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http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php HPでも、主要な試合毎にレポートしてくれていた内容、細切れの主張を、自身がドイツ留学してサッカーチームに参加していた経験や、在独哲学者との対談を元に、わかりやすく解説してくれている。 サッカーには、ボールのない所での動きが、非常に大事である。 いわゆる である。 無駄になる可能性が高くても、つまり結果的にプレーに絡まなければ無駄になってしまうような動きであっても、チャンスに絡む可能性があるのであればそこにトライしないとゲームが有機的に動かない。 それはシュートチャンスにもいえて、 不確実性が伴う足で扱うスポーツでの、不確実性の頂点に位置するのがシュートである。 リスクチャレンジしているつもりでも、どうしてもシュートに及び腰になってしまう場合も多い。 日本代表の試合だけでなくJリーグやそれに類する試合でも、よく「何でそこでシュートを打たないんだよ」と思う人は多いと思う。 確かに現在では、シュートを打つ事によって責任を一手に引き受けるような行為を無意識に避けてしまう事が多い。 特にFWよりも、本来シュートにそこまで絡まないMFの方がより得点し、シュートも積極的にしていっている姿も多く見られる。 これは得点を決めてなんぼのFWより心理的に「より」楽なMFの方が、落ち着いてシュートを打てるからであろう。 しかしながら、そんな事言ってリスクを避けていては、いつまでたってもシュートを決める技術や本物の心理的プレッシャーに打ち勝つ事はできないと著者は言う。 試合中の極限の緊張感の仲で状況判断し、落ち着いてシュートを打たなければならない。 この辺の責任を避ける心理や言い訳、反省など、著者自身の留学での体験エピソードからも、よりわかりやすく説明してくれている。 (・・・ややくどくて長い感もあるが・・) 興味深いのは、著者はこういった心理的な葛藤などを、きちんと仲間や監督とディスカッションする事で自身の仲で昇華している事である。 ここがサッカー文化、ひいてはネーションそのもののバックグランドの違いであろうか。 シュートを打たなければならない状況において、それにチャレンジし、仮に失敗したとしても、 実はそれはそんなに責められるべき事ではない。 寧ろ責められるべきは、組織サッカーの的においては、そのようなチャンスで失敗を恐れてシュートにチャレンジしない事である。 もちろん、組織プレーとエゴイスティックなプレーとのバランスも大事である。 そちらについても、チーム内の才能のある選手を例に、組織プレーと個人技のバランスを取る事で、いかに武器でもある個人技が更に有効的になるかを、語ってくれている。 このドイツ留学中の体験談は、ほとんどディスカッションする事で、著者自身深い理解になっていっているだけでなく、仲間内内でも意識が共有されていっている点で興味深い。 日本のチームでは、ここまでではないにせよ、選手間や・監督スタッフ等も交えて内部でサッカーについてディスカッションする事がどれだけあるのだろうか。 この辺の意思疎通から始めるだけでも大きく変わるような気がする。 ちなみに、日本人は責任を負いたがらない話の例として、丸山眞男の『無限責任=無責任』をもちだしていた。ある人が責任を一部負い残りを次へ(上へ)ずらしていく、そして次の人も少しずらしていく、そうすることで、誰もが応分の責任があるけれども、誰もが無責任になってしまうという「無責任の体系」。 丸山は戦前の体制を批判するためにこのような例を用いたが、これが現代サッカー(だけじゃなくて社会的にも)当てはまるというのは、確かにその通りだと思う。
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読書日記
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はじめまして。実はズッ〜ト、ファンで以前から読ませていただいてました。コメントも残さずごめんなさい。
いつもここのブログを読むとホコっとします。
本当に。『ホコッ』とします。
あたたかくて。おもしろくて。時にグッとくる。
素敵なブログですね。
これからも読ませていただきますね。
2008/6/8(日) 午後 3:13 [ 絢香 ]
初めてコメントします!!
以前から、時々訪問させて頂いています。
(読み逃げでしたが・・・)
今日の更新を見てめちゃめちゃ応援したくなりました!!
がんばってください!!!!
2008/6/8(日) 午後 7:54 [ ルカ ]
が、頑張れー☆超頑張れー☆
全力で物陰から応援しています。
また、コメント書き込みにきま〜す♪♪
2008/6/9(月) 午前 0:43 [ ★ことみ★ ]
>絢香さん
どうも
>ルカさん
どうも
>ことみさん
どうも
2008/6/10(火) 午前 0:22 [ びやん ]