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丸瀬布には雨宮だけでなく、西武山口線で活躍した西武532号もいます。
532号機は1928年コッペル社製造で台湾の製糖会社で活躍後、
1977年から1984年まで西武山口線で使用されました。
後ろは井笠鉄道の1925年製造の木造客車で、
西武山口線経由で丸瀬布に来ました。
これも貴重なのですが写真はこれだけ…
動態保存の雨宮21号と西武532号。
パッと見、現役機の交換風景のようです。
残念ながら、西武532号は静態保存ですが…
今は532号機は屋根の下で保存されていて、
このような現役さながらの風景は見られないようですね。
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北海道私鉄
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丸瀬布は今でも雨宮21号が動態保存されていることで有名です。
1980年に動態復元されたとのことで、復活後もずいぶん長い活躍です。
今回は1994年に丸瀬布を訪問した時の記録を上げてみます。
雨宮21号が遊覧客車と丸太を乗せた運材台車を牽引します。
公園内には鉄橋もあります。
正面から見た雨宮21号。
まるで現役の森林鉄道を見るようです。
軌道は全長2kmにも及び、様々なシチュエーションが味わえます。
雨宮21号は1928年製造で、丸瀬布の武利森林鉄道が使用開始しました。
誕生から約90年間、丸瀬布一筋なんですね。
雨宮21号のサイドビュー。
小さな動輪3つのかわいいCタンクです。
遠くてなかなか機会はありませんが、いつかは丸瀬布を再訪したいです。 |
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北海道の長大4線で唯一第3セクターとして生き残った池北線。
池北線時代には間に合いませんでしたが、
3セクのちほく高原鉄道となってから訪問できました。
北見から池田に向かう途中、小利別駅で途中下車して撮影です。
駅から少し歩いて、単行の気動車が走るシーンを俯瞰撮影しました。
左奥の少し立派な建物が小利別駅です。
今ではこの辺りはゴーストタウン化しているとのことですが、
道路だけは立派なのが線路に並行して走っていました。
これではちほく高原鉄道も苦しかったでしょう…
小利別駅に戻って、次に乗る気動車を撮影しました。
ルピナスの花(でいいんですよね?)が綺麗に咲いていました。
結局、北海道長大4線で唯一残ったと思ったちほく高原鉄道も、
過疎化が進むなどで2006年には廃止になってしまいました… |
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釧路には1989年まで610mmゲージのナローが走っていました。
太平洋炭礦の専用線で特徴的な電機で有名でした。
凸型の電機、164号を陸橋の上から捕えました。
なんじゃこりゃって言うような薄っぺらさです。
踏切があるので架線を低くできず、やぐらの上にパンタを乗せているため、
このような薄っぺらい印象の電機になったみたいです。
後ろに貨車を1両だけつないだ編成がやってきました。
残念ながら短時間の滞在で、長編成の貨物列車の撮影はしそこないました。
今更ながら、丸一日をこの専用鉄道に費やせばよかったのに・・・
太平洋炭礦専用線はこの9日後の8月13日が最終運転だったようです。
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初めての北海道旅行。最初にやったことは三菱大夕張鉄道跡の探索でした。
大夕張鉄道は1987年に廃止なので、この時はまだ廃線後2年でした。
起点駅の清水沢からバスで南大夕張まで行き、廃線跡を歩いて戻りました。
南大夕張から清水沢までは7.6kmに過ぎませんが、ひどく暑かったです。
まずは南大夕張駅跡の全景。
左に駅舎、右にホームと除雪車、旧客、貨車が残っています。
廃線から30年近くたつ現在も変わらぬ姿で保存されており、
保存に尽力されている方々には頭が下がります。
ホームに残る除雪車キ1。1940年製造。
旧客ナハフ1。1937年製造の自社発注車です。
セキ。左のセキ1は1911年製造。
南大夕張駅舎。残念ながら解体されてしまいました。
南大夕張駅から歩いて遠幌駅に向かいます。
路盤はレールこそありませんが、きれいな状態で残っていました。
踏切にはレールも残っています。
沿線最大の見どころ、遠幌加別川橋梁跡。
この当時は立派な鉄橋が残っていましたが、現在は跡形もないようです。
唯一の中間駅、遠幌駅のホーム跡。
夏草に埋もれつつありました。
立派な遠幌駅舎。これも今では解体されています。
遠幌からさらに歩いて清水沢駅に戻りました。
このJRの駅舎は今でも現役です。
三菱大夕張鉄道廃止から2年しかたっていないだけあって、
この時の訪問ではまだ多くの遺構を見ることができました。
その後駅舎も鉄橋も解体されてしまったわけで、
廃線間もないこの時期に訪問した意味はあったのかなと思います。
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