心より発するもの

本とクラシック音楽を愛する弁護士「ねどべど」のブログです。将棋アマ四段です。

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第171回 NTT東日本 N響コンサート

2014年11月5日(水) 7:00pm

東京オペラシティ コンサートホール

指揮:梅田俊明
ピアノ:ボリス・ギルトブルク

グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

チャイコフスキー/交響曲 第5番 ホ短調 作品64

http://www.nhkso.or.jp/concert/search_concert.php

 3・11直後の2011年3月13日(日)、チョン・ミュンフン指揮チェコ・フィル@サントリーホール(ブラームス/交響曲第4番ほか)以来、めちゃ久し振りのコンサート。

 直前にチケットを取ったために、1階右端近くの前から3列目という、見晴らしが悪い席だったが、演奏そのものはとても良かった。

 ギルトブルクのロシア伝統の強靭な打鍵とクリアで美しい音色は文句なく素晴らしかったし、梅田さんのベテランならではの丁寧な音作りは安心して聞いていられた。チャイコフスキーの交響曲第5番の終楽章のコーダのテンポはとても適切だったと思う。

 それにしても、コンサートマスターの篠崎さん、しばらく見ないうちにめちゃくちゃ貫禄がついていた。どこのラスボスだよ、と思ってみていたら、演奏中、突っ込みたくなる仕草があれこれ多くて飽きなかった。

 とても楽しい一夜だったので、最寄駅の一駅手前で降りてiPhoneでマリス・ヤンソンス(21日にBRSO@ミューザ川崎のコンサートを聴きに行く!)のチャイ5の終楽章を聴きながら歩いて帰った。幸福という言葉は今夜のような日のためにあるのだとしみじみ思った。
「現代のベートーベン」佐村河内守氏のゴーストライターが語った!

週刊文春 2月5日(水)21時1分配信 


 広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」として知られる佐村河内守氏(50)が、実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった。

  桐朋学園大学作曲専攻で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)が週刊文春の取材に応じ、佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを明かした。

  佐村河内氏の代表作とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチ五輪のショートプログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も、新垣氏が作った楽曲だった。

  新垣氏はこう語った。

 「公表するべきか逡巡しましたが、やはり事実を明らかにして自分もお詫びしなければならないと思い至りました。このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが佐村河内氏の虚構を強化する材料にされてしまうのではないか、と」

  また、昨年3月に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家』では、佐村河内氏が東日本大震災の被災地を訪ね、津波で母親を失った少女のために『ピアノのためのレクイエム』を作曲する様子を密着取材したが、この曲も佐村河内氏の指示で新垣氏が作曲したものだった。番組では、佐村河内氏は「全聾」ながらも「絶対音感」を持つ「現代のベートーベン」と紹介された。

  新垣氏は近く会見で謝罪する。


 <週刊文春2014年2月13日号『スクープ速報』より>

佐村河内守氏"別人作曲"問題 - レコード会社「大きな憤り」「内容に驚愕」

マイナビニュース 2月5日(水)20時0分配信 

両耳の聴力を失った作曲家・佐村河内守氏が一部の作曲行為を第三者の手によって行っていたことが発覚した問題で、佐村河内氏のCD販売などを手がけるレコード会社・日本コロムビアが5日、公式サイトにコメントを発表した。

同日、佐村河内守氏の代理人弁護士から今回のことで連絡を受けたという同社は、「この内容に驚愕しており、大きな憤りを感じております」と寝耳に水。同氏のこれまでの作品については、「当然に本人からは『自身が作曲した作品である』との説明を受けており」とし、「更に、佐村河内守氏は自身が作曲者である旨を著作権管理団体に対して登録していることを確認の上で、販売を行って参りました」と説明した。

そのことを踏まえた上で、「しかしながら、当社より発売したCD等の商品につきましては、結果として、作曲者については不適切な表示であり、また、創作活動の背景などについても誤った表現をしたまま販売活動を行ってきたこととなります。この点につきましては、商品の発売元として責任を痛感しており、深くお詫び申し上げます」と謝罪。

今後については、「当社としても今回の事態に関する事実関係を精査した上で、再発防止策を検討して参ります」としている。

佐村河内氏は聴力を失った作曲家であることから"現代のベートーベン"と称され、2011年7月に発売した「交響曲第1番『HIROSHIMA』」は、クラシックとしては異例の10万枚を超えるセールスを記録した。

 私はいわゆるクラシック音楽のファンだが、佐村河内のことは寡聞にして知らなかった。彼の作品(とされてきた曲)も聴いたことがない。

 少なくとも作曲の分野では、他人が作った曲を自分の作品として発表することは(たとえ合意の上でも)非難されるべきこととされている。書き物の分野ではゴーストライターによる著作が無数にあるが、芥川賞の作品がゴーストライターの手によるものであることが発覚したらスキャンダルになるだろう。だから、佐村河内が今後激しく非難されても、それは仕方がないことだと思う。

 だが、作品(音楽)は、それ自体の内容で評価されるべきだ。今回の事件の発覚後も、フィギュアスケートの高橋大輔選手が使用曲を変更しないことにしたことは、当たり前といえば当たり前の対応だが、見識がある。

 今後、彼の作品(とされてきた曲)が急激に忘れられるような事態になれば、音楽の内容ではなく、音楽にまつわるストーリーが売れていたに過ぎないことが明らかになる。クラシック分野のヒットは、往々にしてこの種の話が少なくないが、残念なことだ。
読響桂冠指揮者ゲルト・アルブレヒトさん死去

