万年寝太郎徒然日記

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映画監督・新藤兼人

映画監督・新藤兼人。
明治45年4月22日生まれ。95歳。
現役最年長にして、唯一の明治生まれの映画監督であり(新藤監督に次ぐ現役最年長の市川崑監督は大正4年生まれ)、現在でも脚本・監督の両面で精力的に活動する姿には、ただただ脱帽するばかりです。

広島県佐伯郡石内村、現在の広島市佐伯区五日市町の裕福な農家に生まれた新藤監督が、映画の世界に入ったのは、多額の借金が原因で一家が離散した後、尾道で警察官を務めていた兄の家に居候していた頃に見た山中貞雄監督の『盤嶽の一生』(昭和8年、サイレント作品)に感激したのがきっかけでした。1年半の臨時雇いで金を貯めた後、何の当てもないまま昭和9年に京都に出ます。新興キネマ現像部でのフィルム乾燥の雑役から映画人生をスタートさせた新藤監督は、目標とは遠い辛い水仕事を1年ほどしていた間、撮影所の便所の落とし紙から、映画がシナリオというものから出来ていることを初めて知ります。
新興キネマ現像部の東京移転に同行して美術部門に入り、美術助手をしながらシナリオを書き続け、昭和16年、溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』の「建築監督」として1年間京都に出向したのを機に溝口に師事。戦後の昭和22年、終生の盟友となる吉村公三郎監督と組んだ『安城家の舞踏会』(松竹)が大ヒットした上、キネマ旬報ベストテンでも1位を獲得、シナリオライターとしての地位を確立します。昭和26年には『愛妻物語』(大映)で監督デビュー。この年のキネマ旬報ベストテンで10位に入り、映画監督としての地位も築きます。

長い映画人生の中で、新藤監督は日本映画において異色の、そして特筆すべき功績を残しています。
真っ先に挙げられるのは、新藤監督は日本のいわゆる「インディペンデント映画」、つまり「自主制作映画」の先駆者であり第一人者であるということ。昭和25年、「新藤のシナリオは暗い」と映画会社からクレームをつけられたことをきっかけに、自らの作家性を貫くため新藤監督は松竹を退社し、吉村公三郎監督や俳優の殿山泰司らと独立プロダクション「近代映画協会」を設立。翌年には『愛妻物語』に主演し、後に妻となる乙羽信子が大映を退社して参加。日本映画の衰退で大手映画会社の経営が困難になる中、少ない製作費で自由な映画表現による優れた作品を次々と世に送り出します。戦後初めて原爆を直接取り上げた映画『原爆の子』(昭和27年)は、昭和28年のカンヌ映画祭に出品され、欧米では作品の内容や公開を巡って物議を醸しました。莫大な借金苦に陥った近代映画協会の「解散記念映画」として作られた『裸の島』(昭和35年)は、瀬戸内海の小さな島を舞台にそこに生きる一家の姿を全編セリフなしで描いた作品で、モスクワ国際映画祭でグランプリを獲得。新藤兼人の名が世界的に認められ、世界62ヶ国に作品の上映権を売ったことでそれまでの借金も完済しました。

人間の「生」や「性」をテーマにしたものや社会派作品、恩師・溝口健二の生涯に迫った作品などを監督として次々と発表しながら、自らの映画製作と並行して、「頼まれた仕事は断らない」を信条に、盟友の吉村公三郎をはじめ、木下惠介、川島雄三、増村保造、鈴木清順、深作欣二といった監督たちによる作品の脚本を多く手がけ、テレビドラマや舞台作品を含めてこれまで手がけた脚本は370本に及び、多くの賞を受賞しました。
そして、新藤監督を語る際に決して忘れてはならないことは、『原爆の子』以来、「原爆」や「核」というテーマに一貫して取り組んで来たことです。昭和29年、アメリカ・ビキニ環礁で行なわれた水爆実験の犠牲となった「第五福竜丸」とその船員たちの悲劇をドキュメンタリータッチで描いた『第五福竜丸』(昭和34年)や、昭和20年8月6日の広島への原爆投下の犠牲となった移動演劇隊「さくら隊」の人々が死に至るまでの経緯を描いた『さくら隊散る』(昭和63年)は、いずれもキネマ旬報ベストテンに入賞し、また、広島に原爆が投下された瞬間を描いた『ヒロシマ』という映画を作ることに、現在でも意欲を燃やしているそうです。

長年の映画製作での功績が認められた新藤兼人監督は、平成9年に文化功労者、平成12年には文化勲章を授与され、平成17年には、映画を通じて平和を訴え続けたことが認められ「谷本清平和賞」を受賞しました。平成8年には、日本の独立プロ50社によって組織された日本映画製作者協会が、その年度で最も優れた新人監督を協会所属のプロデューサーが選出する「新藤兼人賞」が創設され、現在まで続いています。
新藤監督が設立した近代映画協会は、一時は百近くあった独立プロのうち唯一成功して現在も存続しており、息子の新藤次郎氏は近代映画協会社長兼プロデューサーを務め、孫の新藤風さんは女流映画監督として活躍しています。
この秋から新作映画の撮影に入るという新藤兼人監督。映画への情熱はまだ衰えないようです。

閉じる コメント(8)

domo!進藤監督は真道を通してる感じがしますね。
それよりも万年さんの記事が久々でお元気そうなのでホッとしました!(^^)

2007/8/25(土) 午前 9:59 [ - ]

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はじめまして!私も『第五福竜丸』見て吃驚しました。
またお邪魔しますね!

2007/8/26(日) 午後 4:54 [ りんご ]

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花形さん。
新藤監督がいなければ、日本の自主制作映画活動も今ほど活発に行なわれていなかったことでしょう。ということは、日本映画の流れも全く違ったものになっていた訳で、日本映画を代表する監督であるだけでなく、日本映画にとっては「恩人」と言っても良いのかもしれません。

2007/9/2(日) 午後 7:51 [ mannennetaro2005 ]

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りんごさん。
「原爆」や「核」というテーマに一貫して取り組み、映画を通じて平和を訴え続ける新藤監督の精神が、これからも脈々と受け継がれて欲しいです。

2007/9/2(日) 午後 7:53 [ mannennetaro2005 ]

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寝太郎さん、お久しぶりであります。
新藤監督はカゴメもここ2年ほどで観始めた監督さんですが、観れば観るほど引き込まれる作品ばかりで、なんで今まで観なかったんだろうと臍噛むでありますよ。
特に「鬼婆」と「裸の島」は日本を代表する傑作と思うですよ♪

2007/9/22(土) 午後 6:33 [ カゴメ ]

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全編殆どセリフなしの『裸の島』。
初めてこの映画を見た時、最初は「何だこれは?」と正直思ったものですが、舞台となった瀬戸内海の風景の美しさとストーリーにいつの間にか引き込まれてしまいました。
人間がひたむきに生きる姿を描いた、日本映画の隠れた傑作だと思います。

2007/9/24(月) 午前 10:45 [ mannennetaro2005 ]

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はじめまして。私も大尊敬してる監督です。最近では「ふくろう」「陸に上がった軍艦」に感心しました。

2007/11/15(木) 午後 11:41 hitomi

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こちらこそ初めまして。
この夏、新藤監督は新作の撮影を広島で行ないました。まだまだお元気で活躍されています。

2007/11/16(金) 午後 11:06 [ mannennetaro2005 ]

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