万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

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昭和54年、それまで福岡を本拠としていたライオンズが「西武ライオンズ」となり、埼玉・所沢に移ってから今年でちょうど30年。
その西武ライオンズが最も輝いていた時代といえば、共に巨人出身の広岡達朗・森祗晶両監督の下で11度のリーグ優勝、8度の日本一を果たした昭和57年から平成6年までの13年間でしょう。
では、パ・リーグの他の5球団にとってこの13年間はどんな時代であったのか。各球団ごとに簡単に振り返ってみたいと思います。

○近鉄バファローズ
監督:関口清治(昭和57年〜58年)→岡本伊三美(昭和59年〜62年)→仰木彬(昭和63年〜平成4年)→鈴木啓示(平成5年〜)
「西武ライオンズ」初優勝の昭和57年、近鉄も「闘将」西本幸雄が去り、新しい時代へと突入した。関口・岡本監督時代を経て、昭和63年、長年コーチを務めた仰木監督が就任。西武と最後までデットヒートを演じ、あの「10・19」で力尽きる。翌平成元年、前年以上の壮絶な優勝争いの末、9年ぶりのリーグ制覇。「常勝軍団」として君臨する西武の「管理野球」に対して、個性豊かな選手が揃い、自由奔放、豪快さを前面に押し出したチームカラーでパ・リーグ人気を盛り上げた功績は大きい。仰木監督勇退後、その独特の個性が「陰り」を見せ、平成6年オフ、チームの「看板」だったエース・野茂英雄が海の向こうへ旅立ったことがそれに拍車をかける結果となった。

○阪急ブレーブス(〜昭和63年)→オリックスブレーブス(平成元年〜2年)→オリックスブルーウェーブ(平成3年〜)
監督:上田利治(〜平成2年)→土井正三(平成3年〜5年)→仰木彬(平成6年〜)
昭和50年代前半、パ・リーグの「盟主」として黄金時代を築いた阪急。一旦辞任した上田監督が復帰して4年目の昭和59年、6年ぶり、通算10回目のリーグ制覇。これが「阪急ブレーブス」として最後の優勝となる。昭和63年、突如球団が身売り。更にその2年後には本拠地が西宮から神戸へと移り、「ブレーブス」のチーム名が消える。神戸移転後の3年間はAクラスを維持するもパッとせず。平成6年、仰木監督が就任。そして、同じ年に本格的にデビューした「鈴木一朗」改め「イチロー」が、「獅子の時代」以後のパ・リーグ、そして日本プロ野球を席巻することになる。

○南海ホークス(〜昭和63年)→福岡ダイエーホークス(平成元年〜)
監督:ドン=ブレイザー(〜昭和57年)→穴吹義雄(昭和58年〜60年)→杉浦忠(昭和61年〜平成元年)→田淵幸一(平成2年〜4年)→根本陸夫(平成5年〜6年)
昭和30年代、福岡にあったライオンズとパ・リーグの覇権争いを繰り広げ、その後もリーグを牽引してきたホークスも、昭和50年代中盤からは5〜6位が「指定席」となり、「斜陽の球団」へと転落して行った。往年のエース・杉浦が監督となって3年目の昭和63年、遂に球団が身売り。長年住み慣れた大阪からかつてのライバルチームの本拠地だった福岡への移転は、ファンに衝撃を与えた。本拠地が福岡ドームとなった平成5年、「常勝西武」を陰で支えた根本が監督に就任。チームの「土台作り」が行なわれ、根本がフロントに転じた後、「世界の王」の下での「強いホークス」へと繋がっていった。

