まじめな話

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EXILEの楽曲〜2〜 ケータイ投稿記事

すいません、小分けで


しばらくは歌を聴く意欲すら喪失してた。

でも

テレビに出てる偉い人や有名人が口々に言ってる励ましの言葉…

なんかどっかできいた事ある…


そうだー大好きなEXILEの楽曲の詩、そのまんまの言葉ばかりじゃないかと…。






知りたくもない現実や見たくないものばかりで…

それでも僕達はきっと進んでいかなきゃいけなくて…

(「もっと強く」より)


ここだけじゃないけど。

みなさんも今聴いてこそ心に刺さる楽曲のフレーズありますか



あっ関西からは電気を送るにも限度があるらしいの…
ごめんね。

でもやっぱりみんなと同じように、節電心がけています。

EXILEが決めたこと ケータイ投稿記事

飲料水…。

復興のためのお金ももちろん必要になるけど

飲料水は被災地にとってはほんとありがたいもんだよ。


即、役に立つものを準備しようと思ったのは、EXILE…ヒロさんらしいな


物資の援助ってまだ個人では出来ない状態だから
EXILEが団体として寄附してくれるのはありがたい。




EXILEは募金とかファンから募らずに、まずは義援金を先に送る事に決めたのは正解。

うちらファンがEXILE関連で今まで投資?したお金が被災地に届くような気もするし。


今後はチャリティで何かファンも直接協力できる企画があるといいね。


まだまだ余震や誘発地震、
関東東北は停電、

そして被曝の心配…

問題は山積み、
そして増えつづける犠牲者の情報に
心痛めない日はないけれど…



愛国心はつのる一方です。

今自分に出来ること

 
みんな大変だったのに
私の体調なんかを心配してくれてありがとう。
 
私は多分なんかしら胃の病気だと思う。
耳鼻科でもらった薬にやられたか
風邪菌が胃腸にきたのか。
 
とりあえず食べ物は流動食に変えて
ムカムカがましなときに胃腸薬をのみ
それでもダメなら医者にでもいきます。
こんなことぐらいでくよくよ弱音はいてられません。
 
あと、震災のニュースを見るとやはりトラウマなのか
さらに胸がしめつけられて吐き気が増しちゃうのよね。
情報は知りたいんだけど、あまり映像を観ないように。
ネットで情報は仕入れます。
 
とりあえず、私が苦しんだところで時間が巻き戻せるわけでもないし
今自分に出来ることはなんだろう、って考えてます。
 
被災地域にいらっしゃる、タカ坊さん、tsubotaちゃん、
停電だからもうこのブログも見れないかもしれないけど
・・・本当に今も大変でしょう。
ライフラインが機能してくるまで今回は時間がかかりそうだし
心身ともに非常にお疲れだと思う。
応援してるから。祈ってるから。
何か間接的にでも援助になる事は実践してきます。
 
あとは原子炉の問題。
これ以上被害が広まらないように
対策が進められるのを願うばかりです。
 
 
あっ願う、で思い出した!
いつも、愛、夢、幸せをうたっている
このブログをみんなに見てもらうきっかけになった
グループのEXILEさん!
今こそ、いつも提唱してることを実践できるときがきましたよ!
EXILEを通じて、被災地域への救援や復興に役立つことがあるなら
絶対協力します。
今、HIROさんやATSUSHI中心に色々考えてるところだと期待してます。
 
 
未曾有の大災害になってしまったけど
みんな一人一人気持ちを強くもって
決して他人事だとは思わず
普通に生活出来ている幸せに感謝しながら
自分や家族の身の安全は確保しつつ
精一杯、日本、そして仲間のために出来ることを考えて行動しましょう。
 
↑偉そうに書きましたが、これは私自身への言葉でもあります。
 
 
がんばろうね!
 
 
 
 
 
 
被災状況がわかるようになるにつけ
胸がはり裂ける思いです。


沢山の亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。


そして今後も震災と立ち向かわないとならない地域の方に、心よりお見舞い申し上げます。


私の旦那は東京出張中だったのですが
やっと先程連絡が取れました。



日本がこんな事になるなんて…

これは夢じゃないのか?
と疑いたくなるほどです。


テレビのショッキングな報道で、過去の被災体験がフラッシュバックし…
体調不良も重なり…

さっきまで吐き続けていました。
水を飲めば水を吐きます。


そんな状態です…。

阪神大震災から14年

今日はちょっとまじめな話。。。

長くなりますよ〜。こういうの今まで綴ったことがなかったので。


ニュースとかでもご存知の通り、
もうあの大震災から14年もたつんですね。


ニュースを見るだけで、今でも心臓をギュっとつかまれるような
感じで、目頭が熱くなって泣きそうになります。

ブログに遊びに来てくれるお友達にも、お若い方なんかは
震災のことほとんど知らない方も多いと思いますが。。。


実は私は独身時代、神戸に住んでおりまして、
当時、まさに東灘区(高速道路が折れたところ)に住んでました。

震災が起こった日、ちょうど私は用事があって、朝5時半に起きてました。
なので寝ていてボーっとしていたわけでなく、
普通に自分の部屋でお化粧を始めていたときに
突然あのすごい揺れにおそわれたわけです。

きっと何かが家につっこんだんだ!と思いました。
・・・私の考えてた地震の定義の枠を超えていたのです。

最初はわけわからなくて、でも、とにかく母の元にかけつけなくてはと焦りながらも
(当時、父は海外赴任中でいなかった(-_-;)、家には母と私の2人だけ)
すごい揺れで自分の思うように体がすすみません。

