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五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生と並んで「昭和の名人」と謳われ、その住まいから「黒門町」の通称でも知られた八代目桂文楽。 志ん生や圓生などと比べて噺のレパートリーが少なく、持ちネタの数は30前後であったと言われていますが、その一つ一つが長年研鑚を積み重ねた末に、寸分の狂いもない「完成品」として仕上がっていました。 文楽の十八番の中には、夏を舞台にした噺がいくつかあります。 先ずは「船徳」。「道楽とは『道を楽しむ』と書くそうですが、中には『道に落ちる』と書く“道落”がある…」というマクラから始まるこの噺は、「道楽」の果てに「道落」をして実家から勘当され、柳橋の馴染みの船宿に居候する若旦那の徳さんが主人公。ある日突然「船頭になりたい」と言い出して親方を驚かせますが、「ここでなれなきゃ、他所へ行ってなる」の一言で親方も渋々承知します。暑い盛りの七月十日、浅草観音の縁日、所謂「四万六千日」の日。男2人連れの客が船宿にやって来ますが、あいにく船頭が出払って、残っているのは徳さん一人。断ろうとする女将を振り切って大張り切りで仕事を引き受け、柳橋から大川へ舟を漕ぎ出す徳さんでしたが…。 「にわか船頭」の身でありながら、一年の内で一番の書入れ時に舟を漕ぐ破目になった徳さんの悪戦苦闘ぶりもさることながら、親方に呼び出された船頭たちが「藪をつついて蛇を出す」ことになる件や、思いがけない「修羅場」を体験する2人の客、そして聴き手を一気に夏の盛りへといざなう「四万六千日、お暑い盛りでございます」など、聞き所満載の一席です。 「半可通」や知ったかぶりを指す言葉のもとになった「酢豆腐」も、また夏の代表的な演目。 夏の暑い盛り、町内の若い衆が寄り集まって酒を呑む相談をしています。酒はあるが肴はない。糠味噌があるが、誰も糠味噌樽に手を突っ込みたがらない。昨夜買った豆腐は、与太郎がうっかり釜の中に閉まったために、腐ってカビが生えている始末。どうしたものかと困っている所へ通りがかったのがキザで何でも知ったかぶりをする若旦那。日頃から若旦那のことをよく思っていない連中は一計を案じて…。 江戸時代中期の宝暦13年(1763年)に書かれた『軽口太平楽』が原話とされるこの噺、特別にこれといった筋はないのですが、前半のとりとめのない若い衆の会話からは、原題の通り「太平楽」な雰囲気が感じられ、噺の「核」である豆腐を巡る場面と合わせて、全編が聞き所と言うべき噺と言えるかもしれません。 桂文楽は、「富久」「愛宕山」「つるつる」など幇間(たいこもち)の出てくる噺も多く演じました。「鰻の幇間(たいこ)」はその中の一つ。 夏の炎天下、しがない幇間の一八は顔に見覚えのある浴衣姿の男と出会い、適当に話を合わせながら上手く取り入って鰻屋に案内してもらいます。この鰻屋というのが汚い店で、二階へ上がると子供が勉強机を持って出て行くという有様。それでもお世辞を並べた一八は酒と鰻にありつくことに成功します。ところが、男が小用に立ったのを境に、事態は思わぬ展開に…。 客を「釣ろう」と考えた一八が逆に「踏んだり蹴ったり」の目に遭う顛末を描いた一席。元々この噺には、一八が男と出会う場面の前に馴染みの芸者屋を訪ねる件があるのですが、文楽はいつしかこの場面をカットして、鰻屋での騒動に内容を絞り込んで演じるようになりました。一八が連れて来られた鰻屋の凄まじさが笑える一方で、男が席を外した後の一八の独り言や「十円札」の件には、明日の見えない芸人稼業に身を置く一八の悲哀がよく表われています。 ところで、文楽の落語の特徴として、それぞれの噺ごとに一度耳にしたら忘れられないフレーズがあることが挙げられますが、ここに挙げた3席も例外ではありません。
「船徳」では、今も書いた「四万六千日、お暑い盛りでございます」。 「酢豆腐」では、「金がないが刺身は食う」に「さすがはスンちゃん」。 そして「鰻の幇間」では、「先のとこ」に「見ろ、この十円の影の薄いこと」―。 どんな場面でこれらのフレーズが出てくるのかは、聞いてのお楽しみということで…。 |
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“夏は怪談”と云われますが、ここに挙げられた暑さを実感する噺こそ夏の風物詩ですね。
黒門町のワンフレーズ。
なるほど、これは矢来町も継承していますね。
直々に教わったというのは間違いありませんね。
2009/8/22(土) 午前 9:01