倫理的哲学的な森

日本に真のリベラリズムを定着させよう

時空の旅路

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夢と現実のはざ間で時空を旅する人間の魂。それはどこから来てどこへ向かって進んでいくのだろう。
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原点回帰の時


ゴールデンウィークの真っ只中、社会全体に何か活気が感じられないと思うのは私だけだろうか。主観の問題だから、自己の心理的投影か、はたまた、単なる思い込みの可能性もある。しかし、日本社会全体に疲労感や倦怠感が拡がっているように感じるのだ。

高齢化社会の反映もあろう。歳とともに肉体は衰え、精神的にも新鮮なものへの憧れも失う。死への恐怖と彼岸への憧れが交錯する。今の状況、平安貴族の精神状況に似ているかもしれないと、ふと思ったりもする。満たされすぎて満たされないのかもしれない。満たされているのか、満たされていないのか、分からないから満たされないのかもしれない。とにかく、肉体的飢餓と精神的飢餓は必ずしも一致しない。

原点回帰の時が来た。自分は何のためにこの世に存在しているか再確認すべき時である。残された時間を何に生きるのが自分にとって家族にとって世の中にとって最適なのか、自分で考えることが充実した人生につながるのではないかと思う。自分が何を求めているか、自分に問いかけることで生きるためのモチベーションが上がるというものだ。

私の知人はある時からプッツリとタバコを吸わなくなった。無意味なことだとわかったからだという。私もタバコをやめた一人だから分かるが、そう簡単なことではない。しかし、その知人はタバコとは完全に縁を切り、次の課題に取り組んでいる。酒やタバコを否定するものではない。人生の楽しみが永遠に酒やタバコだけというのではなく、そこを脱皮することから別の楽しみが生まれてくることも忘れないで、ということだが・・・。

精神貴族

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「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」漱石の引用だが、まことにその通りだから始末が悪い。しかし、世の中のせいばかりにしていいのだろうか。とかく私たちは、しなければならないことは棚上げし、しなくてもいい努力にあくせくして、人生を無駄に過ごしがちである。例えば、他人の目ばかり気にして、自分のしたいことを一つもできないとか、自分のしたいことすら分からないという人がいる。他人に迷惑をかけなければ、自己の良心に恥じない生き方なら、他人にどう思われようと、そんなことどうでもいいではないか。
かつて、「精神貴族」という言葉が流行った。高度成長時代の落とし子といえるかも。「貧しくとも心だけは豊かであろう」という人間らしい人間の必死の抵抗だったかも知れない。
21世紀の今日、精神貴族はますます希少な存在となってきた。拝金主義と無気力のはざ間で喘いでいるとさえいえる。他人におもねったり、自己を偽って生きるストレスは計り知れない。長い目で見れば、そして人間的視点から見れば、精神貴族こそ賢明な生き方といえるのではなかろうか。


人は自分が不当に扱われていると感じるとき理性を失う。ふだんから穏やかであれと心がけているつもりの私も、失わない自信は無い。血が逆流するほどの怒りを何度か経験した。怒りは身体に悪いということを実感した。それでもしばらくはおさまらなかった。
近頃とみに人の心が荒れてきたように思う。いじめや暴力は後を絶たず、ひき逃げや裏金に見るように人間性を疑うような行動が次々に発覚している。子殺し、親殺し、まさにモラルハザードである。
我々は人の心が傷つきやすく容易に立ち直れるものでないことを忘れてはいないか?多くの不当な扱いを他人事のように受け止めすぎているのではないか?自分の心の痛みを他に転嫁して癒しているのではないか?同じような卑怯な振る舞いをしていながら自分だけは許されると思ってはいないか?効率とか自己責任とか持ち出す前に、やるべきことがたくさんあるのではないか?
社会のモラルハザードを糾弾する前に自らのモラルを点検すべきである。他人にした仕打ちはブーメランのように必ず自分に戻ってくる。間違っても魔女狩りなどに走ってはならないと思う。

人間回帰


人が人を信じられなくなる時代が到来しつつある。今までの拝金主義は、他人よりも上になろう、裕福になろうという上昇志向から来るものだった。ある意味健全であった。これからの拝金主義は違うものになる。金しか信じるものがないから金に執着することになるのだ。当然、他人の人間性も、そして自らの人間性をも、否定するに至ることを覚悟しなければならない。そこまでして何が楽しいのか。人が人を信じられなくなってどこに生きる価値を見出せるのか、はなはだ疑問である。かつてルソーは自然への回帰を説いた。今まさに求められているのは人間への回帰である。人が信じられる社会をめざそう、そうでないと効率と金利だけの世の中になってしまいそうだ。

自由


他人に物事を決めてもらったらこれほど楽なことはない。何も考えなくて済むからだ。考えずに感覚的な快楽を追求することに慣れてしまうと、ふとあるとき、自分が何のために生きているか、と考え込むことになるだろう。現実を見つめているつもりが結構うまくマインドコントロールされていることに気づくだろう。一種中毒症状すら起こしている場合すらある。
この物のあふれた時代だからこそ、見直しの時代なのかもしれない。企業の提案、これこそ、うまく金を吸い上げるための企業の奥の手である。団塊の世代の大量退職期を狙ったさまざまな企画が行われているという。気をつけなければならない。老後の生き方こそ自分らしく生きる最後のチャンスなのだ。考えるのが億劫だからといって丸投げにしたら碌なことにはならないだろう。
自分で考え、自分で判断する、これがなければ、不安も不満も無くなる事はない。
自己に目覚めることなく真の心の安らぎはないのである。
自由に生きるということは自己に目覚めるということである。

あるがまま生きる自由を阻みしは おのが心のゆがみなりけむ

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