万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

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昭和11年2月26日。
東京市街は、前夜から降り続いた雪によって、辺り一面が真っ白に覆われていた。
その雪の中の静寂を一気に打ち破り、人々を戦慄せしめた上、その後のこの国を暗い時代へと導くきっかけにもなった1つの事件が起こった。
世に言う「二・二六事件」である。

事件は、当時の帝国陸軍の派閥の1つである「皇道派」の影響を受けた、主に20歳代の隊付きの大尉から少尉を中心とする一部の青年将校たちが、かねてから掲げていた、武力を用いて元老重臣を殺害することで、天皇親政が実現して腐敗が収束するという「昭和維新・尊王討奸」の思想を実行するため、2月26日未明に決起。近衛歩兵第3連隊・歩兵第1連隊・同第3連隊・野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、いずれも海軍大将であった内閣総理大臣・岡田啓介、侍従長・鈴木貫太郎、内大臣・斎藤実(まこと)、及び大蔵大臣・高橋是清、陸軍教育総監・渡辺錠太郎、前内大臣・牧野伸顕、内務大臣・後藤文夫の殺害を図り、このうち斎藤内大臣、高橋蔵相、渡辺教育総監を殺害。総理官邸や標的とした人物の私邸、警視庁、陸軍省及び参謀本部、朝日新聞社を襲撃した上、我が国の政治の中枢である永田町、霞ヶ関、赤坂、三宅坂の一帯を占領。軍首脳を経由して昭和天皇に「昭和維新」を訴える。だが、翌27日未明、戒厳令発令。側近を衝撃された上に自らの統帥権を侵された天皇は武力鎮圧を命じ、海軍も蜂起部隊との対決姿勢をとったことで、陸軍上層部も鎮圧に乗り出すことを余儀なくされ、ここに2月28日午後、蜂起部隊は「反乱軍」と規定される。同日午前5時8分に発令された「奉勅命令」、すなわち天皇の「御聖断」を盾に降伏を迫り、翌29日朝からはラジオ放送、飛行機、戦車からアドバルーン、宣伝ビラを駆使しての帰順勧告が開始され、兵たちは次々に投降。4日間に渡る反乱は鎮圧された。

3月4日の緊急勅令により、4月28日から開始された「非公開、弁護人・上告なし」の特設軍法会議におけるわずか2ヶ月の審理の後、7月5日、首謀者の青年将校17名に死刑が言い渡され、うち15名がそれから1週間後の7月12日に銃殺刑。翌昭和12年8月19日には、残る首謀者の礒部浅一、村中孝次、そして彼らに多大な影響を与えた国家主義者・北一輝とその弟子の西田税(みつぎ)が処刑された。だが、「皇道派」に同調した陸軍大将・真崎甚三郎は同年9月25日、「証拠不十分」により無罪。彼らの行動を理解し、また利用もした「皇道派」の将官たちの罪も不問に付された。こうして「二・二六事件」は、一応全ての終結を見たのである。

さて、時間を再び昭和11年2月26日前後に戻す。
「反乱軍」となった陸軍の蜂起部隊に加わり、警視庁を占拠した下士官兵の1人に、小林盛夫という二等兵がいた。麻布第3連隊の機関銃隊に所属していた彼は、元々は四代目柳家小さん門下で「柳家栗之助」という芸名を持つ落語家で、「二・二六事件」が起きた当時は入門4年目、まだ「前座」の身分であった。事件が起こる前年の昭和10年、兵隊検査に甲種で合格。年が明けた1月10日に麻布第3連隊に入隊した直後、上官の命令で出動し、そのまま「反乱軍」の一員となってしまったのである。戒厳令が発令された後、寒さと空腹も手伝って兵士たちの間に緊迫の色が濃くなった時、上官は小林二等兵に落語を一席演じることを命じた。この時、彼が演じたのは所謂「前座噺」の『子ほめ』。だが「反乱軍」となり緊迫の度合いが強くなっていた兵士たちに、落語に耳を傾け、笑う余裕などあるはずがなかった。「面白くないぞ」という野次が出たのに対して、小林二等兵は、「そりゃそうです。やっている方だって、ちっとも面白くないんだから」と返したという。
反乱が鎮圧された後、小林二等兵は無事帰還を果たしたが、彼の演じた落語が全く受けなかったのは、生涯でこの時が最初で最後であったという。

陸軍を除隊した小林盛夫二等兵こと柳家栗之助は、二つ目に昇進して「柳家小きん」と改名。戦後、復員して「九代目柳家小三治」で真打ちに昇進し、昭和25年9月には、師匠の後を継いで「五代目柳家小さん」を襲名。戦後から平成にかけての落語界の第一人者として君臨し、落語界初の「人間国宝」に認定されるまでに至った。
落語界の頂点にまで上り詰めた彼にとっての最大の痛恨事は、奇しくも彼が陸軍麻布第3連隊に入隊する直前に生を受けた1人の弟子に、それから四半世紀近く後、自らが「反乱」を起こされる立場となったことであろうと思われる。

(追記)
今回は、歴史ドキュメンタリーのナレーション風の文章にしてみました。例えば、以下の映像のようなイメージを思い浮かべながら読んで頂ければ、より一層読み応えのある物になるかもしれません(但し、保証は出来ません)。

          http://jp.youtube.com/watch?v=V5HIkId_fSY

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こういう逸話があったんですね〜。一人の弟子は常人ではとても扱いきれない方でしょうね(笑)。

2008/2/27(水) 午前 0:45 スリング

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いや〜、面白かったですよ〜(^∇^)
二・二六事件が、現代に与えた影響ってのは、よく判りませんが・・・小さんx2^^のお弟子さんの反乱に関しては・・・様々に思う所があります。
高校を中退した16歳の松岡青年は、何故、小さんを師匠と選んだのか・・・?
昭和27年(1952)年。落語協会の会長は、八代目 桂文治(69)。芸協の会長は、六代目 春風亭柳橋(53)。五代目 小さんは37歳で、八代目 桂文楽(60)の預かり弟子の身。志ん生は、62歳。圓生は、52歳。
松岡青年の思惑としては・・・六代目 小さんを狙ったのでしょうね。でも、五代目は、生意気だとして、小ゑんに、十代目 小三治の名跡を与えなかった。で、一説には、圓楽が書いたシナリオに乗らざるを得なかった。でも、圓生が、意外に嫌われており、ポシャった(^ω^)
やる気をなくした談志さんは、国会議員に立候補して、衆院選では落選したけど、続く参院選の全国区で、50番中の50番で最下位当選して、落語家より政治家の方が面白くなっちゃった(^ω^)

2008/3/20(木) 午前 10:44 藪井竹庵

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続き。。。
落語協会会長になった、自分の師匠の真打ち昇進に関するやり方が気に入らなくて、柳派から飛び出した。・・・まあ、こんな所じゃないでしょうか(^ω^)

2008/3/20(木) 午前 10:44 藪井竹庵


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