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僕の成人式は、平成7年1月15日でした。 成人式当日は日曜日で、その日は郷里の尾道で成人式の式典とイベントが開催されることになっており、僕もそれに出席することを予め決めていました。 前日の1月14日、当時大学2年生だった僕は、午後下宿していた大阪を発って新幹線と在来線を乗り継いで尾道に帰省し、その晩は家族と水入らずのひと時を過ごしました。 あくる日、つまり成人式当日は、午前中の式典とイベントは滞りなく終わり、午後からは小・中学校の同級生が集まって「成人式」を記念しての同窓会が開かれ、それにも参加しました。 翌16日、大阪に戻り、その日はテレビを観たりしながらいつの間にか眠りに就きました。 日付が変わって1月17日の明け方、まだ熟睡状態にあった中、物凄い音と揺れによって叩き起こされました。 ―地震だ。それも、ただの地震ではない。こんな強烈な地震を経験するのは生まれて初めてだ…。― 揺れが収まって、先ず最初にしたこと、というよりも無意識に起こした行動は、テレビのスイッチを入れたことでした。 「只今、関西地方を中心に大規模な地震がありました。各地の震度など詳しい情報はまだ分かっておりません…」 その後、時間が経つにつれて次々と明るみになる事実と、テレビで映し出される今まで観たことのない惨状。特に最も甚大な被害を受けた神戸の街の様子には、目を覆うばかりでした。僕には、神戸に伯父(母の兄)一家が住んでおり、その安否が気になって仕方がありませんでした。 ある程度落ち着きを取り戻してから、先ず尾道の実家へ電話。広島も地震に巻き込まれたとのことだったので、家族や親戚の安否を確認し、自分が無事であることを知らせました。その後、神戸の伯父一家の無事も分かって安心しました。 大学は当分の間休講となり、家族や親戚の無事が分かった途端、体のだるさを感じて体温計で熱を測ってみると、「39.0℃」。すぐに手持ちの風邪薬を飲んで、ほぼ1日布団へ潜り込んでいました。 これが、平成7年1月17日までの僕の4日間です。 「阪神・淡路大震災」から、今日でちょうど11年。僕にとってあの震災は自分の成人式と一つに繋がっているのです。
あの日を境に、日本は勿論、世界もきな臭く暗い方向へと進んで行った気がしてなりません。 僕にとって1月17日と8月6日は決して忘れてはいけない日であり、未来を生きる人々へも永遠に語り継がなければならない日であると思っています。 |
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ボクも当時大阪でした。2日後に救援物資をもって行った神戸の惨状は言葉では言い表せません。最近涙腺のゆるいボクは、昨日の大震災のニュースを見てあのときを思い出し、思わずウルッとしてしまいました。
2006/1/18(水) 午前 10:15
当時夜のバイトをしていたのですが、帰宅してTVをつけた時面に映った物は・・・。テロか何か起こったのではないかと思う程の惨状でした。
2006/1/18(水) 午後 1:24
前田クライフさん、救援物資を神戸まで持って行かれたんですね。自分はここにも書いた通り、震災直後は熱を出して何日か寝込んでいて、テレビで惨状を見ているだけでした。あの無惨な光景は2度と再び見たくないです。
2006/1/18(水) 午後 9:51 [ mannennetaro2005 ]
gokase takashi1118さん、戦争を知らない我々にとって、あの時の悲惨な光景は、生まれて初めて目の当たりにする「焼け跡」でした。テロも勿論ですが、地震などの災害も無くなってくれればと願わずにはいられません。
2006/1/18(水) 午後 9:54 [ mannennetaro2005 ]
「あの日」、私はいつもどおり、会社に出勤しておりました。
ラジオのニュースで「大きな地震が・・」という報道は耳にしておりましたが、会社でも特に話題にする者はおらず、お昼休みに・・。
食堂のテレビを観て初めて、「事の重大さ」に気付きました。
50キロ以上離れた京都の親類宅ですら「箪笥が全部倒れた。死ぬかと思った」という惨状だったのですから、兵庫の状況など聞くまでもなく・・ですよね。
同年、「観光に来てほしい。同情で敬遠されるより、お金を落としてくれるほうが嬉しい」という地元民の方のインタビューが印象に残って、ブルーウェーブを応援に。
ベニヤ板のホームになっていた新長田駅や、屋根のない三ノ宮アーケード、ホテルの窓から一望した、海沿いの仮設住宅・・。
いつまでも絶対に忘れてはならぬと、思います。
2009/1/27(火) 午前 2:35