倫理的哲学的な森

日本に真のリベラリズムを定着させよう

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反省無き人々


今、目の当たりにしている出来事に考えさせられることが多い。因果応報、自然の摂理、人間の欲望、人間の弱さ、醜さ、身勝手さ、等々。しかし、数日来考えてきたのは、この期に及んでブッシュ政権を支持し続ける人たちの存在である。もしヒトラーがあの姿で現代に甦ったとしたら、もちろんほとんどの人たちは拒否すると思うが、熱狂的に支持する人もかなり居るのではなかろうかと思った次第である。

世界の人間は二つに分けられると思った。ズバリ、“反省する人々”と“反省なき人々”である。以前“反省猿”というのが流行ったが、ポーズだけの反省は、もちろん反省ではない。口先で“自分を客観的に見れるんです”と言うのも反省猿と同じだ。反省とは自らの存在の根源から問い直すことである。悔い改め、生まれ変わることである。そのために人間はこの世に生まれてきたと説く宗教もある。

人生は魂の修行の場であり、高められた魂だけが次の段階に進むことができる。それに失敗すれば、カルマを負いつつ生まれ変わって、何度でもこの世で修行を繰り返さなければならない。裏付けがないから仮説の域を出ないが、一つのモチベーションとして有効であることだけは断言できる。例えば、この世が面白くないから自殺する人。極めて短絡的で愚かな発想だ。そもそも人生は快楽追求の場ではないのだ。

快楽追求には果てがない。だから虚しい。富を得れば得るほど更に巨大な富が欲しくなる。満たされる日は永久に来ない。ある日ふとそれに気づく。そして富の虚しさ、快楽追求の愚かさに気づく。その日から生き方をがらりと変える。それが反省する人のあり方の典型だと思う。一寸先は闇、確かなものなど一つもない。その中で生き抜く宿命を我々人間は負わされているのだ。救いは我々の生き方の中にしか無い。

この大恐慌は歴史的変革につながるかも。困難な事態ではあるが、こういうことを体験できることを喜びとすべきかもしれない。もし、物質文明に疲れ、日々欲望の炎の中で、弱肉強食の地獄の中に埋没している自分を感じるならば今こそ転換点であろう。生き方は無限である。留まるもよし、高みを目指して一歩一歩登るもよし。ただ、反省なき人に救いは無い。反省し前向きに進み続ける、そうありたいものだ。

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正月。モチベーションの更新の日と考えてきた。しかし、この年になると、あと何回という気持ちの方が強くなるのも事実だ。若い人にはそれが無い。そこが若者の特権である。人生で何かを追い求めるとき、終末点を意識しないですむのはすばらしい。壮大な夢を抱くことができる。ところが、その只中ではそのことに気づかないことが多い。その特権を粗末にし、暴走したりもする。

その特権に気づき、暴走したい思いに駆られるのは我々むしろ“年配者”だ。しかし、残念ながら体力がついて行かない。中には若者を騙し嗾けて、己が邪な願望を遂げようとするワルもいるから、若者は警戒しなければならぬ。先の戦争中でも、純粋なるがゆえに戦争を正義と信じ、多くの若者が掛替えのない命を失った。真の自己実現のためならともかく、殺し合いに正義を求めるは外道である。

深く考えることだ。自分の行動に自分が責任を取るのは当然であるし、取らざるを得ない。法に触れると触れざるとに関わらず、人の道に反することをしても何の報いもない、と考えるのは愚の骨頂である。魂の根源を傷つけるその行為は、肉体の消滅とは無関係に、魂の古傷として永遠に残り続ける。過ちを繰り返すことほど愚かなこともない。我が国は外交手段としての戦争は捨てたのである。

モチベーションがあるから生きられるのだ。若者からモチベーションを奪ってはならない。老いてもモチベーションを持ち続けることが、若者への率先垂範である。伊能忠敬が日本初の全国実測図作成に取り掛かったのは隠居して幕府役人を辞した後だった。五十を過ぎてから西洋式の測量術を研究し始めたというから驚く。

決意さえあれば、実行は若いときより楽かもしれない。人生経験がものをいう。これぞ老いたる者の特権か。私も今“あること”に挑戦している。三月までに達成しようと思っている。落ち込んでいる暇など無い。

元旦に 期する所あり 初ブログ    公言した以上、やらなければ・・・・

所感 12・31 晦日にて


大晦日。一年の終わりということだが、人間の作ったものであることに違いは無い。明日の日の出と今日の日の出に変わることは無いのだが、そこを違ったものとしてけじめをつけるのが人間の通性かもしれない。もちろん天体とも連動している暦であるから、完全に恣意的に作ったともいえぬ。どんなに時代が変わっても正月が無くなることはないだろう。

