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かつて音を立てて洪水を知らせた伝説の鳴滝を探しながら、桜の季節の御室仁和寺から出発しました。今は梅雨ですが、桜の日の散策を思い出してブログにアップしました。
【仁和寺界隈】
仁和寺のエリアは造園家が多く桜がたくさん植えられていますが、遅咲きの桜の名所としても知られている仁和寺は、888年宇多天皇が、父・光孝天皇の遺志を継いで造られたお寺です。天皇はふつう譲位後上皇になりますが、宇多天皇は仏道に熱かったことから出家(899年)してしまいます。東寺で受戒しお寺に入られたのち法皇になって仁和寺に住まわれたので仁和寺は「御室御所」とも呼ばれました。仁和寺は天皇が出家して入る門跡寺院最初のお寺となりました。

ノスタルジックな御室仁和寺駅舎
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桜の花と電車
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 仁和寺は当時、広沢の池まで境内だったそうですが、応仁の乱で戦場となり境内は縮小。檀家もなくなり長く復興されませんでしたが、江戸時代(1624年〜1644年)に入り徳川幕府が優先的に仁和寺を援助して復興されました。徳川家光は御所内裏の紫宸殿(1613年造営)を移築して金堂を作り、このほか内裏の遺構(御所の古材や移築)で御影堂と本坊表門などが作られています。仁和寺は御所の要素を持つ御所風の寺と言っても過言ではありません。仁和寺の宝物館では888年創建時の仏像として国宝・阿弥陀三尊像が春と秋に一般公開されています。仁和寺エリアには天皇陵も多く存在し、さまざまな歴史が残ります。

仁和寺
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仁和寺境内へ
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 仁和寺は少し高台にあるので入口の三門からは双ヶ丘の山が見えます。双ヶ丘は三つの丘(北から一の丘、二の丘、三の丘)が並んで、歴史が深く古墳群があります。鎌倉時代から南北朝時代に活躍し、徒然草を書いたことで有名な吉田兼好(吉田神社の社家の卜部家に生まれ、後二条天皇に仕えて出家)が晩年に住んだ場所が二の丘です。徒然草にはよく仁和寺が登場します。

三つの丘が並ぶ双ヶ丘
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 【御室界隈】
仁和寺を出て少し歩くと仁和寺境内の西側(仁和寺の西門付近)にそびえる標高236メートルの成就山を整備して作られた「御室八十八ヵ所霊場」と呼ばれる巡拝コースがあります。四国八十八ヵ所霊場の京都版になり、霊場の歴史は下記の通りです。
(仁和寺ホームページ抜粋)
文政10年(1827)当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。

仁和寺の西門付近
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 コースは約3キロメートルの2時間コース。歩く道中に岩場や池、小鳥のさえずり、四季折々の花々などの自然が目を楽しませてくれる楽しいウォーキングコースになっています。山道に札所のお堂が点在して忠実に作られた八十八ヵ所のご本尊が祀られているのだそうです。年五回、この巡拝「八十八ヶ所ウォーク」のスタンプラリーが開催されます。

御室八十八ヶ所霊場
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 【光孝天皇御陵】
御室エリアにたくさん存在する造園家の庭を見ながら宇多野馬場町へ行くと宇多天皇の父にあたる第58代の光孝天皇陵があります。後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)と治定され、小松山陵(こまつやまのみささぎ)とも呼ばれています。光孝天皇は53歳で即位。とても遠慮がちな方だったそうですが知識、経験が豊富で優秀な天皇と伝わります。その証拠に宮中行事の鷹狩りを復活させ、相撲の奨励などユニークな政策をしたことでも有名です。また、自分の子供、親戚を降下させるなど子孫に皇位を伝えない意向をアピールして絶対権力を持っていた藤原氏(藤原基経)とも平和な関係を保てた天皇だったようです。  

造園家の庭から桜を見る
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造園家の庭の桜が満開
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光孝天皇陵
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 【福王子神社】
光孝天皇御陵から少し歩くと周山街道の分岐点北側に鎮座する福王子神社があります。この神社は光孝天皇の后、宇多天皇の母である班子女王(はんしじょうおう)を祀り宇多天皇が創建した仁和寺の鎮守社です。この神社の前身は深川神社と言い、1468年の応仁の乱で焼失しましたが、江戸時代の1644年に徳川家光が一間社春日造(いちげんしゃかすがづくり)の神社を再建しました。班子女王の陵墓が近くにあったので皇后を祀り、班子女王がたくさんの子宝を授かったことから福王子神社の名になったと言われています。神社拝殿正面に掲げられている額は鳴滝砥石で作られており一見の価値があります。
福王子神社
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鳴滝砥石の額
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本殿
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 本殿の横に別の末社があり夫荒神を祀る夫荒神社(松尾大明神)があります。これはこの福王子の地が、京都の丹波丹後の入り口・要所で丹波国の氷室から宮中へ氷を運ぶ人たちの道でもあり、道の途中で氷が溶けて命を落とす人がたくさんあったことから、息途絶えた役夫の霊を慰めるお社が造られたのだそうです。
息途絶えた役夫の霊を慰める夫荒神社
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 また、この付近一帯は鳴滝と言い、鳴滝の地名の由来はこの地域にある小さな滝がごうごうと音をたてて洪水を知らせたことから、“ごうごうと鳴る滝”として「鳴滝」となったと伝わります。洪水は度々起こったと記録されなぜか“洪水”という苗字の家が何軒かあるそうです。その証拠に境内には神社賛助会員(氏子)の名前が入った掲示板があり、その掲示板にも“洪水”という名前がありました。
洪水という苗字がある掲示板
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 鳴滝は幕末、近衛家や薩摩藩ゆかりの名士の家、また維新の女傑・村岡局が一時期隠れ住んだ造園業の田辺家などがあって人里離れた地域であるため、幕末の密議が行われたエリアでもありました。鳴滝本町に田辺家が守っておられる鳴滝延命地蔵尊の祠が今も建っています。この地蔵尊には田辺家ゆかりの逸話が残っているそうです。

