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人のせいにはどれだけでもできる。
でも、それをどれだけ人のせいにしても無意味だ。なぜなら、全ての事は自分がしてきたことだから。
なぜ、この世で困る事が起きるのか?それは、全て自分がしてきたこと、それが時を経て自分に帰ってきているからだ。つまり、「因果応報」なのである。
だから、人のせいではない。全ては、自分が撒いてきた種なのだから、それを人のせいにしてはいけない。全て起きてきた悪い事を自分が犯してきた罪として謝っていく、それしか解決の方法はない。
頭ではそう分かっていたはずだった。
なのに、私は相手に同情してしまうことで、この法則を曲げようとしていた。
相手のことばかり責める彼に「気持ちはわかる。」と言ってみたり、問題の解決を彼自身に求めずに彼が矛先にあげた相手に求めてしまったり。「あいつのこういうやり方が気に食わない」「こういうことで自分は傷ついた」と言いつづけることを止めないで、相手のことばかり責めつづける彼に優しく接してしまった。
それを止めてくれたのは大人の人だった。不満ばかり言う彼に対してこの「相手のせいじゃない、自分のせいだ」ということをはっきり言ってくれた。
彼は泣いていた。そこまではっきり言われた事はなかったから。自分の見たくない、いやな事を見てしまったから。それを周りに見せてしまったから。
でも、こうやって諌めてくれる人がいなかったら、決して彼はこの不平、不満、悪口から逃れられなかった。何にも解決にならないどころか、人のせいにしつづけて、やがて彼は、法則の自分に向かう厳しさに耐えられず去ってしまっただろう。
でも、これは法則なのだから、曲げられない。自分よりもこの地球よりも大きな「法則」なのだから。人のせいにしてもどうにもならないのだ。そのことを身をもって教えてもらえた。
水曜日、深夜3時半までその話は続いた。その場には年長の方もいてくださった。皆そうはいっても平日のサラリーマンばかりなのに、
彼を何とかよくしようと思って発言して、言いたくない事を言ってくれたたくさんの方に本当に感謝したい。
そして、私は強くなろうと思った。相手に同情してしまう事、優しくしてしまう事が本当に人を思っている事ではないという事を教えてもらった。本当に彼のためを思うなら、言わなければならなかったのだ、はっきりと。それができずに彼を落としてしまうような事を結果として、してしまったことを謝っていかなければいけない。
本当に気づかせてもらってよかった。自分の周りにいる人たちに本当に感謝である。
法則は曲げられないのだ。
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