壁につかまりながら身を守り、どうにか揺れが少しおさまりかけてから
母の元にかけつけました。マンションだったので階段とかはなかったので
すぐに母が居る居間にたどりつけたのですが、床は、ガラス類の破片だらけ。
夢中でしたが、うまくよけながら歩いていたようで怪我はありませんでした。

食器の飾り棚から食器がほとんど飛び出し割れていて、
テレビはどっかに吹っ飛び、
なんと台所の冷蔵庫まで倒れてました。
目の前の現実をすぐに受け止められませんでした。

母と、2人で抱き合いながら(抱き合うことなんて幼稚園以来だよ。)
おろおろと「大丈夫だったね。怪我はなかったね。何が起こったんだろうね。」
と無事を確認しあいました。
多分、2人とも寝ていたら、タンスの下敷きになっていたことでしょう。

そのとき、母が泣きそうになりながら心配してたのは、一人暮らしをしていた
姉のこと。。。いつも気丈な母がこんなにうろたえてる・・・。

今、自分が子供を持つようになってから、その気持ちが痛いほどわかりますが。

姉は当時大阪よりの武庫之荘という別の場所に住んでいました。
でも今のように、お互い携帯なんか持ってませんので安否の確認が取れません。

私が、「絶対大丈夫だよ、大丈夫だから、泣かないで!」
って私も泣きそうなのを我慢しながら、母を励ましました。


そうこうしてると、マンションの人たちが、「怪我はないか、身動きできるか」など、
安否を確認しにきました。これが本当に地震なのかなんなのかわからなかったけど、
とりあえず、同じマンションの住人がみんな無事なのを知り、安心しました。

朝、早かったのでまだ寝てた人も多く、タンスやらが倒れてきそうになったけど
布団の上で旦那さんがとっさに奥さんの上にかぶさってかばった話や、
ドアがこわれて部屋から出られなくなり大変だった話とか聞きました。


だんだんと、携帯ラジオを持っている近所の人の情報や、携帯電話を持ってる人からの情報で
すごい地震が神戸で起きたんだってことをやっと認識できました。

ベランダから、遠くのほうに火の手が何箇所かあがってるのが見えました。

幸い、私の住むマンションはとりあえず、火事や倒壊もなく無事だったのですが。

外はすごい寒さだし、とりあえず、家の中にいて床に落ちている危険なものを片付けたり、
落ち着ける部屋を確保しました。

余震がたえず続き、びくびくしながらもちょうど朝のご飯が炊き上がっていたので
おにぎりを母が作り、それを食べたりして落ち着きを取り戻しました。

まだこの地震のすごさを把握できてなかったので、約束に間に合わないことを連絡しないとまずいかな、
とか、それどころではないのに心配してたりました。

もちろん電車が走ってないので行けるはずもなかったんですけどね。
それくらいその直後は状況が全くわかってなかったのです。
多分今の時代だったらそんなことありえないんでしょうけど。

その晩は、とりあえず余震にびくびくしながらも家で寝ました。ほとんど眠れなかったかな。

でも次の朝、南の方にある、ガスタンクっていうの?(大きくてまるいやつ)
が壊れてガス漏れしてる可能性があるし、今後マンション倒壊の危険性もあるので、
すぐ非難(退去?)命令が出ました。

幸い、うちの父の会社のはからいで、大阪のホテルをしばらく確保してもらえることになり
大阪に向かうことになりました。

このとき、思ったのは何も持って逃げれないなんだ。ってこと。
多分、落ち着いたら戻ってこれるとは思ったけど、こういうときって
モノって持っていても仕方ないんだな、と痛感しました。
お金をためて買ったブランドバッグや洋服など、ほとんど置いていくことになりました。

ここから電車が通ってる西宮駅まで歩いていかないといけないのです。
(多分1時間半くらいかな?わすれちゃったけど)
小さなスーツケースにこれだけは持っていきたい、と思う洋服や日用品をつめて
さぁ出発です。

倒壊した家や建物を横目に、陥没したり、波打った道路を歩きながら、
この事態はどういうことだろう・・・
私の知ってる神戸の街じゃないな・・・
まるで戦時中かなんかにタイムトリップしたような錯覚におちいりました。

途中から、線路の上を歩きました。がらがらと荷物を引きながら。
めったに体験できることではないよな〜、とか思いながら。

そしてくたくたになりながら西宮駅までたどりつき、
大阪のホテルでしばらく過ごすことになりました。

姉の無事も確認できたし、親しい人にも無事だったことを連絡することができました。


それから徐々に、震災の情報が明らかになっていったわけで、
たくさんの犠牲者がいらっしゃった中、
私達家族は無事で本当に運が良かったとしかいいようがありません。



・・・亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




今、もしこんな震災が起きたらどうなるんだろう。
あの時には、私には守るものがありませんでした。

でも今は、小さな子供がおります。(&犬も)
主人も出張が多くて家に居ない日も多いので
多分私が、しっかり守らなければいけないんだ、と思います。

その当時、赤ちゃんなどいらっしゃった家庭はほんと大変だったろうと思います。


今、私の家には、自分の肩の高さ以上の家具類がほとんどありません。
(冷蔵庫は仕方ないですが。)
背の高い家具が全て倒れてしまうのを目の当たりにしたから
怖くて置けないのです。

でも年月が絶って、そのときの恐ろしさや教訓なんかは忘れつつあり、
やはり、無駄なものを買ってしまったり、たくさんのモノに囲まれて生活してる
現実。。。

いざというときは何も持っていけないのにね。。。


しんみりとした話になってしまったわけですが、
やはり備えあれば憂いなし(そう上手くもいかないだろうけど)
いつ何が起こるかわからない、という危機感だけはいつも持っていなければ
ならないな、と、この震災の日が毎年来るたびに考えさせられます。

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