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「日本史の宝石箱」オリエントの都アスカへの道 列島古代史学
真冬の我が居間から見る景色、想像できないほど美しい朝がある。

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日本建国者は、加耶国の子孫たち
倭国滅亡後、新生「日本国」の始まりは、新羅からの占領者でないかと勘ぐってしまう。
古事記の天孫降臨の段でニニギは、「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」に降り立ったと記されているが、
その地の比定地の一つである槵触(くしふる)山の中腹に鎮座している。
主祭神は邇々杵命(ニニギ)で、相殿に天児屋根命「アメノコヤネ=鎌足の遠祖だそうだ(冷笑)その他、布刀玉命・建御雷命を祀る。」【古事記】*1

「新羅本紀」より
さて、三国史記「列伝4」金ユ信伝の冒頭に。
「金ユ信は王都慶北慶州市の人である。
12世の祖の首露は、どこの人かわからない。
漢の建武18年壬寅(AD42)に、亀旨峰(きじほう)に登り駕洛の九村を眺め、ついで、この地に来て国を開き、国名を伽耶といい、のちに金官国と改名した。
彼の子孫が王位を継承し、その9世の孫の仇亥になった。
[仇亥は]仇次休ともいい,金氏を姓としている。」とあった。
532年に新羅の圧力に抗しきれず、仇衝王(金仇亥)が国を挙げて降伏している*伽耶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 久士布流多気(くじふるたけ)≒亀旨峰(きじほう) アメノコヤネ=中臣鎌足の祖先 金ユ信=中臣鎌足のモデル   

「先祖の首露は、su-ri,SUlと発音し、亀旨峰の古訓という。天神の首露は山霊と見ることができ、金官加羅国の国魂と考えられる。」。
*P29注
金官=新・東・大のことだ。金=so (訓),東=so (古訓),官=kuwan=kan=韓=大

知能のある人なら、この共通性を感じないだろうか?
新羅に滅ぼされ(組み込まれた)、その子孫たち(金ユ信のきわめて近い親類)が祖先の国家を回復したのだ。と推理してしまうと早計だろうか。
そういう意味では、日本国は三韓と同種の国家で、アングルサクソンとノルマンフランスがイギリスをっ建国したように・・・
新羅に滅ぼされ(最終的には562年に新羅に併合された)、加羅国(日本書紀では、こう表記)。
その子孫たちが、白村江の戦いの後で、戦勝国、唐・新羅連合の政策として新羅国・日本センターを作ったのだろう。(鹿島説)
彼らの祖先は、古代の倭国の創始者だったと推測できる。
倭国の本願の地はこの地方だからである。
(ここには日本独自の古墳と云われる前方後円墳がある。)
それと、日本独自のヒスイの勾玉も・・・。

* 1 出典: くし触神社 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%97%E8%A7%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
*2 出典: 三国史記「列伝4」金ユ信伝
画像:Three Kingdoms of Korea Map.png
大化の改新のモデル新羅時代の上大等の「眦雲・ひどん」乱(645)の金庾信は、中臣鎌足のモデルであることは、福田氏も鹿島氏も指摘したことだ。
font> http://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/21761938.html

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