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我々日本人というのは、「これで最後」というものに弱く、またそうしたものには一斉に飛び付く習性を持っているようです。 そうした習性は、特に鉄道などの乗り物に関して顕著なようで、JRの寝台急行「銀河」が先月3月14日いっぱいで廃止された時も、その最後の姿を見るため、鉄道マニアを中心に多くの人々が東京駅のホームに押し寄せたそうです。 尾道にも、この4月30日で「これで最後」となる乗り物があります。先日もこのブログで紹介しましたが、尾道と対岸の向島を結ぶ渡船の1つである「しまなみフェリー」、通称「岸元渡船」がそれです。 http://blogs.yahoo.co.jp/mannennetaro2005/52839992.html 数ある尾道の渡船の中で、僕がこの航路を利用したことは他と比べると少なかったのですが、それでも自分の日常生活の中に長らく定着していたことには違いはありません。 この航路にとっては最後の日曜日となる今日4月27日、最後の乗船をしてきました。 午後2時前に自宅を出発。久しぶりに乗った自転車でおよそ20分、向東町彦ノ上にある向島側の桟橋に到着。桟橋前の看板に貼られた紙には、次のように書かれてありました。 「謹告 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 平成12年10月より岸元ラインより営業を引き継ぎ、『生活の足』として皆様に馴れ親しんで頂きましたが、その間合理化に合理化を重ね今日まで持ちこたえて参りました。しかしながら昨今の状況は厳しいものばかりです。 大変唐突とは存じますが、平成20年4月30日(水)を限りに『彦ノ上〜尾道』航路を閉鎖することになりました。 従業員一同誠に残念の一語で、断腸の思いで一杯でございます。厳しい環境をご理解賜ります様宜しくお願い申し上げます。 永年ご愛顧頂きましたことを深く感謝申し上げますと共に謹んでご通知申し上げます(以下略)」―。 この「しまなみフェリー」は、我々地元に住む者にとっては通称の「岸元渡船」という呼び方がより馴染みが深く、長らく親しまれてきました。他の渡船もそうですが、この船の向島側の桟橋の近くには造船所をはじめ多くの工場が建ち並んでいて、ここに自転車やバイクで通勤する人々にとっては、まさに「生活の足」そのものでした。また、尾道側の桟橋に到着して東に向かうと尾道市役所や「おのみち映画資料館」へ、真っ直ぐ足を向けると商店街や千光寺公園行きのロープウェー乗り場に辿り着きます。遠方から尾道にやって来た人たちにとっては、その対岸にある向島や更に海を挟んで接する因島や生口島へと渡る「旅の足」でもあり、尾道側の桟橋に立つ看板には「日本一短い船旅に出発!!」という言葉が書かれています。今日もゴールデンウィークを利用して尾道に旅行や観光に訪れた人たちが、尾道側から多く乗船していました。その様子を見ながら、「この人たちの中に、自分たちが今乗った船の航路があと3日でなくなってしまうことを知っている人がどれだけいるだろうか…」と、しみじみと思いました。 昨日、今日と2日館に渡って開催された「尾道みなと祭」とゴールデンウィークの賑わいが、図らずも「岸元渡船」にとって最後の賑わいの時と重なってしまいました。祭りの様子を一通り見て歩いた後、再び尾道から乗船し、これが僕にとって最後の「日本一短い船旅」となりました。 しまなみ海道の全線開通以来、尾道の渡船を取り巻く環境は年を追うごとに厳しいものになっています。
尾道から渡船が1つ姿を消してしまうということは、「生活の足」が1つ減り、「日本一短い船旅」が体験出来なくなるだけに留まらず、長年尾道の町に定着してきた風景、そして根付いてきた文化そのものまでが失われて行くことをも意味していると言えます。 だからこそ、尾道から渡船が消えてしまうことは、絶対にあってはならないと思うのです。 |
尾道
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件の「これで最後」となれば、お約束のごとく飛びつく
「国民性」には、毎度の事ながら閉口しますね。
(秋頃、広島市内の某所でも、似たような光景が
見られそうですが・・)
この渡船、僕は一度だけ乗車したことがあります。
しまなみの美しい風景に感動し、また機会があれば
乗車したいな、と考えていたので、本当に残念です。
僕が住んでいる市には「海峡渡船」がありまして、地元民の
足ということに加えて、観光活用することで、それなりの収益を
上げているようです。本気で存続させようと思えば、いろいろ
方法もあるのかもしれないなあ・・もったいないなあ・・
事情を知らない第3者がこんなことを言ったら
申し訳ないかもしれませんが、率直に、そう思います。
2008/4/28(月) 午後 9:30 [ - ]
私が実際に乗船した船で「一番短いもの」は宮島航路なのですが、いい加減ながら「これが一番短いんだろうな」と思っておりました。無知、お恥ずかしいです。
過日、某私鉄ローカル線が廃止になったとき、例によって最終日に多数詰め掛けた鉄道マニアを見て、地元の小学生が大泣きした・・というニュースを見ました。
曰く、「こんなにたくさんの人がいつも乗ってくれていれば、でんしゃがなくならなかったのに・・」。ただバカ騒ぎする前に、こういった地元の利用者の「切実な思い」についても思いを巡らせてほしいと、自戒の念を込めて感じました。
無くなること自体を認識されていない・・というのは悲しいことやもしれませんが、しかし「いつもどおりに淡々と、静かに使命を終える」ことのできた岸元渡船は、ある意味幸福だったのかもしれません。
「最終戦の市民球場」には、私は行かないつもりです。
2008/4/30(水) 午前 0:30
ハム太郎さん。
「これで最後」というものに我先にと飛びつく「国民性」というのは、一体いつの頃から生まれたものなのか。そうした話題を見聞きするにつけ、いつもそのことを考えます。
ハム太郎さんも岸元渡船を利用されたんですね。
今回のことは、地元に暮らす我々にとっても勿論残念なことですが、まだ他の渡船は残っていますので、今度尾道にお越しの際には是非ご利用下さい。
>観光活用することで、それなりの収益を上げているようです。
確かにそういう存続手段が残っていたんですよね。本当に勿体ないことをしてしまったと悔やまれてなりません。
2008/5/1(木) 午後 9:59 [ mannennetaro2005 ]
甲府さん。
昨日いっぱいでその歴史に幕を閉じた岸元渡船ですが、先日の「銀河」のようにいわゆるマニアが集まるということもなく、最後の日もほぼ「いつも通り」でした。
しかし、この航路がなくなってしまったことの影響は、寧ろこれから大きく出るように思います。
うちの両親は、「今年は絶対に市民球場に行こう」と言っていますが、自分は行くつもりはありません。
もっともここの場合は、当事者たちが「今年が最後」と煽っているのに対して、客の反応が何となく今一つという風に見えるのが何とも切ないです。
2008/5/1(木) 午後 10:10 [ mannennetaro2005 ]