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※mixiよりの引越し記事

ドラマの方は観てないので手っ取り早く映画で済ましてしまおうという魂胆で観る。
しかし話題作なのか知らないが、映画としてはこれはどうなんだろう・・と考えさせられるような作品だ。

 そこそこ愉しめるけど。やはり警察内の暴露的な内容も持っているため、各人の都合の話がやや説明セリフ。
知ってる事も多いだけに、ちょっとうんざりかも。まったく知らない人が、警察の内部事情を'''知った気'''になるのにはちょうどいいのかもしれない。

 話の筋としては、いくつかの事件が同時進行するわけだが、基本的に警視庁副総監の誘拐事件。
副総監と長さんの友情と、今の織田裕二と柳葉俊郎の友情を重ね合わせている。

小泉今日子がちと不気味な役柄だったため、もっと有効に使えたような気がしなくもないが、どこか消化不良。うまく活かしきってない。

 ちなみに柳葉俊郎のキャスティングはどうなんだろう。
元のイメージがあるのでエリート姿は何とも・・・(笑)。一応、前からドラマ見ている人は慣れてるのかもしれないが。いきなり映画から見た自分としてはビックリだった。ん〜。警察官僚ねぇ。同期もこんな事やってるのかな(まだ下っ端か)。

・・あとユースケも何かイメージがなぁ
ぷっすまのナギスケのイメージがあるので、どうしても笑ってしまう。
真剣な芝居をしているとは思うんだけど、一度ついたイメージって怖いよね。


以下、映画批評空間より引用
製作 亀山千広 / 臼井裕詞 / 堀部徹 / 安藤親広
監督 本広克行
脚本 君塚良一
撮影 藤石修
音楽 松本晃彦
出演 織田裕二 / 柳葉敏郎 / 深津絵里 / 水野美紀 / いかりや長介 / ユースケ・サンタマリア / 北村総一朗 / 小野武彦 / 斉藤暁 / 佐戸井けん太 / 筧利夫 / 浜田晃 / 小泉今日子 / 神山繁
あらすじ
フジテレビ系人気TVシリーズ『踊る大捜査線』を映画化。副社長(警視庁副総監を表す隠語)が誘拐された。警視庁捜査一課は極秘捜査を開始するが犯人は意外な人物だった・・・。
http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=5334

「光の雨」

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※mixiより引越し記事

これは同名の小説を原作にした作品。
 小説読むの面倒な時って、先に同名の映画を見るとイメージしやすいので見ることに。・・・その映画の印象で小説読むのをやめる事も多いのだが(^_^;

 内容としては、あさま山荘事件などの学生運動過激派を演じようとするあまりに、本当にその時代の青年たちの信条に入り込んでいくっていう話。

山本太郎が怖い!どんどんはまっていく様はある意味その辺のB級ホラーより背筋が寒くなるかも。(でもなんか笑ってしまう事もしばしば)
裕木奈江は、お久しぶりって感じもするが、いい女優なんじゃないかって思った。でも最初ちょっとあのしゃべり方が鼻についたかな。

私流に'''総括'''すると、狙い過ぎって気がしなくもない。
小説の方はどうなんだろうか。
この映画自体が原作の小説を映画化するっていう'''映画'''なので、内容は全く違うもののような気がする。
正直微妙な感じになってきたが、「原作の方が面白かった」という事を期待したいが・・はて。


以下、映画批評空間より詳細を引用
製作総指揮 高橋紀成
製作 石川富康
監督 高橋伴明
脚本 青島武
原作 立松和平
撮影 柴主高秀
美術 金勝浩一
音楽 梅林茂
出演 萩原聖人 / 裕木奈江 / 山本太郎 / 池内万作 / 鳥羽潤 / 小嶺麗奈 / 塩見三省 / 大杉漣 / 板谷由夏 / 西守正樹 / 山中聡 / 松田直樹 / 高橋かおり / 川越美和 / 金山一彦
あらすじ
連合赤軍による同士リンチ事件を描いた小説『光の雨』を映画化する企画で、樽見(大杉漣)は初めての監督を任される。キャスティングされた若手俳優達は、「役」を演じようと試みるが、なかなかその当時の若者の心情をつかむことが出来ず苦心する。そんな中、突然樽見監督が現場から姿を消してしまう。果たして映画は完成することができるのだろうか?「映画のメイキング」が、事件を描き、事件を通じて今を生きる人々を描く。
http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=9425

