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昭和54年に福岡から埼玉・所沢に本拠地を移した西武ライオンズが最も輝いていたと言えるのが、11度のリーグ優勝、8度の日本一に輝いた昭和57年から平成6年までの13年間でしょう。 以前、この時代のパ・リーグ5球団を振り返ってみましたが、今回は同じ時代のセ・リーグ6球団について、各球団ごとに振り返って行きます。 ○読売ジャイアンツ 監督:藤田元司(〜昭和58年)→王貞治(昭和59年〜63年)→藤田元司(平成元年〜4年)→長嶋茂雄(平成5年〜) 昭和55年の「長嶋解任、王引退」の後、藤田政権初年度の昭和56年、8年ぶりに日本一を奪回したジャイアンツ。2年ぶりにペナントを奪還した昭和58年、パ・リーグ連覇を果たしたライオンズと日本一を争い敗れる。「球団創立50周年」の昭和59年、王が監督に就任。期待と注目を集めるが苦戦が続き、就任4年目の昭和62年、漸くリーグ優勝を果たすが、ここでも日本シリーズでライオンズに破れ、翌昭和63年、王は監督を解任。再び藤田監督に。平成元年、8年ぶりに日本一となった後、翌年もリーグ制覇を果たすが、日本シリーズではライオンズの圧倒的な強さの前に三度破れる。平成5年、「ミスター・プロ野球」長嶋が監督に復帰。翌平成6年、リーグ優勝を果たし、ライオンズを破って日本一を手中に収める。「獅子の時代」の13年間でリーグ優勝5回、日本一2回といずれもセ・リーグ最多だが、「強い巨人」を印象付けたのは、2度の藤田政権時代であったと思う。 ○阪神タイガース 監督:安藤統夫(昭和57年〜59年)→吉田義男(昭和60年〜62年)→村山実(昭和63年〜平成元年)→中村勝広(平成2年〜) 「西武ライオンズ」誕生に際しては重大な関わりを持ったタイガース。ペナントレースの成績よりも「お家騒動」が世間の注目を集める時代が暫く続いた後、吉田監督2度目の登場で迎えた昭和60年、「甲子園・バックスクリーン3連発」をきっかけに、ランディ=バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップを中心とする「新ダイナマイト打線」の圧倒的な破壊力でペナントレースを席巻。10月16日、21年ぶりにリーグ優勝を果たす。続く日本シリーズでもペナントレースの勢いそのままにライオンズを圧倒して初の日本一。球団創立50周年を最高の形で飾る。日本中に「タイガース・フィーバー」が巻き起こり、チームもファンも「全員一丸」となって「この世の春」を謳歌したのであったが…。 ○広島東洋カープ 監督:古葉竹識(〜昭和60年)→阿南準郎(昭和61年〜63年)→山本浩二(平成元年〜5年)→三村敏之(平成6年〜) 「西武ライオンズ・元年」の昭和54年、初の日本一に輝き、「赤ヘル黄金時代」を迎えたカープ。共にプロ野球で一時代を築いた「赤ヘル軍団」と「レオ軍団」が初めて日本シリーズで対決したのが、奇しくもカープが古葉から阿南へ、ライオンズが広岡達朗から森祗晶へと共に監督がバトンタッチされた昭和61年。史上唯一の「8戦シリーズ」は、初戦引き分けの後3連勝しながらその後4連敗を喫し、日本一奪回を逃す。黄金時代を支えてきた「ミスター赤ヘル」山本浩二、「鉄人」衣笠祥雄の両雄が引退した後、平成元年、山本が監督に就任。3年目の平成3年、5年ぶりのリーグ優勝を果たし、再び日本シリーズでライオンズと対決。ここでも先に日本一へ「王手」をかけながら、最盛期を迎えたライオンズの前に最後に力尽きる。この時から既に18年の歳月が流れた。 ○中日ドラゴンズ 監督:近藤貞雄(〜昭和58年)→山内一弘(昭和59年〜61年)→星野仙一(昭和62年〜平成3年)→高木守道(平成4年〜) 「西武ライオンズ」初優勝の昭和57年、セ・リーグを制したのはドラゴンズだった。