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※mixiよりの引越し記事
中欧という概念は、ドイツの東西分割など冷戦下において封印されてきた。そして冷戦崩壊後には復活してきたという話。
あまりに単純に書きすぎたが、その復活してきた背景には冷戦崩壊という要因も確かに大事であったが、「ハプスブルク」という歴史経験が好意的に捉え直され復活してきたのが特徴であるという。
戦前はハプスブルクは否定的に語られてきた。帝国内は多元性・多様性を内包していたのに、トップは厳格なカソリックの君主であったという点。民族自決を契機としてそういった多様性を否定して成立したのが、WWI以降のドイツ帝国であり、オーストリア第一共和国であった。
新しく出来た国は当然以前の国家を否定せざるを得ないため、実際民衆レベルではどこまで本気でハプスブルクを否定していたのかはわからないが−−実際フランツ・ヨーゼフの肖像画をずっと持っていた人の話もある−−、とにかく否定的イメージがそうやって戦後もずっと続いてきたわけである。
しかし、冷戦崩壊後に、民族同士をつなぎ止めていた枠がはずれてしまった結果、一斉に噴出する民族エゴへの反省(?)として、多元的であったハプスブルクの古き良き時代が肯定的に語られて中欧概念が復活してきたのである。
著者は実際現地を巡っている間に、旧ハプスブルクでの共通性を強く感じたようである。そうしているうちに、国境や鉄のカーテンを超えて共通の大きな領域が浮かび上がってきた、と。それが中欧である。
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