日本人は何でも年中行事化するのが好きなようだ。迷信を次々に習俗化する。だが、神社に参るだけで合格するわけがない。その意味で正月行事をすべてすばらしいとは言えぬ。しかし、社会全体が、人類全体が、時の経過を共に意識する。その機会があるのは素晴らしいことではないか。バカ騒ぎや神社に参ることだけが正月ではない。時の経過をあらためて意識することこそ正月の意義ではないか。

正月は自らのあり方や社会のあり方を考える絶好の機会である。思念黙考の時と言ってもいい。客観的に己が人生を振り返り、新たな取り組みの手がかりを掴む、その意味でめでたいのかもしれない。結果ではない、経過を振り返るのである。確かに薬害患者の救済の道が開かれようとしている。しかし、そこまで辿り着くのにあれほどの紆余曲折が必要だったのか。そこに見えてくるものに気づくべきである。

それだけではない。年の変わり目には、やはり大きな流れの変化もあるようだ。そこに正月のもつ厳かさの根源がある。ここ数日、人知の及ばぬ、目に見えぬエネルギーのうねりの変化を肌で感じている。なんびとも抗えぬこの力こそ万物の根源根源に通じているのかもしれない。正月はこれを意識する絶好のチャンス。ここでいい流れをつかもう。これぞ正月の過ごし方の根本か。いいお年を。

我を捨ててこそ


多くの人間の持つ通性のひとつに「こだわり」がある。「こだわり」があるからこそ人間であり、「こだわり」ゆえに幸福になれないこともある。「こだわり」が問題になるのは、通常の場合、現実が見えなくなった場合である。「こだわり」があると前に進めない。「こだわり」の原因はさまざま、頑固、自尊、見栄、本能など。逆に「こだわりの味」とかのように、その個性を強調するのに用いられる原因もそこにある。

「こだわり」は固定観念の一種である。こうでなければならないと考えたら、現実を変えるか考え方を変えるかしかない。現実を変える努力をしない人、何でも妥協するような人は信頼されない。信念と「こだわり」の境界は微妙だ。情熱的な人とストーカーは紙一重かも。しかし、柔軟な考え方は生きて行くために必要な知恵だ。一生のうちに守り抜かなければならないことはそう多くは無い。切り替えや妥協も重要だ。

「こだわり」は妄想の域に及ぶこともある。まさしくストーカーだ。「自分しか彼女を幸せにできない」「自分しかこの国を治めることはできない」という、思い込みに基づく「こだわり」だ。パラノイアと言い換えてもいいだろう。他人まで巻き込んで不幸にするから気をつけなければならない。ちょっと引いて見れば分かることではないか。自分を客観視できない「こだわり」は「信念」とは似て非なるもの。一日も早い退陣が望まれる。

「こだわり」はいわば遊びのようなもの、危機感があればそんなことは言ってはおれない。社運をかけて、一切のこだわりを捨てて世に出した製品が大ヒットした例は多い。こだわりを捨てる、勝海舟が残した言葉「我を捨てて固まったものは容易には壊れない」に通じるものがある。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という格言にも通じる。少なくとも、小さなこだわりは捨て、自然の流れを大切にすることをお勧めするが・・。

幸福の原点


この世は快楽の世界か苦の世界か、とよく問われる。結論から言えば、どちらでもない。真面目に生きるのは息が詰まるといいつつも、快楽追求にも飽き飽きするのが人間である。具体的に言えば、カネがあったらいいのにと思いつつ、いざ有り余るほどのカネが入ったら使い道に困るのが普通の人間だ。高級マンション、高級車、宝石、ブランド物・・・無くても別に困らないものだ。要らないと思えば、何のことはない。

欲望は飢餓感の産物である。飢餓感が無くなれば欲望は消える。果てしない欲望というのは無いものねだりによるもの。現実を直視すれば、欲望のために身を削ることの虚しさに気づくはずだ。また、満足感を得るがためだけの欲望もある。最初の感動が忘れられず、次々に欲望を肥大させていく。ブランド物が出る度に買いあさり、気がついてみればバッグの山。高く売れるといっても高が知れている。とにかく、欲望の罠にはまらないことは幸せの条件である。

この世は苦だ、と求めて苦しむ人もいるが、いささか倒錯の世界を感じる。しかし、実は、ほんとうの意味での苦しみも、考え方次第で苦しみではなくなるのだ。快楽も苦しみも脳内ホルモンのなせる業に過ぎない。したがって、生きること自体は快楽でも苦しみでもない。快楽も苦しみも人間自ら作り出したものだ。日々淡々、ささやかな毎日の営みが人生だろう。そして、ささやかな出来事でも喜びを見出せれば幸せである。何も大それたことを為すことはない。

同じ生きるなら喜びに満ちて生きたいと願うのが、正常な感覚の持ち主である。そのためにはまず目覚めなければならない。欲望の虜になってはいないか、マインドコントロールされてはいないか、苦しみに自分を見失っていないか。目覚めると周りの世界が見えてくる。支えあって生きることが分かれば感謝の心が生まれる。それが喜びの原点である。その他のことはどうでもいい。小さなことだ。

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