読売新聞 2014年2月3日(月)23:06

 【ベルリン=工藤武人】読売日本交響楽団の桂冠指揮者、ゲルト・アルブレヒト氏が2日、ベルリン市内の自宅で死去した。

 78歳だった。がんを患っていたという。同氏の事務所が明らかにした。

     ◇

 高名な音楽学者を父に1935年、ドイツのエッセンで生まれた。ハンブルク音楽大などで学び、57年に仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、一躍注目を浴びた。72〜77年にベルリン・ドイツ・オペラの首席指揮者を務めたほか、88〜97年にハンブルク州立歌劇場の音楽総監督、93〜96年にチェコ・フィルの首席指揮者などを歴任した。

 読響とは97年に初共演し、98年に第7代常任指揮者に就任。2007年まで9年間務め、退任後は読響初の桂冠指揮者となった。在任中、2回の欧州ツアーを率いたほか、2000年の定期演奏会でグルリットのオペラ「ヴォツェック」を日本初演し、文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。12年に読響を指揮したのが最後の来日となった。

 チェコ・フィルの首席指揮者の印象が強かったので、ドイツ人であることを失念していた。

 スター指揮者というわけではなかったが(読売新聞も読響関係者でなければ無視したに違いない)、現場叩き上げの実力者で、チェコ・フィルとの新世界交響曲(ドヴォルザークの交響曲第9番、1995年録音、ポニー・キャニオン)は素晴らしかった。

 先日はアバドの訃報が世界を駆け巡った。愛聴していた指揮者が1人また1人と減っていくのは、物凄く寂しい。
伊指揮者アバド氏が死去

時事通信 1月20日(月)19時40分配信 

 【ローマAFP=時事】ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督などを歴任したイタリアの世界的指揮者、クラウディオ・アバド氏が20日、死去した。80歳だった。関係者がアバド氏の医師の話として明らかにした。 

 冥福をお祈りします。

 アバドは、私がクラシックにハマった1990年代には世界最高峰のベルリン・フィルの音楽監督の地位にあったが、誰からも世界最高の指揮者とは思われていなかった、不思議な存在だった。

 彼がベルリン・フィルの音楽監督に就任したのは、前任のカラヤンが辞任・死去した翌年の1990年、57歳の時である。当時、吉田秀和が著書の中でアバドのことを「若い」指揮者と表現していたことを覚えている。

 私が最初に影響を受けた評論家の宇野功芳はアバドを嫌っていたが、私が実家に帰省中にNHK・FMで聴いたアバドのブラームスが気に入り、好きな指揮者の一人になった。高校をサボってベートーヴェンの第九交響曲(ベルリン・フィル、SONY、1996年)を買いに行ったのは良い思い出になっている。

 アバドは、ウィーン・フィルやベルリン・フィルでは評価は低かったが、1980年代前半までのミラノ・スカラ座やロンドン響、ベルリン・フィル辞任後のルチェルン祝祭管、マーラー室内管との共演では、数々の名演を聴かせてくれた。

 おそらく、彼はキャリアを間違えた。相思相愛だったロンドン響の音楽監督を続けながら、たまに世界各地の名門オケに客演をするスタイルであれば、もっと高い評価を得られたに違いない。

 共産主義者といわれた彼が、権威主義的なウィーンとベルリンの街に囚われてしまったのは、大いなる皮肉というほかはない。

 合掌。
ドイツの指揮者サヴァリッシュ氏死去

2月25日 4時16分

ドイツを代表する指揮者の一人で、NHK交響楽団の名誉指揮者を務めるなど、日本ともゆかりの深い、ウォルフガング・サヴァリッシュ氏が亡くなりました。
89歳でした。

ウォルフガング・サヴァリッシュ氏は、ドイツ南部ミュンヘンの出身で、ウィーン交響楽団の首席指揮者を務めるなどドイツを代表する指揮者の一人で、ピアニストとしても知られています。
ドイツのバイエルン国立歌劇場やアメリカのフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を歴任するなど、欧米の主要なオーケストラやオペラの公演を手がけてきました。
また、NHK交響楽団で、1964年に初めて客演で指揮をして以来、ほぼ毎年タクトを振るなど日本とのゆかりが深く、NHK交響楽団では、名誉指揮者を経て1994年から「桂冠名誉指揮者」を務めてきました。
1999年には、国際交流基金が日本と海外との国際交流に顕著な貢献をした人に贈る、「国際交流基金賞」を受賞しました。
サヴァリッシュ氏が設立した基金などによりますと、サヴァリッシュ氏は22日、ドイツ南部のグラッサウにある自宅で亡くなりました。
89歳でした。

育ての親のような存在

亡くなったウォルフガング・サヴァリッシュさんは、1964年に初めてNHK交響楽団と共演して以来、楽員の育成にも力を注ぎ、1967年に名誉指揮者、1994年からは桂冠名誉指揮者となるなど、40年にわたってN響との交流を続けました。
サヴァリッシュさんが亡くなったことについて、NHK交響楽団の杉浦晃常務理事は、「N響を一流のオーケストラに導いてくれた育ての親のような存在でした。特に、彼が得意とするリヒャルト・シュトラウスをはじめ、ベートーベンやブラームスなどドイツの作曲家の曲を、共に作り上げ、重厚なドイツ音楽の核心をN響にたたき込んでくれました。彼がいなければ、今のN響はなかったと思います」と話しています。
そのうえで、「サヴァリッシュさんは楽員からも慕われ、2004年の共演のあと、サヴァリッシュさん側からも再び指揮をしたいという希望がありましたが、体調が回復せず、ご一緒できなかったのが残念です」と話していました。

 中庸の音楽を好む職人肌・学究肌の人だった。フルトヴェングラーら大巨匠の現役時代を知る最後の世代だった。

 私は、サヴァリッシュ&N響の演奏で、ドイツ・レクイエムを知った。晩年のBeethovenの第7交響曲の演奏も良かった。

 日本を贔屓してくれたことに感謝したい。

 冥福を祈ります。

 

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