万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

全体表示

[ リスト ]

「ちりとてちん」由来

東京と上方で、古典・新作を合わせて何百何千はあるであろう落語の題名の中で、今最もよく知られているものと言えば、やはり「ちりとてちん」ではないでしょうか。
先週は、同じ某局のラジオで1週間に2回、しかも東京と上方の両方のものを聴きました。長年落語と親しんでいますがこんな経験は初めてのことで、これも今この時期だからこそなのかもしれません。

古典落語の1つに数えられる「ちりとてちん」ですが、この噺そのものは比較的新しい演目になります。「ちりとてちん」について語る上で、江戸落語の「酢豆腐」に触れない訳にはいきません。
「酢豆腐」は、江戸時代中期の宝暦13年(1763年)に書かれた『軽口太平楽』が原話とされ(他にも諸説あり)、明治から大正・昭和にかけて活躍した三代目柳家小さんの弟子で、放蕩の末に目が不自由になったことから「盲目の小せん」と呼ばれた初代柳家小せんが現在の型に確立したと言われています。
夏の暑い盛り、町内の若い衆が寄ってたかって酒を呑む相談をしています。酒はあるが肴がない。糠味噌はあるが、誰も糠味噌樽に手を突っ込みたがらない。昨夜買った豆腐は、与太郎が鼠がかじるといけないからと釜の中に閉まったために、暑さで腐ってカビが生えている始末。どうしたものかと困っている所にやって来たのがキザで半可通の若旦那。「食通」などとおだてられた末に、この腐った豆腐を食べさせられてしまいます。「これは『酢豆腐』でげすな」と答えた若旦那、若い衆に「もう一口」と勧められて一言、「酢豆腐は一口に限りやす」―。
これに対して、上方落語の「ちりとてちん」は、旦那が何かと知ったかぶりをする男を懲らしめるため、偶然台所で腐っていた豆腐を「長崎名産・元祖ちりとてちん」なるものに仕立て上げて食べさせます。あまりの味の酷さに苦しむ男、旦那に「どんな味や?」と尋ねられ、「ちょうど豆腐の腐ったような」―。

では、江戸の「酢豆腐」が、いかにして上方で「長崎名産・ちりとてちん」へと変わったのか。やはり三代目小さんの弟子に柳家小はんという落語家がいました。この小はんという人が訳あって東京にいられなくなり、一時上方にいた時期がありました。その時に演じた噺の1つが「酢豆腐」を改作した「ちりとてちん」で、後にこの噺が「爆笑王」の名を恣にし、上方落語界の人気を一身に集めた初代桂春團治によって演じられたことから、上方落語として定着することになります。「ちりとてちん」というのは三味線の音から来たもので、浄瑠璃(義太夫)好きの連中が巻き起こす騒動を描いた「軒付け」という上方落語の中でも、「ちりとてちん」が大活躍(?)します。

さて、「ちりとてちん」の生みの親である柳家小はんは、大正12年(1923年)の関東大震災の後、東京に戻ります。翌大正13年(1924年)に真打ちに昇進し、弟弟子の柳家小山三(こさんざ、後の五代目古今亭今輔)、三代目三遊亭圓楽(後の八代目林家正蔵=彦六)と共に「落語革新派」を結成する一方で、上方で覚えた落語を東京に移植します。この時、「酢豆腐」を改作した「ちりとてちん」も「逆輸入」という形で持ち帰り、東京の主に「柳派」の落語家たちに広まって行きます。小はんの師匠である三代目小さんも上方落語の多くを東京に移植した功績で知られた人であり、この点に関しては「師匠譲り」であったということでしょう。こうして、江戸の元祖「酢豆腐」と共に上方生まれの「ちりとてちん」も東京の落語として定着し、「酢豆腐」は八代目桂文楽、六代目三遊亭圓生、古今亭志ん朝らによって、「ちりとてちん」は主に五代目柳家小さんと彼の弟子達によってそれぞれ演じられ、更にそれぞれが後進の落語家達に継承されて今日に至っています。上方の「ちりとてちん」が、今ではポピュラーな爆笑ネタとして定着していることは言うまでもありません。

ある1人の落語家の紆余曲折が新しい落語を生み出すきっかけを作り、その落語がこれまた紆余曲折を経て東西で演じられるまでに至り、後にテレビドラマのタイトルにまで「出世」を果たすことになるという、「ちりとてちん」由来の一席でございます。

閉じる コメント(4)

「ちりとてちん」南光さんのが面白いですね!

2008/2/11(月) 午後 9:02 らくこや

顔アイコン

今上方で演じられている「ちりとてちん」の原型は、南光さんのものだと思われます。

2008/2/14(木) 午後 9:19 [ mannennetaro2005 ]

アバター

初代 春團治がたくさんのSPレコードを残してくれたと云う事は、戦後、上方落語の火が消えかかった時に、伝承する資料として大いに役立ったのではないかと思います。
柳家小はんの資料がほとんど無いまま、私は記事を書いてしまいましたが、今輔と馬楽の「落語革新派」の一員だったと云う事を、万年さんの記事で初めて知りました。ありがとうございました。また勉強させて下さい。

2008/2/18(月) 午前 7:33 藪井竹庵

顔アイコン

柳家小はんという人は、その晩年が定かではないということで、その点からも「忘れられた落語家」という印象を強く感じます。
「ちりとてちん」という落語を世に出したというだけでも、落語史上に残る存在として語り継ぐべきだと思います。

2008/2/24(日) 午前 0:41 [ mannennetaro2005 ]


.
mannennetaro2005
mannennetaro2005
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事