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夜でもジョギング

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夜でもジョギングが出来るようになってきた。
今までは体育館とかだったから、夜でも雨でも平気だったけど、走るならば出来れば外を走りたい。
爽快感が全然違うからね。

いつもリスニング維持って事で英語のNewsを聞いて走っている。
今日は長めに一時間走り込む。
体はいい感じだ。まだまだいけそうな気がする。

今日もいつもと同じく、
午前に所用・雑務・電話を済ます。
午後から図書館でお勉強、
夕方からちょこっとバイト、
その後はジョギングして家に帰る、と。

多少は変化があった方がいいのだろうが、何もない日だからこんなもんだろう。


※写真は北海道行きフェリーから大洗港フェリーターミナルを見たところ。ちょっと気に入っている。

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さてさて、好評の前回に続き今朝の北日本新聞コラム天地人もまたまたビックリ。

なんと引用されているのはマキアヴェリ!
しかも『君主論』!!!

私は専門ではありませんが、熱烈な専門者が近隣にいたので多少はわかります。『君主論』は持ってますし、英訳すらあります。イタリア語はさすがに読めませんのであしからず。

最近の天地人は引用系の話が多いなと思っていたわけですが--昔の偉人の権威を借りて説得力を増そうということでしょうか--、今度はよりによってマキアヴェッリですか。へぇ〜〜。
いきなりマキャベリという表記からして姉さん、嵐の予感がしますが(笑)いいのでしょうか、これ!?

どうでもいいのですが、マキアヴェリは原語ではMachiavelliと書きまして、カタカナの呼び名が統一されないのが問題なのでしょうが、「マキアヴェリ」或いは「マキアヴェッリ」と書くのが一般的です。
ちょっと調べればわかると思いますが
http://www.bk1.co.jp/search/nohit.asp
ここで著者名に天地人コラムのように「マキャベリ」と入れても何もヒットしません。だいたいMachiavelli関係の本では著者名は「マキアヴェリ」「マキアヴェッリ」として発刊されています。この記者は何を思って敢えて「マキャベリ」と書いたのでしょうか?!

耳で聞けば「マキャベリ」も「マキアヴェリ」も対して違いません、推測されるのは聞きかじりか?という不吉な予感なのですが、分を越えた詮索はしないようにします(笑)

・・・さ〜〜〜て、さも知っているように引用しているくせにいきなり記者、ひいては記事の説得力が疑われてきましたが(こいつ素人か?)
ここでさらに、内容を吟味していきたいと思います。以下全文引用
(発行/2005年 4月19日/北日本新聞)
 中国の反日デモが収まらない。週末に香港や上海などで大規模に行われた。日系企業で便乗ストもあった。外相が訪中し謝罪と賠償を求めたが成果はない。中国政府は「日本政府の歴史問題への対応に原因」と繰り返すだけだ。
 反日デモの横行は、当局に取り締まり意思がないことを民衆に見透かされているからだ。イタリアの政治思想家、マキャベリは「民衆の犯した誤りは統治者側の怠慢か、統治者の犯したことを踏襲しているにすぎない」(君主論)と冷徹に分析する。
 日本にとって手本であり師匠であった中国との関係が変化したのは、日清戦争からだろう。領土割譲や賠償金など、中国には屈辱的だった下関条約締結に反対する動きが北京で広がった。これが「反日運動」の始まりとされる。
 指導したのは康有為ら清朝の立憲派官僚だが、彼らは反日運動を、国家近代化のエネルギーに変えようとしている。日本をモデルにした改革に着手、留学生を送るなどして学ぼうとした。人的な交流を盛んにしたから、かつての国民党や共産党の指導者には知日派が多かったものだ。
 マキャベリは「歴史はわれわれの行為の導き手である。とくに指導者にとって師匠である」と語った。誠実に歴史を反省する姿勢が日本には大切だが、中国も歴史に学ぶ必要がある。