田辺家が守る鳴滝延命地蔵尊
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【了徳寺】
鳴滝延命地蔵尊の祠から少し歩くと、中風除けの大根焚で有名な了徳寺があります。大根焚は毎年12月9日と10日に行われ延べ1万人が訪れるそうです。1252年に親鸞聖人が愛宕山の月輪寺へ修行した帰り道にこのお寺に寄られてありがたい説法をされた。そのお礼に村人がおもてなしに出したのが大根を塩で煮た“大根焚(だいこたき)”でした。親鸞聖人は大変喜ばれておもてなしに応えて、すすきの穂を束ねた筆を作り、鍋の残り煤で「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」という十字の名号を書いてそのお礼として残されたそうです。この故事に因んで行われる報恩講の通称が「大根焚」になります。ご本尊は、聖徳太子自ら桂の木を彫って作ったとされる阿弥陀如来像があります。

大根焚で有名な了徳寺
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親鸞聖人の銅像がある境内
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大根焚のかまど
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 【鳴滝】
鳴滝は前文でも述べましたが、小滝がごうごうと音を立てて洪水を知らせたことからその地域一帯を鳴滝と呼ぶようになったのですが、その小滝の場所は昔、豪商三井家の一族・三井秋風(みついしゅうふ)の山荘「花林園」がありました。三井秋風は北村季吟の門下でよく文人墨客を招き、松尾芭蕉もその山荘をに招かれたようです。芭蕉は貞享元年(1684年)8月から翌年の4月にかけて旅をした俳諧紀行文「野ざらし紀行」で貞享22月に鳴滝の三井秋風の山荘を訪ねて下記の句を詠んでいます。
 
芭蕉:「梅白し昨日や鶴を盗まれし」(梅の咲き誇る立派な山荘庭園には必ず鶴がいると思って来てみましたが、鶴は居ませんね。きっと昨日盗まれたのでしょう)
 
秋風:「杉菜に身擦る牛二ツ馬一ツ」(そのような鶴などおりませんが、杉菜に体を擦り付けている牛が2頭と馬が1頭おりますよ)
 
これは、芭蕉が友の三井秋風の立派な山荘にも梅林があり鶴がいると想定して詠んだ句で、梅を妻として鶴を子どもとして生活していた中国宗の詩人林和靖の暮らしになぞらえて、秋風の山荘の句を詠んだものでした。芭蕉の奥深い知識とユーモアを含んだ句です。これに対して三井秋風も謙遜な句を返しています。松尾芭蕉は奥の細道を旅する前に落柿舎や金福寺、伏見などの京都を訪ねています。
芭蕉ゆかりの鳴滝
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 【三宝寺】
大根焚で有名な三宝寺があります。後水尾天皇が帰依していた日護上人ゆかりのお寺で、日蓮上人が寒さ対策に柚子を好んで食べていたことから炊いた大根と柚子のご飯を出しておられるそうです。セットで1500円するそうですが、京都の大根焚の中で一番美味しいという方も多いとか。このほかに、豊臣秀頼、淀君、国松丸の供養塔があります。

三宝寺前
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 【平岡八幡宮】
三宝寺から国道沿いをしばらく歩くと平岡八幡宮がありま。ここまで来るとほんとうに京都にあって人里離れたところだなと思います。地域は鳴滝より北の“梅ケ畑”という地域になります。歴史は、高雄山神護寺の鎮守として空海が大分県の宇佐神宮から勧請したと伝わり、応神天皇を祭神とするお宮さんです。1407年焼失後には足利義光が再建しました。

平岡八幡宮
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 本殿は1826年の造営で、天井に四十四面描かれた花の絵は「花の天井」としても知られています。絵は江戸末期の綾戸鐘次郎という絵師が極彩色豊かに描いています。天井の花は“葡萄草、ケシ、ザクロ、枳殻(からたちの花)、山桜、高雄紅葉、ソケ(ジャスミン)”などが描かれ、当時珍しかった花々も描かれていて興味深く見ることができます。

四十四面描かれた花の絵「花の天井」
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 境内には多種多色の椿が11月から春まで咲き続ける神社としても有名です。宮司いわく、椿はとかく冬の花に思われがちですが、実は春の花であるとおっしゃっていました。また、椿の花は花ごと落ちることから験が悪い花として扱われているけれど、これは江戸時代からの風潮でそれ以前は験の良い花の存在であったそうです。神様や仏様の前に上げる榊の代わりに椿の葉も使われれていた(今も使える)という話を宮司がしてくださいました。椿では願い事をすると白玉椿が一夜で咲いて願いが叶ったと伝わる「白玉椿」があり、たくさんの人が願いをかけて帰られるそうです。
宮司からお話を聞く
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白玉椿
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 今回は京都の北、高雄の手前まで歩き疲れましたが、平岡八幡宮の宮司が自ら漬けられた梅と結び昆布が入った大福茶をいただき元気になって一路洛中へと帰りました。ちょっとしたピクニック気分で今回は歴史を探訪しました。
大福茶
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