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いつも帽子を被り、2本の前歯の間にタバコを挟んでカメラのレンズに向かう。 映画ファンに留まらず、市川崑監督のイメージとして誰もが真っ先に思い浮かべるのは、撮影現場で「定番」だったこのスタイルではないでしょうか。 撮影現場でのスタイルがほぼ一定していた観があったのと対照的に、映画監督・市川崑の世界は広範囲に渡り、各年代ごとに新しい代表作や話題作を世に送り出し、しかもその創作意欲が衰えることはありませんでした。 それまでにない斬新な映像表現で、実験的な前衛映画で評判を取っていたフランスの詩人・ジャン・コクトーに引っ掛けて「コン・コクトー」のあだ名が付いたという、新進監督だった30代の昭和20年代。東宝を飛び出し、日活や大映を拠点に傑作から異色作まで量産した40代の昭和30年代。初のドキュメンタリー作品『東京オリンピック』(昭和40年)で大ヒットを記録し、「四騎の会」を旗揚げする一方で、時代劇『木枯し紋次郎』(昭和47年)でテレビにおいてもその才能を発揮した50代の昭和40年代。『犬神家の一族』(昭和51年)に始まる石坂浩二主演の「金田一耕助シリーズ」で新たなファンを開拓した60代の昭和50年代。そしてセルフリメイクを積極的に行なうなどコンスタントに映画を撮り続け、最後まで創作意欲を燃やし続けた70代から晩年にかけての昭和の末から平成の今日までと、半世紀を超える映画監督生活の中で、絶え間なく映画を撮り続け、『おとうと』(昭和35年)『細雪』(昭和58年)などの文芸作品から『四十七人の刺客』(平成6年)などの時代劇、ミステリーにコメディー、更に『ビルマの竪琴』(昭和31年・昭和60年)『野火』(昭和34年)に代表される「戦争」と「平和」をテーマにしたものやカルト的な作品まで、手がけたジャンルも多岐に渡りました。それが「作家としての主体性のなさ」と批判される要因にもなりましたが、どのジャンルの作品も独自の手法を取り入れながらそつなくこなした点で、日本映画史上でも稀有な監督であったと言えるでしょう。 作品のジャンルの幅広さは、主演した俳優・女優からも窺い知ることが出来ます。市川雷蔵主演の『炎上』(昭和33年)『ぼんち』(昭和35年)『破戒』(昭和37年)では、時代劇スターとしての地位を確立していた雷蔵の新たな演技の一面を引き出します。石原裕次郎主演の『太平洋ひとりぼっち』(昭和38年)は、「石原プロモーション」の第1回作品。こちらも裕次郎のこれまでと違う演技を引き出し、映画への情熱に燃えていた彼の思いに応える映画となりました。高倉健は『四十七人の刺客』で大石内蔵助役で主演。女優では、吉永小百合が『細雪』で初出演した後、『おはん』(昭和59年)『映画女優』(昭和62年)『つる―鶴―』(昭和63年)で主演。山口百恵の最後の映画となった『古都』(昭和55年)では、彼女の「映画女優」としての「有終の美」を飾ることに一役買う役目を果たしました。世代も違い、キャラクターもそれぞれ異なるこの5人のスターの主演映画を全て手がけたのも、多彩な作品を撮り続けたこの人ならではではないでしょうか。 どんな作品においても常に新しい映像のスタイルに挑み続けたことで「映像の魔術師」と呼ばれ、それが晩年まで衰えることのなかった旺盛な創作意欲と、いつまでも若々しいセンスの源にもなっていました。その才能は、「記録か芸術か」と物議を醸しながらも国際的評価を得た『東京オリンピック』や「金田一耕助シリーズ」5作品でも如何なく発揮されていますが、それらが培われたのは、この人の映画界での出発点が、現在の東宝の前身である「J・Oスタジオ発声漫画部」、つまりアニメーションの分野だったという、映画監督の中でも異色の経歴を持っていることとも決して無縁ではなかったと思われます。 映画監督・市川崑を語る上で決して忘れてはならない人物が、妻であり、映画作りにおける最大のパートナーでもあった脚本家の和田夏十(わだ・なっと)。市川監督がデビューした昭和23年に結婚後、「二人三脚」で映画を作り続け、市川崑作品を支えてきました。監督自身、「私が映画人として唯一出来たことは、『和田夏十』という脚本家を生み出したことだ」と語っていたそうです。和田夏十さんは昭和58年に亡くなりますが、その後も創作意欲が衰えるどころか寧ろ高まって行ったことからも、市川崑という人の映画への愛情と、決して「若さ」を失うことのなかった一面を垣間見ることが出来ます。 今年、平成20年は、市川崑監督にとって監督生活60年の節目の年でした。
一昨年、90歳で『犬神家の一族』を30年ぶりにセルフリメイクして健在ぶりを見せ付け、最近でも20〜30本の企画が挙がっていたそうです。 この2月13日、92歳で亡くなるまで映画ファンを魅了し続けてきた市川崑監督は、本当に偉大で物凄い映画人であったと思います。 |

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ショーケンさん主演「股旅」
豊さん主演「幸福」もよろしく(‘‘
優作さんとも仕事してほしかったです。