まずは第2パラグラフ目の
イタリアの政治思想家、マキャベリは「民衆の犯した誤りは統治者側の怠慢か、統治者の犯したことを踏襲しているにすぎない」(君主論)と冷徹に分析する。
という部分。この部分、さも『君主論(プリンチペ)』から引用されているように見えますが実は違います。『政略論(ディスコルシ)』という全く別の著作の言葉です。
私が正しく引用してあげると、
君主は、民衆がなにか誤りを犯したとしても苦情をいうことはできない。なぜなら民衆の犯した誤りは、統治者側の怠慢からか、そうでなくても、統治者が犯したことを、彼らもまた踏襲しているにすぎないからである。『政略論(Discorsi)』
ということになります。マキアヴェリ=『君主論』というのは誤った見方ですね。誰が知恵を付けたのかは知りませんが、注意してやれよ。おい
それとも他の人間も注意できないのか・・・。

更に最後のパラグラフの引用も疑わしいと気づいた人。その人は勘のいい人です。是非、この新聞の整理記者か校正をやってください。
ま、ここには別に(君主論)って書かれてないから必ずしも『君主論』から引用してなくてもいいのでしょうが、紛らわしいだろ。普通。作法として一つの引用にタイトルを付けたら、違っているなら別の引用でもちゃんと違う本のタイトルを付けるのが常識です。
恐らくこれが該当部分でしょう
歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。だが、とくに指導者にとっては師匠(マエストロ)である。『ヴァルディキアーナ地方の住民の統治方法について』
これは同じ’マエストロ’という言葉を2種類の意味で使っている(と思われる)ので、ちょっぴり有名な箇所です。

更にこの文はこう続く
人間社会には、相も変わらず同じ事を考え、同じ事を望む人間が棲んできたのだ。社会構造が変っても、誰かが支配し、誰かが支配され、ある者は喜んで支配され、他の者は不満たらたらで支配されるということならば、なにひとつ変化はなかったのである。
 そして、それに反逆した者も結局はもとのさやにもどるということでも、同じなのだ。『ヴァルディキアーナ地方の住民の統治方法について』
つまり、この2つの引用はどれも指導者(君主)と民衆との支配服従関係を考えるに歴史の教訓は重要だと述べているのであって、
背景的にも主旨的にも、決して日本の過去の植民地支配の歴史を反省する必要性や中国の反日運動の歴史を思い出す必要性と関連しているわけではない。

平たくいうと引用が適切でない、という話。

近頃の反日運動問題に関して、もしどうしてもマキアヴェリの、しかも『君主論』言葉を引用したければ以下の言葉はどうだろうか
武装せる予言者は、みな勝利を収め、非武装のままの予言者は、みな滅びる。
なぜなら、民衆の気分は変りやすく、言葉での説得では従いてこさせることができなくなったときは、力でもってそれをさせる必要があるからだ。『君主論』
これはフィレンツェに現れた予言者サヴォナローラの事を教訓にした言葉だが、秩序維持のための実質的な「力」の重要性を述べているところだ。
マキアヴェリの政治思想はvirtuとfortunaやstatoが基本なんだろうから、つまり秩序は結局実質的な力によって作り出されると言うところが主眼である。だから、道徳や宗教、まかり間違っても隣国からの一方的な「善意」でもない。

ちょうど反日運動に対して中国政府は「法の範囲内」での冷静な対処を求めているそうだが、それが守られているようにはまったく見えない。もはや中央政府の言葉による説得だけでは従わなくなってきているのだ。
そうなれば指導者(君主)としては実質的な力による鎮圧を見せて従わせるしかない。
さもなくば、やがて矛先は指導者の方に向き、力を失ったサヴォナローラのように中央政府が滅びてしまうかもしれない。
私の引用文らば、このような教訓になる。
若干苦しいところはあるが--そもそもこの問題にマキアヴェリを引用したってのがマズイ--、これで幾分かマシになるだろう。

故に、この記者は何故にマキアヴェリを引用したかったのかという謎は残るものの、反日運動のような民衆の蜂起に対して『君主論』による教訓があるとすれば、コラム中の引用よりもこの予言者の部分の方がヨリ適切なのではないかと思う。

まぁ、誰かに吹き込まれたんだからやった、ということがないことを祈りたい。

ちなみに新聞の間違いに気づいたら図書券ってもらえないのかな!?笑

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