様々なブログの記事で、美しい空の写真を見るたびに羨ましくなり、仕事の都合やあれやこれやで住んでいる今の街が、本当に空が狭い事に驚かされてしまう。
だって…黄昏の写真一つ撮る場所がないのだから・・・。
「ああ、この夕焼けの美しいこと!」
と感嘆して即ダッシュしても、建物が少ない小高い坂の上に着いた時には、もうすでに空模様は変わっているのだ。
それでも昔は、山脈に囲まれたお椀の底の様な土地に住んでいて、なるほど空はここより狭い筈なのだが、それでも断然美しく、印象深かったと記憶している。
しかし幼少期に、片道5時間近く掛けて訪れた新潟の海で、果てしなく広い空と水平線に沈む夕日の、とてつもない大きさと燃えるような紅に衝撃を受けた。地元では西にそびえる北アルプスの為に、地平線まで高度が下がった太陽を見たことがなかったからだろう。
黄昏色を背にした夕日は海に近づくにつれ、いよいよ大きく紅くなる。そして最後の抗(あらが)いの為に一層高揚しながら、やがて地球の懐へと帰っていく。
「太陽とつがった海に、永遠を見た・・・」そんなアルチュール・ランボーの詩に大人になってから出会った時、幼い頃見たあの太陽を、あの海に溶け行く紅く大きな夕日を思い出して、思わず涙がこぼれ落ちた。
中央のファブリックのお魚はマタタビの匂いが沁み込ませてありまして、ニャンコに与えると
抱っこして顔をすりよせたり噛みついたりと、とても可愛いしぐさを 見ることが出来ます(^v^)b
先週の頭にブロ友さんより連絡を頂き、京阪百貨店が主催する、『ねこと動物達の雑貨市 』 というという催しものに足を運んだ。猫を初めとする動物たちの(やはりほとんどが猫なのですが)モチーフを、様々な作家さんが文具や生活雑貨、衣類などの製品に仕上げている。
そんな一角に、猫グッズのネット通販を行っている、『三毛猫にゃん太のショッピングモール』さんの売り場があった。
猫を愛し、優しく見守る眼差しを持った作家さんが創り出したグッズが並び、そんな逸品を心をこめてスタッフの方が説明をして下さる。どれも手に取ると温もりが伝わってくるようなものばかりだった。(売り場の様子)
そんなショップの壁面に、この催しを連絡した下さったブロ友さんの写した二枚の写真が展示してあった。(震災の写真)
二枚の写真はブロ友さんの住む大船渡の一風景だった。一枚は震災前の、もう一枚は震災後の津波で街が流され、一面に瓦礫が山となり地面を覆い尽くしている写真。二枚は同じ場所の同じアングルで、しかも同じ季節に撮影されていた。満開の桜が河川敷を覆い尽くし、春の緑に映えている和やかな震災前のその風景は、一瞬にして全てが波にさらわれ、桜も海水の中で容赦なく揉みくちゃにされ、夥しい瓦礫を足元に積みあげながらも、やっとの思いで花を咲かせていた。
一瞬にして街が流されたあの震災。建物のほとんどは破壊され瓦礫と化し、そして地平線まで続く広い空だけが残った。
人工物の無くなった空は果てしなく広い。しかしどんなに広かろうが、晴れていようが、この時の空の色は哀しい色をしていたと思う。
広い空ばかりを求めていても、そこには人の暮らしがあってほしい。木々が活気付き、小鳥が飛び交う空でも、やはり人の営みがあってこそ私達にとっての自然なのだろう。
人だって木々と同じ、動物たちと同じ地上の命なのだから、皆と一緒に広い空の一角に、慎ましやかに生きていきたいのだ。
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つけものわんこさん、こんばんは。
盛岡も山間の街ですね。「ぶるぶる煮えたぎりながら・・・」そんな情熱的な夕日が観られていたのですね。
本当は東京の方が空は広い筈なのに、やはり故郷の空は美しく印象深かったと思います。
信州松本は北アルプスに沈む夕日も絶景ですが、何と言っても日の出です!
空が明るくなり、まず北アルプスの峰の頂上からまるで彫刻にスポットが当たったがごとく、立体が照らされて、それが中腹に、そしてふもとに、そして松本平を西から東へと光の境界が移動していくのです。
あの日の出は他では見られないと思います。美しいです(^v^)
おお!浅間山も雄大ですね。その山のシルエットはどんなに素晴らしいでしょう。
わんこさんは水平線より山ですか。たぶん私もそうなのかもしれません。山が怖いと思ったことありませんね(^^)b
やはり山間育ちは山がないと落ち着かないのかもしれませんね。
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午前 1:51
つけものわんこさん、実は私も阪神大震災の時に、焼け野原になった長田の街を電車での移動中に見てしまいました。海岸線まで続いているのではないかと思うくらいの平地が続いていました。
恐ろしい光景でした。
未だにその路線にはよほどのことがない限り乗りません。あの時の恐ろしさが蘇り、心臓がドキドキします。
街は少しずつ復興していきます。神戸もそうでしたから…。しかし人の心の傷は癒えることがなかなかないと思います。
哀しみの記憶はずっと続くとい思いますが、でも、営みを取り戻そうとするのが人だと思います。
心から祈りたいです。
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午前 2:02
Pavlovさん、こんばんは。
学生時代に東京で過ごされていたのですね。空が狭いと気持ちまでが窮屈になってきますよね。おまけに土も少ないですし。
人が正常な暮らしをする為の最低限の空と土はどのくらいなのでしょうね。
多分都心では無さそうな気がします。
Pavlovさん、今は山間での生活ですか。何か落ち付きますよね、山が見える所って。それでいて美しい空があれば言うことありません。
あ…そう言えば特にお好きでしたよね。山が!