○ロッテオリオンズ(〜平成3年)→千葉ロッテマリーンズ(平成4年〜)
監督:山本一義(昭和57年〜58年)→稲尾和久(昭和59年〜61年)→有藤道世(昭和62年〜平成元年)→金田正一(平成2年〜3年)→八木沢荘六(平成4年〜6年)
ライオンズが所沢に移る前年に本拠地を川崎に移したロッテ。稲尾監督時代は2年連続Aクラスと健闘し、エース・村田兆治の故障からの復活や「オレ流」落合博満の2年連続三冠王など話題も多かったが、稲尾が退任し、落合がチームを去って以降、成績が低迷。昭和63年の「10・19」では、図らずも殆どのプロ野球ファンを「敵」に回すことに。人気獲得策が実を結ばないまま、平成4年、本拠地を千葉に移し、長年親しまれた「オリオンズ」のチーム名が消える。千葉移転後も暫くは低迷。平成6年のシーズン終了後、メジャーリーグで采配を振るったボビー=バレンタインが監督に就任する。

○日本ハムファイターズ
監督:大沢啓二(〜昭和58年)→植村義信(昭和59年シーズン途中まで)→大沢啓二(昭和59年シーズン終了まで)→高田繁(昭和60年〜63年)→近藤貞雄(平成元年〜3年)→土橋正幸(平成4年)→大沢啓二(平成5年〜6年)
「西武ライオンズ」初優勝の前年にパ・リーグを制したファイターズ。昭和57年も後期優勝、シーズン通算1位の成績を収めるが、プレーオフで西武に敗れてリーグ連覇を逃す。翌昭和58年に大沢監督が退任後、次々と監督が変わるが成績は低迷。平成5年、大沢監督が復帰。久々にチームがAクラスに返り咲いたばかりか、西武とシーズン終盤まで優勝争いを繰り広げてファンを沸かせた。その後もAクラス入りはするものの、なかなか優勝には手が届かなかったファイターズが次にリーグ制覇を果たすのは、本拠地が東京から北海道に移った、前回の優勝から約四半世紀後のことである。

「獅子の時代」のパ・リーグ5球団を振り返ってみましたが、この時代は西武ライオンズが「常勝軍団」として君臨していた一方で、各チームで世代交代に伴って新しいスターが台頭したり、また球団が人気獲得のために奔走したこともあって、空前の「パ・リーグ人気」が巻き起こった時代でもありました。ライオンズ以外のファンにとって、この時代は「辛い時代」だったと思う反面、「懐かしい思い出」も多いのではないかと思います。

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むかし、「V9」の時代のことを親父に尋ねると、「悔しかったけど、アレはアレで面白かったよ」と、意外な答えが返ってきたもの・・でした。
「憎らしいが、でも憎らしいから倒してくれ!で、盛り上がった部分もある」と・・。

特定の球団が勝ち続けることによって「盛り上がる」というのは、決して全体の健全化に繋がるとは思えないですし、正しいあり方とも到底考えられないのですが、当時はそんな状況を素直に受け容れざるをえない時代だったのでしょうね。

翻って、「ライオンズの時代」。
「ライオンズが強かったから、盛り上がった」とは思いたくは無いのですが、「V9の時代」が、タイガースの特定選手以外に目立った「好敵手&チーム」が存在しないのに対し、こちらは「ライオンズとは好対照な個性派&チーム」が多数存在していることに、注目したいですね。「なにが管理だ!森野球なんかツマラン!」という反発心が妙な高揚感となって、「アレはアレで楽しかった」と、今では思えます。

2009/3/7(土) 午後 9:48 くさちゃん

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ライオンズ「1強時代」のパリーグは、仰るとおり、他球団にも
魅力溢れる個性派選手や監督がそろい、試合を見るのが楽しかった
といえば、そうです。

しかしながら、かつての「ブレーブス1強時代」も、
周囲(マスコミ)が大騒ぎしなかったというだけで、
事はそうだったのだろうと思います。

あの頃、平和台でビジターでやってくるチームには
ブレーブス以外のどのチームも魅力がありました。
村田、山口の剛速球、門田のホームラン、柏原のフルスイングを
見るのが、勝敗以上に楽しみな面がありました。

この時期、後年のような球団側の「やる気」があったなら・・
ですね。

2009/3/15(日) 午後 9:23 [ - ]


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