近藤監督就任2年目のこの年、巨人との熾烈な争いの末、リーグ最終戦で8年ぶりの優勝を決める。その後、暫く低迷が続いた後、昭和62年、「燃える男」星野が監督に就任。オリオンズから落合博満を交換トレードで獲得するなど、徹底した意識改革でチームを活性化させ、翌昭和63年、就任2年目にしてリーグ優勝を果たす。しかし、この2度とも日本シリーズではライオンズに敗れ、日本一には手が届かなかった。星野の後を継いだ高木監督の下、平成6年に長嶋ジャイアンツと最後まで優勝を争うが、「10・8決戦」で力尽きる。13年間を見てみると成績の浮き沈みの激しい時代ではあったが、ドラゴンズが「全国区」に躍り出たのもこの頃だったと言える。 ○ヤクルトスワローズ 監督:武上四郎(〜昭和59年シーズン途中)→土橋正幸(昭和59年シーズン途中〜昭和61年)→関根潤三(昭和62年〜平成元年)→野村克也(平成2年〜) ライオンズが所沢に移る前年の昭和53年、後にその指揮を執る広岡監督の下で初のリーグ優勝、日本一となったスワローズも、その後は昭和50年代後半から60年代前半にかけて4度の最下位になるなど、以前の「お荷物球団」に逆戻りしてしまう。そうしたムードに変化が訪れるのが、関根監督が就任した昭和62年から。広沢克己、池山隆寛をはじめとする若手選手が続々と台頭し、「弱いが明るいチーム」として特異な存在感を放つ。平成2年、野村監督が就任。ドラフト1位で古田敦也が入団。「ID野球」の下、「明るいチーム」から「勝つチーム」へと進化を遂げ、平成4年、14年ぶりにリーグ優勝。この年はライオンズに日本シリーズで敗れるが、翌年リーグ連覇を果たすと、2年連続となったライオンズとの日本シリーズを制し、以後「黄金時代」を迎えることになる。 ○横浜大洋ホエールズ(〜平成4年)→横浜ベイスターズ(平成5年〜) 監督:関根潤三(昭和57年〜59年)→近藤貞雄(昭和60年〜61年)→古葉竹識(昭和62年〜平成元年)→須藤豊(平成2年〜4年)→近藤昭仁(平成5年〜) ライオンズが所沢に移る前年に本拠地を川崎から横浜に移したホエールズ。「長嶋監督」誕生までの“繋ぎ役”と目された関根、「スーパーカートリオ」などのアイデアで話題を呼んだ近藤、「赤ヘル黄金時代」を築いた古葉、ジャイアンツの二軍監督としての実績を評価された須藤と入れ代わり立ち代わり監督が変わるものの、この間Aクラスに入ったのは2回だけで、勝率5割以上を超えることはなかった。平成5年、球団名を「横浜ベイスターズ」と改称。企業色を払拭した地域密着型チームとして再出発を図ることになる。「獅子の時代」の13年間において、セ・リーグで唯一優勝のなかったこのチームがリーグ制覇を果たすのは、チーム名が変わってから5年後のことである。 昭和57年から平成6年にかけてのセ・リーグを振り返ってみると、パ・リーグがそうであったように、各チームで世代交代に伴って新しいスター選手が台頭し、また球史に残る出来事も多かったことが分かります。
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「西武に日本シリーズで勝ったのは、タイガースだけやぞ」
「”清原のいない”ライオンズとやったのも、タイガースだけやんけ(笑)」
・・野村スワローズが雪辱を果たす以前の92年まで、親父とそんな会話をよくしたものでした。
昨年の交流戦時、「対セリーグ・日本シリーズ成績」と題して、所沢で懐かしの映像とともに流れた、「カード別成績」。
カープは、「6勝8敗1分」でした。
思えば、「初体験時」を除くと、すべてのシリーズで3勝以上を挙げている、カープ。
「借金・4」を返上する日は、果たして訪れるのでしょうか・・。
「西武が優勝するんなら、巨人は優勝しないでほしい。恥かかされるだけだから・・」
・・会社のG党の先輩の嘆きが、懐かしいです。
2009/5/5(火) 午前 1:45