遺品整理は進まず。

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父のPCの写真ファイルの中から、あじさいの花を見つけました。こうやってお部屋に飾っていたのですね。
 
この部屋もいつまでも借りていられるわけではないので、早く整理をしなければいけないのに、遺品整理は進みません。
 
父が逝ってからまだ3週間。親友の順子ちゃんのお父さんが亡くなって四年経つけれど、彼女曰く「うちなんて、まだできてないよ。」という。
 
亡くなる前の1ヶ月間くらいは、本当によく父から電話がかかってきて、「いつ帰れる?」と聞かれた。自分でわかっていたのだろう。私は、身体が疲れて、来週、来週、と思いつつも、帰れないでいた。
 
父が亡くなってから、こうやって父がまるで今にも帰って来て、
「なんや、来てたんか?」と、にこっと笑っていいそうな、そんなことを感じながら、ただここにいるだけで、お父さんを感じることができ、今回はそれだけで許してもらおうか。
 
ケーブルテレビの解約手続きして、借りてたDVD録画プレーヤー取り外して、これも、私の為に借りてたわけで、お父さん、使わなかったのにね、ちょっとTVの位置動かして、お母さん、このテレビ代わりに使こたらええなあ、って思いながら、何かを動かすと、ちょっと気も紛れたから、人に手伝ってもらって、やっぱり動かすほうがいいと思った。
 
でもね、まだ3週間でね。亡くなった後もね、ここは独り暮らしの部屋でね、お母さん、違う所に住んでるから、またここから、バス乗って、電車乗って、そこからまためっちゃ歩いて、やっとお母さんの家なのよ。遠い。ふたりは遠い。いっつも。
 
お母さんの手続きで、役所へ行ったりしないといけないけど、またその役所も遠い。用事進ませるの、大変やなあ。私正直、そんな時間あったら、もう少し、東京帰るギリギリまで、まだここにいたい。
 
母に泣きながら、そう電話したら「いいよ、そうしたらしいよ。」って。生前は、父のところにいると、母が少しすねていて、母のところに行くと、父が「もうこっちへは寄らんねんな」と焼きもちやいて、でも、今、お母さん、元気で生きてるから、ここにいてもいいって、心から思ってくれて、それが嬉しい。
 
こんどは東京で、彼が寂しい思いをして、「帰ってくるよね?」と。仕事があるんだから、帰らないわけに行かないでしょう、と返す。仕事があって、本当に助かってる。
 
この3週間、仕事(英語学校)で、毎日生徒さんたちの顔を見て、接しているうちに、かなり気も晴れた。私の受け持ってる、初心者対象のクラスがあり、これは寺子屋がコンセプトなのだけど、父の死を経験したので、親の死について、話し合ってみた。たいがい両方のうち、父親を亡くしているほうが数が多い。十人十色で、さまざまな話が聞け、お互いに心が打ち解けた。わざわざメッセージを送ってくれた生徒さんもいた。
 
つくづく英語力は関係なく、「伝えたいことがあるか」それだけだと感じる。伝えたいことがあるスピーチは胸に響く。
 
このPCで、父と入力するたびに、血血と変換される。父らしい。父と血は、直結してる。包帯と絆創膏は父の友達。傷薬がいつもテーブルの上にごろっと転がってて。パソコンの文字の変換の第一候補に、その人の普段の文字選択が見えるでしょう。私が使わない変換ばっかり出てくる。ブラインドタッチなんてもちろんできないから、ひとつひとつ指でキーボードを打っていた父。あんなスローな速さでよく打ってたなと思う。このブログも、この年で、よく挑戦していたと思う。
 
ここがもっとど田舎で、そのまま放っておいたらいいような環境で、家の周り中がひろーい大空と森と山みたいなところなら、いいのにな。お父さん、船乗りだったんだからさ、なにが言いたいのかな、この部屋、そうこの部屋ね、彼が見て、「船の中みたい!男の子の憧れの基地みたい!」って、言ってたの。前は部屋の中心に、船の舵が貼り付けてあったのだけど、そこでつい、ガンって、頭打つから、ついに外したの。この部屋ごとね、動いたらいいのにな、って思う。
 
卍丸、人に譲って、書類だけまだ、お父さんのままになってると、いつも船を手伝ってくれていた隣のおじさんが言ってた。父が亡くなるまで、実感としてわからなかった、彼にとっての船とはなにか、そういう想いが、だんだんわかってくる。
 
お父さんが生きてた時に、インタビューしたかったこと、いっぱいあった。自分のクラスで、親をジャーナリストになって、インタビューするのがいいと思う。知らないこと、たくさん知れるから。と、自分で提案しておきながら、それがなかなかできなくて、もう何年も思っていたのに。いいアイデアでしょ。お父さん、もう死んじゃったけど、でも、生きてるときにはわからなかったことが、わかる、ってこと、知らなかった。あまりスピリチャルなこと、わからないけど、伝わってくる、生きてるときとはまた違う、もっとクリアーで、あっさりしてる、シンプルなメッセージが、伝わってくる。
 
母親が、親戚が亡くなってお葬式のお知らせが来る前に、いつも全部わかってる人だったので、先にわかるの。いつも。そしたら、電話が鳴って、亡くなりましたと。なんでお父さんのとき、わかってなかったん?って思うけど、前日に、どこかへ行ってて、お母さんに連絡取れなかった。お父さんと、話できているのではないかと思う。そんな母だから。めずらしく、お父さんの話ばかりする。そんなん、嘘みたい。反発ばかりしていたのに。
お父さんの想いが強すぎてね。私も1回、布団引きっぱなしで、飛び出して、新幹線乗ったことがあって、携帯の電源電話鳴るなり切って(笑)でもお父さん、それから1週間も寝込んだらしいと父の友人から聞いて驚いた。親への反発は、若い時にしないと堪える。そう学んだ。あの時、60代後半だっかかな。30代の頃はよく一緒に旅したり、時間を過したなあ、喧嘩しながら。あれも、子供の時一緒に暮らしてなかったから、どこかでその時間取り戻そうと、してたんだよね、私は。
 
今電話が鳴って、「すみれ薬局ですが、お父さんいらっしゃいますか?」と。お薬取りに来るのもう大変そうだから、届けに行きましょうか、最近見えないから、という段取りのためにかけてきたらしい。ショックを受けてました。小説のようですね。こうやって、いろんな父の生活の模様が、後でわかっていくというのは。父を知っている人と、何気ない生前の生活模様を聞くのは、本当に嬉しい。父が生きていたことを知れる、というのはおかしい表現かもしれないけど。別に生き別れていたわけでもないのに。不思議です。
 
母が元気でよかった。お母さんは、100まで生きそうな勢いでよかった。いつもみんなに姿勢がいいねって、来月で77歳になるけど、自転車でどこにでもいく。無料のバス、一回も利用したことないらしい。
 
濃い父と母で、この二人がひとつ屋根の下は無理だっただろうと、妙に納得したりする。これから、少しずつまた母を知っていくのだろうと思う。みんな本当に、身内のこと、実は知らない。友人のことのほうをもっと知ってる。
 
父が亡くなった時、6月に入ったばかりだったのに、もう終わるんだなあ。
父のカレンダーに、2013年の予定が書き込まれてる。亡くなった日の8日にも丸が最初からついてた。何をする予定だったのかな。
 
2013年、平成25年、今年は、いろんなことが解決していく年のような気がします。
 
 
秀美

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