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広島東洋カープ・黒田博樹。 この7月14日、東京ドームでの巨人戦で、プロ入り11年目にして通算100勝を達成。今年のオールスターゲームのファン投票では、「先発投手」部門でトップに選出され、今やカープのエースというよりも、「セ・リーグのエース」と言っても、決して過言ではないと思います。 黒田のこれまでの軌跡を語る上で、絶対に欠かすことが出来ないと思われるのが「親」の存在です。 黒田の父・一博氏は元・プロ野球選手であり、母・靖子さんは体育教師で、東京オリンピックで陸上の砲丸投げ選手として最終選考まで残った経歴の持ち主。つまり、月並みな言い方になりますが、「スポーツ一家」の出であり、「二世」ということになります。 大正13年に長崎・佐世保に生まれた父・一博氏は、軍隊経験を経て、社会人野球の八幡製鉄で活躍した後、昭和24年、南海ホークスに入団。セ・パ両リーグに分立後、昭和26年から28年にかけて、レギュラー・センターとして、チームのリーグ3連覇に貢献。昭和29年、この年結成された高橋ユニオンズに移籍。チーム名が「トンボ・ユニオンズ」となった翌昭和30年まで在籍し、昭和31年には大映スターズへ移籍して、この年限りで現役を引退します。8年間の現役生活で、年間100試合以上出場が5シーズンあり、高橋ユニオンズへ移籍した昭和29年には自己最高の132試合に出場しています。現役引退後、大阪でスポーツ用品店を営みながら、少年野球チーム「オール住之江」を設立。自ら監督を務め多くの選手を育て上げます。 昭和50年2月10日、一博氏が51歳の時、次男・博樹が誕生。父が監督を務める「オール住之江」で野球を始めます。お互いやり難かったようで、「贔屓している」と思われないように父は息子には特に厳しかったそうです。その父から野球を初めて間もない黒田少年が教えられたことは、「野球は1人じゃ勝てん」「小さくまとまったらアカン」「とにかく走れ」だったといいます。それに加えて、教育方針は「苦しまずして栄光なし」―。 こと野球に関しては厳格だった父親に対して、母親はどうだったのか。高校野球の名門・上宮高校に進学した黒田は、夏合宿で、監督が起床する朝6時半から就寝する夜10時まで外野フェンス沿いを走らされるという「常識外れ」とも取れる練習を課せられたことがありました。その4日目、他の選手の父兄が家まで連れて帰ってくれて、食事と入浴で立ち直り、その家の人が黒田家に電話すると、母・靖子さんの返事は「息子は倒れてもいいですから、今すぐ学校に戻して下さい」―。この時は流石に「なんちゅう親か…」と思ったそうですが、スパルタ体育教師として鳴らしたという靖子さんの厳格ぶりは父親以上だったのかもしれません。 ここまで書いてきて、これだけでも黒田博樹という1人のプロ野球選手が、いわば「心・技・体」の全ての面で両親の影響と薫陶を受け、今日に至ったのだということを窺い知ることが出来ます。特に父・一博氏の場合、その経歴の中で興味深いのが、南海ホークスから高橋ユニオンズへ移籍したことです。「強豪」だったチームとプロ野球史上最も「哀しい運命」を辿ったチームの両方でプレーした経験は、一博氏の人生だけでなく、50歳を過ぎて生まれた息子の生き方にも大きな影響を与えていると考えられます。 黒田一博氏は現在83歳。今でも「オール住之江」の総監督として選手たちを指導しています。靖子さんは数年前に60歳で亡くなり、大阪・堺市の本願寺別院で、夫が在籍した南海ホークスの功労者であった「親分」鶴岡一人、エース・杉浦忠の両人と共に、静かに眠っているそうです。 今、カープのエースとしてだけでなく、1人の選手として「孤軍奮闘」の感もある黒田博樹。
彼の心の中には常に生き続け、そして支えていることでしょう。父も、そして母も。 |
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スパルタとか根性とか、昨今の日本では死語のようになっていますが、厳しい世界に行けば行くほど、こういった経験が活きてくるんでしょうねぇ。
2007/7/19(木) 午前 10:40
プレーにしても、生き方にしても、今の黒田があるのは彼のお父さん、お母さんの教えの賜物であることは確かだと思います。
本人は勿論ですが、我々ファンも彼の両親には感謝しなければならないでしょう。
2007/7/19(木) 午後 9:58 [ mannennetaro2005 ]
このストイックな育てられ方が、今の彼を形成しているのでしょう。
彼の父親は、去年の件の「騒動」の時に、彼にどのような助言を
送ったのか・・興味深いですね。
2007/7/20(金) 午後 8:51 [ - ]
文藝春秋の「ナンバー」での黒田の取材記事では、かの「一件」に関しては誰にも相談しなかったと書かれていました。
恐らく、お父さんも助言はしなかったでしょうし、仮に求められたとしても突き放したかもしれません。しかし、それこそが黒田が両親から受けた教えの賜物であったと思うのです。
2007/7/20(金) 午後 9:41 [ mannennetaro2005 ]
超一流と呼ばれる選手はこういう尋常ともとれるような厳しい経験をしてる選手が多いように感じます。 心技体とよく言いますが、心が一番その選手の成功の鍵を握っているのではないでしょうか?
2007/7/21(土) 午前 10:07
黒田の「心」の強さを、他のカープの投手は見習って然るべきです。そうでなければ残留を決意した彼の「男気」がまったく無になってしまいます。
2007/7/22(日) 午前 1:10 [ mannennetaro2005 ]
「とにかく走れ!ひたすら走れ!という”非科学的指導者達”は、野球選手よりも瀬古利彦や宗兄弟のほうが足腰が強い・・とでも思っているのだろうか?」(玉木正之氏)
「投げ込み論争」「走れ走れ論争」(?)は、果たして何が「正解」なのか・・が非常に難しいのですが、「走れ派」の金田正一・鈴木啓示らの実績を考えると・・なんですよね。。
(そして、「黒田のいま」も含めると・・)
お父様の年齢は初めて知りました。ずいぶんとお年を召してからのお子さんだったのですね。。
日本球界では希少な「親子鷹」。素晴らしいスポーツ一家に、感謝!です。
2007/7/24(火) 午前 0:52
「投げ込み」や「走り込み」というのがどれだけ効果があるのかは正直分からないのですが、そうした「非科学的」で「非常識」とも思える練習に耐え抜き、やり遂げたことで身に付いた強靭な精神力こそが今の黒田を作り上げる下地になったのは確かだと思います。
「親子鷹」でありながら、それを表に出すことなくプロとしてここまでやって来たのも黒田の「強さ」の表れだと思うし、また両親の教えの賜物でもあるのでしょう。
2007/7/24(火) 午後 10:56 [ mannennetaro2005 ]
ごめんくださいませ。黒田博樹投手のお父さんは大正生まれ、しかも親子の年齢差が大きいにございます。もしお父さんが早く結婚していれば、
2015/9/7(月) 午前 0:35 [ まこちゃん ]