ジュリーさん主演で「沖田総司」の企画もあったそうで、この企画が実現していたらと残念です。
2008/2/24(日) 午後 5:20 [ - ]
以前、件の「東京オリンピック」について、井筒監督が「批判的」
な論点で評論してる記事を目にしたのですが、彼のバックボーンが
アニメ分野だったという事をこの記事を見て始めて知り、
なんだかすごく「納得」しました。
出発点が違うことにより、「既存」の枠に収まらない
より広い視野での映画製作が可能になった、という事も
言えるでしょうね。
(勿論、元々の才能や努力もあったのは当然ですが)
年齢的にも、充分天寿を全うされたと言ってよいのかも
しれませんが、故人の存命中のあくなき向上心を考えれば
なお、やり残した思いがあったかも・・ですね。
2008/2/24(日) 午後 9:05 [ - ]
玉木正之さんの「市川作品ベスト3」は、1)『ぼんち』2)『破戒』3)『東京オリンピック』なのだそうです。
http://www.tamakimasayuki.com/
「東京オリンピック」は2度観ましたが、「記録」であれ「芸術」であれ、文句なしに素晴らしい「スポーツ映画」だと、私は思います。
「ビルマの竪琴」は、「中井(カラー)版」を弟と劇場で見ました。
あの年は、「タイガース・フィーバー」年。劇場を出た後、すぐに神宮で優勝へ驀進するタイガースの試合を観たのですが、二人揃って映画の余韻が抜け切らず、試合終了の目前までボーッとしていたのを憶えています。
永六輔さんの番組では、「トッポジージョの映画(!)で、市川さんと喧嘩して、勘当されたんだ」という、意外なお話も・・。
「ディズニーに憧れて、アニメから入った人」というのにも、驚きでした。合掌。
2008/2/24(日) 午後 9:59
(連続ですみません)
「破戒」の原作者、島崎藤村氏は、私の母校の「大先輩」に当たります。
最近すっかり「邦画贔屓」になりつつあるので、「映画黄金時代」の作品、どんどん観てみようと思っています。レクチャー、宜しくお願いいたします。
2008/2/24(日) 午後 10:02
「東京オリンピック」の映画は、学校で見に行きましたが・・・それまでのドキュメンタリーの手法とは、ちょっと違ってましたね。
その手法が、当時は、かなり批判されました。今は、あらゆる側面から捉えて描くってのが普通になったのですが、当時は、何で100メートル走のスタートをスローモーションにしたり、選手の苦悩の表情を出すんだ・・・ってのがあったんです(^ω^)
つまり、スポーツ・ニュースの延長として、この映画が捉えられてしまって、映画作品とは見られなかったってのがあったんですね。
2008/2/25(月) 午前 8:38
花形さん。
『股旅』は『木枯し紋次郎』が終わってすぐの作品で、『幸福』はエド・マクベイン原作のものですね。
代表作だけでなく、「こんな作品もあったなあ」と思う作品が多いのも市川崑監督の特徴かもしれません。
2008/3/9(日) 午後 8:09 [ mannennetaro2005 ]
ハム太郎さん。
映画監督としての出発点がアニメであること、1つのジャンルに留まらず既存の枠に収まらなかったこと、このいずれもが市川崑という映画監督の「全て」であったと思います。
2008/3/9(日) 午後 8:10 [ mannennetaro2005 ]
甲府さん。
玉木さんはかなり年季の入った市川崑作品のファンのようですね。
『ぼんち』『破戒』は『炎上』と並ぶ、崑監督の「市川雷蔵3部作」とも言える作品ですが、記事にも書いた通り、時代劇スターのイメージが強かった市川雷蔵の違う魅力や演技力を引き出したという点でも、崑監督の功績は大きいと思います。
『東京オリンピック』は、アトランタオリンピックの頃にNHK−BSで放送されたものを録画して、今でも保存してあります。また見直そうと思っています。
崑監督は、映画版『銀河鉄道999』では「監修」を務められたそうです。アニメ出身であればこそだと言えます。
2008/3/9(日) 午後 8:16 [ mannennetaro2005 ]
(続き)
昭和31年公開の『ビルマの竪琴』のオリジナル版に主演された安井昌二さんは、「自分が出演した映画であれほど泣いた映画はない」と仰っていたそうです。
中井貴一さんは、お姉さんの中井貴恵さんもデビュー作が『女王蜂』だったこともあって、姉弟で崑監督とは繋がりが深い人でした。
「次の作品」の出演を依頼されていたそうで、監督がまだまだ映画への情熱や意欲を持ち続けていたことが、このことからも分かります。
2008/3/9(日) 午後 8:20 [ mannennetaro2005 ]
藪さん。
『東京オリンピック』については、当時の大臣からも内容についてクレームがついたのを、監督自らその大臣の家に出向いて、自らの製作意図を説明して納得させたそうですね。
「あらゆる側面から描く」という手法をいち早く取り入れたというのは、常に新しいスタイルを考え、生み出してきた監督の映画人生の一端を表わしていると言えますね。
2008/3/9(日) 午後 8:24 [ mannennetaro2005 ]