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1988年4月、瀬戸大橋開業とともに廃止となった宇高連絡船。
それからもう30年がたち、連絡船という言葉も死語となりました。
その廃止直前、宇野から伊予丸に乗って高松を目指しました。
晴れた日の甲板で海風を浴びながら過ごすのは気持ちよかったです。
甲板で瀬戸内海の風景を楽しんでいると、阿波丸とすれ違いました。
甲板にはさようなら宇高連絡船の乗船記念板がありました。
大歩危まで日帰りの撮影旅行をして、夕方の高松に戻りました。
海辺に行くとちょうど土佐丸が出港したところでした。
帰りに乗ったのも伊予丸でした。
宇高連絡船にはそれぞれ四国の旧国名が船名につけられていました。
船ごとに色分けもされていて、伊予丸はオレンジでした。
ミカンのイメージですかね?
伊予丸が高松港に接岸します。
後ろには早く下船したいお客がいっぱいです。
伊予丸に乗って宇野に戻る間にすっかり日が暮れてしまいました。
行き交う讃岐丸も薄明かりの中でした。
船旅は鉄道の旅と違って、景色が大きく変化せず、趣味的要素は薄い気がしますが、ノンビリと海を見ながら過ごす時間も楽しかったです。
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JR四国
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今回は30年近く昔に予土線に初乗車した時の話です。
予土線の起点は若井駅ですが、列車はすべて窪川駅始発です。
窪川から若井は土佐くろしお鉄道の線路を走ります。
まずは土佐くろしお鉄道の窪川駅舎。
3セクの駅らしく、面白味はまったくありませんでした。
13:30窪川発の4895Dで宇和島を目指しました。
途中の江川崎駅で長時間停車なので、駅の外に出てみました。
江川崎駅舎はコンクリート造りの何の変哲もない駅舎です。
駅舎の写真をトリミングしてみます。
駅名表示が「江川崎驛」となっていました。
暮れも押し迫っていた時期で、しめ縄に門松が飾られています。
宮沢りえのポカリスエットのポスターも懐かしいです。
この頃の宮沢りえはかわいかったなぁ…(遠い目)
江川崎駅のホームの風景。
このキハ54 1に乗って宇和島を目指していました。
キハ54は国鉄末期の1986年デビューで、この頃はまだ新車同然でした。
このオレンジストライプは今はなきJR四国色ですね。
さらに予土線の旅は続いたのですが、沿線風景は何も覚えていません…
宇和島には16:00着でした。
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JR初期の四国ではキハ58やキハ20など前世代の気動車が活躍していました。
今回は徳島駅で見た気動車たちです。
グレードアップ改造車のキハ58阿波と国鉄色キハ58の快速列車。
阿波のキハ58 1035は1985-86年にグレードアップ改造された車輌。
こんな塗色ですが、国鉄色と言えば国鉄色なんですね。
1967年製造で1992年廃車とのことです。
国鉄色のキハ58 131は1962年製造で1999年廃車。
結果的にこのキハ58の方が古いのですが、長持ちしました。
阿波の愛称は1959年準急で運転開始。
1968年に急行に格上げされ、1990年まで活躍しました。
愛称名だけを書いた小さなHMが四国の急行のチャームポイントでした。
ついでで徳島駅で発車を待っていたキハ20も。
このキハ20 513は1964年製造の1991年廃車…なのですが、
その後水島臨海鉄道に運ばれて部品取り用に留置されていました。
2013年解体とのことで、つい最近まで原形を留めていたんですね。
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俯瞰写真の1回目。
まずは自分が初めて撮った俯瞰写真からです。 昭和最後の春休み、宇高連絡船が廃止間近。 岡山のじいちゃんちを起点に、四国ワイド周遊券(懐かしい!)を使って、四国に何度も行きました。 その1回目は大歩危へ。 大歩危駅から確か国道を歩き、山道を登ってポイントに行った気がします。 当時の土讃本線はキハ58土佐やあしずりが次々と行き交う気動車急行天国でした。 写真は大歩危〜小歩危間の山道からの俯瞰写真です。 大歩危の渓谷美とキハ58の普通列車を木々の合間から撮りました。 国鉄急行色の正統派キハ58が懐かしいです。 急行の写真も撮りましたが、長編成をできるだけ入れようとして、顔に枯れ木がかかる失敗作になってしまいました。 今このポイントがどうなっているかは知りません。 ネット上でもこのポイントの写真は見ないので、木に覆われて俯瞰できなくなっているのかもしれません。 気動車急行天国も2年後の1990年には特急化され、土佐、あしずりともに廃止になったみたいです。 |
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