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http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php この内容は1990年代中頃に法政大学法学部政治学科で開講されていた杉田敦ゼミの記録です。ゼミの先輩がHPとして作成していただいたものを私が編集して「記録」としてここにアップしています。従って内容についての責任などは私、村上にあります。ご意見・ご要望などありましたらコメント欄やメールにていただければ幸いです。 4月25日〜5月9日 テキスト:「システムと生活世界」 文責:Y本(四年) ・ハーバーマス A:この著作のベースはハーバーマスの、それも「公共性の構造転換」だよね。そもそもこの本のタイトルである「システムと生活世界」っていう、[システム=生活世界]の二分法は彼の考え方を代表している概念だしね。 B:この本は前半部に主としてハバーマス紹介を当ててる。 C:著者はこれに”公共圏”(これもまたハーバーマスを代表する概念と言えるが)をかぶせて、如何にそれを確立していくのかを著者なりの分類に基づいて展開しているね。 D:キーワード的に挙げさせて貰うなら、今出た「システム」、「生活世界」、「公共圏」、それに今年の内のゼミのテーマでもある「市民社会」に「公開性」、「植民地化」、あとは「新しい社会運動」といったところかな。 E:それらを中心に後の補足は議論のなかでということにしましょう。 F:ハバーマスの議論を出してきて著者が言いたいのは、結局どうやって現代に於いて”公共圏”を確立できるのかという事だろう。その中核、モラルは”批判性”。そのモデルはハーバマスが「公共性の構造転換」で段階的に述べた中で出てきた18世紀の小独立自営業者達が当時形成していたサロンや読書会に代表される「文芸的公共性」ですよね。もちろんハーバマスは現代の行政システムの必要性を否定して、復古主義や「自然に帰れ」的主張をするのではなくて、どうシステム的なるものを批判的公共圏でコントロールしていくのか、という構えをとる。「公開性」は日本でも最近情報公開法案なんかで話題になってるけど、そのための欠かせない第一歩なんだろうね。 A:確かに現代社会は言われているように何処を見ても「システム化」されている。その究極態として試験管ベイビーに脳死問題なんかは代表選手だ。それによく行政学の先生が自慢げに言っているように日常生活でも「朝起きて顔を洗うときの水は水道水、通勤通学は交通機関・・」等々、行政も含めて何処を見ても管理が働いている。ハバーマスも言うようにマスコミはかつての公開性の旗手の座から下りて、受けのいい情報を操作的に流して、僕らのライフスタイルや趣味なんかまで作りだしてんだからね。 B:その意味で現代社会は至る所に「政治」が潜んでる。でも一般人は受け身一方。これが彼の言う「正統性無き支配」なんだろう。 C:ハーバーマスは、そしてこの本の著者は、そこでこう言った「植民地化」を食い止めるべく批判的討議に基づく”公共圏”を打ち出すわけだよね。 ・”公共圏”可能性 D:こうして考えてみると、確かにヤバそうだし、批判的公共圏というのは一見、欠陥がないように見えるね。でももう少し突っ込むとどうなの? E:仲良しクラブのお話し合いは確かに平和そうだけど、この会には誰でも呼んでもらえるのかは問われなきゃいけないだろう。 F:たとえ呼んで貰ったとしても、言葉=言語の問題があるっていうのは、僕は勉強不足で良くは解らないけど事実だろう。つまり或程度の人数で討議するとなると、それなりにメジャーな言語でということになる。じゃあ、メジャーな言語は透明で中立的なのかと言ったら、それはまず期待できない。ある言語で相手に意志を伝えるには何らかの”価値観”を共有してないといけない。で、その価値観って言うのが西欧中心主義的な物になるのはほとんど目に見えてるんだよね。何か喋って、意味を解釈して貰った、その瞬間に、あるいはそうするよう努力するしか道が無くなっていた時点で、ある人達の個体性は損なわれてしまうことになっちゃう。 A:じゃあ、話し合いには限界があると。それと「新しい社会運動」との関連性なんかはどうでしょう? B:著者はこのことを、新しい可能性として積極的に捉えているね。 C:でも、それと討議の場として捉えられている「公共圏」の接続は今の議論でいくと難しくなりそうだね。 D:彼らは言葉ではなくて、自らの身体性自身で訴えている。だからこそ広く、深く訴える面が在るからね。 E:彼らの運動は、既存の線引きに対する拒否反応なんであって、ドゥルーズの言葉で言えば「脱領域化」の現れなんだ。それに対する権力=「再領域化」の構図で捉えると、さっきの公共圏は後者の範疇に片足を踏み入れているように思える。 F:そこで著者も言ってるけど「プロセス」とか「ネットワーク」の概念が大切になって来るんだろうね。 A:その両者は次の議論で出てくるから突っ込まないとしても、この著者はハーバーマスの議論にのっかりつつ、いろんな可能性を出してくるから、その接続性等なりに若干疑問が出て来ちゃうんだろうね。 B:そうは言うものの、「未完のプロジェクト」としてのモデルネ、これは軽視しちゃあいけないぜっ。 C:それはもちろん。そこら辺の所は『社会科学再考』で石田雄氏なんかが強調するところでしょう。つまり人権なりの普遍的概念は永遠の可能性を持っている、と言う訳ね。 E:でも山之内靖氏が言うように、「どこもシステム」から出発するってのも重要なんだろうね。純粋な「生活世界」なんかそもそも無いんだと。むしろ生活世界の特権とされてる価値醸成なんかは既にシステムの手に落ちていて、生活世界はシステム化されている、と指摘されていて、なんかこんがらがっちゃいそうだけど、なかなか鋭いものがある。 F:今回は初回だし、一年かけてこう言ったことを考えると言うことで、今回はお開きにしましょうか。決して問題回避ではありませんよ。いや、一応・・・。
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