆっくり勉強していきたいと思います。






「京都の歴史・神社仏閣」書庫の記事一覧

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ファミマの前の歩道に池田屋跡の金色のプレート有りますね。

2017/5/10(水) 午前 7:06 マコ

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マコさんコメントありがとうございます。
知りませんでした。また見に行きます。

2017/5/10(水) 午後 6:35 [ mam*n*1965 ]


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