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午前 2:13
yamatoさん、こんばんは。
東京にお住みになっていたことがあったのですか。都心だと空はおろか、土さえもほとんど無いような状態ですね。無機質な中に人が暮らしていると、いったい精神はどうなるのでしょうね。
それに対応できる人もいらっしゃるので凄いです。私も無理です。たぶん。
今居るところはまだ自然はある方なのですが、正直言いますと、もう少し空の広いところに住みたかったなと後悔しています。
竹内 栖鳳の班猫ですか!まるで背中の毛の一本一本から猫の体臭が感じられます(^^)
実は猫の匂い好きなのですわ(^▽^)
たぶんよほどの猫好きなのですね。見ようによったら、何気に振り向きざまの美女に見えたりします。時々猫は美女よりも悩ましいしぐさをしたりします。
今度機会ありましたら、写真アップしますね(=^^=)
yamatoさん、しかし人の営みが全く感じられないところって、長い間住んでいられるでしょうか。
ときどきそういった大自然に抱かれたいと思うのですが、住んでいけるかどうか…。
でも魅力的ですが…。
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午前 2:44
karieさん、こんばんは。
光と闇とが混ざり合う、黄昏にそんな光景を感じます。なにか生への執着と死への羨望が入り混じるような・・・。
あるいは生と死の中間地点なのかもしれません。
まるで涅槃のような気がします。
確かに、同じ時間の同じ太陽を見ても、それに日没を見る人と日の出を見る人がいるのですね。
没する太陽と生まれ来る太陽、それは表裏一体なのでしょうか…。
太陽の運行とは或る種の神秘です。
太陽も神秘なれば、大自然も神秘ですね。
芸術の根元は大自然から与えられたもの…のような…(^▽^)ノ
自然物から得るものを大切にしたいです。人が及ばない壮大なものですね。
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午前 3:05
こんばんは、2:31鍵コメさん。
この間はお世話になりました。
ああいった情報はなかなか入ってきづらくて、今回お知らせ頂いてこちらの方がとてもありがたかったです。
写真掲示の事は私も同感です。あの写真を観られて皆様色々と感じられていたようで、私自身も震災をより実感することが出来ました。とても辛かったのですが、良かったと思いました。
そして沢山の作家さんやスタッフの方々が、復興のお手伝いをされているという事を知ることが出来て良かったです。
こちらこそありがとうございました。
[ 音乃 ]
2012/9/1(土) 午後 11:24
11:30 鍵コメさん、こんばんは。
何かのドキュメントで、人がいなくなったチェルノブイリで自然が謳歌している映像が流れていました。そうかと思うと難破船が魚たちの格好の住まいになっている映像も観ました。
人は自然にとったら不要なもの、かえって醜悪だ、と思った時期もありましたが、不思議なものです、無関係なもの、不要なものなどひょっとしたらこの宇宙にはないのかもしれない…なんて気にもなってきました。
全てが関わり合っている…。
「インドラの網」です(^v^)b
[ 音乃 ]
2012/9/2(日) 午前 1:25
8:32 鍵コメさん、こんばんは。
こちらこそです〜〜(>▽<)ご無事で・・・って変な言い方ですね。
この間の黄昏のお写真は素晴らしかったですよ〜〜!傑作です!
大気が不安定なのでしょうか、空模様が色々と変わって見えますね。そのせいなのでしょうか、この頃素敵な空のお写真を拝見させてもらっています。
確かに〜〜です…。悪いことの予兆ではないと思いますが…。
燃えるような夕日の色も、その時の心の在り様によったら、情熱であり、哀愁であり、母性であり、終焉であり…永遠であり…
本当に、ココロイロなのかもしれませんね(*^v^*)
秋の空…少し寂しい時もありますが、鰯雲が美しく、限りなく高い空にパンの笛の音が響き渡ります。
四季折々の空の色は美しいですね。日本に生まれて本当に良かった〜〜って思います(^▽^)
( ̄▽ ̄)ノ゙凸ぽちっと。ありがとうございます!
[ 音乃 ]
2012/9/5(水) 午前 1:23
永遠の永遠たる由縁を願うばかり。。
なぜなら。。
[ ヤナ・ヤヌー ]
2012/9/6(木) 午後 6:21
ヤヌさん、こんばんは。
永遠を願うばかり…なぜなら…?
こだまは…無垢だ。
太陽も無垢だ。
無垢なものは手酷くけがされる。
そういう運命だ。
でも…どんなにけがされても、結して汚れない。
それが無垢だ。
[ 音乃 ]
2012/9/7(金) 午前 1:16
いま
脅かされているから。。
[ ヤナ・ヤヌー ]
2012/10/4(木) 午後 4:12
ヤヌさん、こんばんは。
脅かされています…(><)
でも、最後には誰の手にも掛からなず、残るもの…かも…。
[ 音乃 ]
2012/10/9(火) 午前 0:34
学生時代からずっと東京で暮らしていて、横浜の泉区という農村地帯に引っ越した時、あまりの空の広さに「これからここで暮らすのか!」と感激した覚えがあります。
ランボーはいいですね。「永遠」、ゴダールの「気狂いピエロ」を思い出します。大好きな映画です。アントナン・アルトーはお好きですか?
2016/5/22(日) 午後 0:11
ゴダールの「気狂いピエロ」大好きな作品です!!詩的でありながら残酷あり幸福であり悲劇であり、疾走する若い二人は、まさにランボーそのものですね。二十歳を過ぎて間もなく筆を折った瞬間に、詩人ランボーは死して「永遠」は永遠になりましたね。
彼は詩人を捨てとっとと大人になり、彼の作品は永遠に刃物を突き付ける。
そんな彼に魅了されています。
実はアントナン・アルトーは一部の無声映画(映像)しか知らなくて、彼の演出した演劇を観たことがありません。
だたシュルレアリズムの無声映像は、現在のエログロナンセンスの映画よりも極めて控えめではありますが、強烈なイメージがあります。
もしお勧めのものがありましたらご紹介ください。とても興味があります。
[ 音乃 ]
2016/5/24(火) 午後 3:38
少しばかりにこにこさんにお聞きしたいことがあります。創造と狂気との関係をどう考えられますか?
例えばアルトーでも、若い時分から麻薬を常用していたしコクトーもアヘン中毒の治療中に「恐るべき子供たち」を執筆したようですし・・・。
常人でも感性の高い人ほどどこか狂気な部分があったりするのではないかと思ったりします。
能というのは非日常的な空間に誘います。狂気と隣り合わせの芸術です。たぶん能楽鑑賞した為にふと浮かんだのだと思います。
[ 音乃 ]
2016/5/24(火) 午後 3:49
ランボーがあのまま執筆し続けていたとしたら、狂っていたでしょうか。それとも作品が色あせていったでしょうか・・・。
[ 音乃 ]
2016/5/24(火) 午後 3:54
アルトーは詩人でもあり、私は詩集「神の裁きと決別するため」を持っています。ランボーがお好きなら、アルトーもお好きかもしれないと思って。
2016/5/24(火) 午後 7:39
狂気とまでいかなくとも、「病み」は「闇=非日常」なので、創造とは関係すると思います。しかし例えばアル中だった画家ユトリロはモンマルトルの白い壁を魅力的に描き続けましたが、晩年精神病が進むと色彩のある普通の絵を描くようになり、魅力が薄れます。狂気が必ずしも魅力的な創造に結びつくとは限らないと思います。
また、麻薬を使わなくても創作活動に没頭すれば脳内麻薬が分泌されますから、狂気は表現できます。狂気をうまくコントロールして創作する(作品を客観視する)ためには、むしろクスリに溺れないほうがいいと思います。
芸術は「異常だからいい」「平凡だからダメ」と決めつけられるものではない。創作者の思いがあり、受け手の感受性があり、答えのないものだと思います。
ランボーは書くことより生きることに面白さを感じたのかなあと思っていますが、真相はわかりません。
2016/5/24(火) 午後 8:13
にこにこさん、こんばんは。
アルトーの詩は読んだことありませんでした!!もしかしたら、ぐぐっとくるかもしれないですねぇ。
読んでみます〜(^O^)!
[ 音乃 ]
2016/5/25(水) 午後 11:47
ユトリロの晩年はその様でしたか。たしかに精神が破たんしすぎると想像すること自体が困難になるりますね。
文学でも芸術でも精巧なプロットを組む冷静さがあってこそ意外性のある作品が出来たりするので、むしろ精神はしっかりしている方が良さそうです。
創造時の狂気とは、たぶん自身で分泌している脳内麻薬なのだと思います。創作が得意な人って、脳内麻薬が分泌されやすい体質なのかもしれませんね。
だから凡人でも感心する作品を作る方がいらっしゃるのだと思います。
創造が苦しみではなく楽しみに出来る人は幸せですよね。
ランボーは残念なのです。そのまま書き続けてくれたらどんな作品が生まれていたのかと思うと。(三島由紀夫も)
作品も作者の成長と共に変化していきます。それは悪いことではないと思います。そして受け手の側も。
私は源氏物語を17の頃より読んでいますが、この年になって見えてきたことがたくさんあります。年を重ねたからこそ見えてくるものもありますよね。
作者も受けても重ねるごとに成長する。そして両者が刺激し合いながら成長していくのが、リアルな創造の醍醐味ですね!
[ 音乃 ]
2016/5/26(木) 午前 0:11