|
今日は8月6日。広島は60年目の「原爆の日」を迎えました。 原爆投下の年である昭和20年の生まれで、広島テレビの名物アナウンサーだった脇田義信さんは、ある年の8月6日に「今日は、広島の命日です。今日という日は家族の命日と同様、永久に忘れてはならない日です」と、ブラウン管を通じて全国の人々に訴えたことがあります。 その脇田さんも、今年3月にガンによってこの世から旅立って行ってしまいました。 僕が小・中・高校生時代を通じて、8月6日という日は学校の「全校登校日」に当たり、原子爆弾が投下された8時15分になると各クラスで黙祷を捧げ、その後全校集会があり、続いて各クラスで平和や核兵器に関する学習が行なわれていました。長崎でも、8月9日に同じようなことが行なわれていたと、長崎出身の大学の同級生から聴いたことがあります。今でも、引き続いて行なわれていることでしょう。 僕自身、8月6日の「平和祈念式典」に参列したことがあります。中学3年生の時のことで、奇しくも平成に年号が変わって最初の「平和祈念式典」でした。生徒会の一員だった僕は、他の生徒会のメンバー数人と引率の先生と共に、朝5時頃尾道を出発し、7時前に広島へ到着。そのまま平和公園に直行し、式典に参列しました。その後、原爆ドームや広島平和資料館などを見て回り、当日の広島の様子を取材して、夏休み終了後に1冊の取材ノートにまとめました。あの時の広島の様子を自分の目で観たことは、今でもかけがえのない体験として記憶の中に鮮烈に残っています。 ところで、「昭和20年8月6日に広島で何が起こったか」「広島に原爆が落とされたのはいつか」という問いに答えることが出来ない広島の子供たちが年々増えているのだそうです。また、原爆投下から60年の月日が流れて、被爆者の平均年齢も70歳代を超え、実際に被爆体験をした人たちも1人、また1人と亡くなっている現状があります。戦争や原爆の記憶が風化されることが不安視される中、これまで原爆について固く口を閉ざしていた被爆者の方たちが、その体験を子供たちに語る会も最近では多くなっているそうです。こうした取り組みを通じて、原爆の記憶が途切れることなく語り継いでいくことは、今後益々必要になっていくことでしょう。 最初の言葉をもう一度引用すると、8月6日は広島の命日であり、9日は長崎の命日になります。たとえ広島県人や長崎県人でなくても、日本人は「ヒロシマ」と「ナガサキ」を決して忘れてはならないのです。そして、それを忘れさせてはならないのが、他でもない自分自身の義務であると思っているのです。
|
全体表示
[ リスト ]





忘れてはならない日ですね。私の住んでいる場所でも、各種慰霊行事が行われました。
2005/8/7(日) 午後 0:49 [ - ]
ついこの前、初めて新藤兼人監督の「原爆の子」を観ました。 原爆の非道、平和の尊さを再認識した次第です。
2005/8/7(日) 午後 8:46
おき太さん、僕の住む尾道でも慰霊行事が行なわれました。永久に忘れてはならない日です。
2005/8/8(月) 午後 9:25 [ mannennetaro2005 ]
カゴメさん、新藤監督は広島出身ということで、原爆には強い拘りを持っておられるそうです。
2005/8/8(月) 午後 9:26 [ mannennetaro2005 ]
この時期ね福山も、「平和学習」していましたよ。
2005/8/12(金) 午後 3:42
広島ではどこの学校でも「平和学習」をやっていますね。いつまでも続けて欲しいと思います。
2005/8/12(金) 午後 9:13 [ mannennetaro2005 ]
広島テレビの脇田義信さんが、骨を、なりましたか。
2016/10/8(土) 午後 5:36 [ 五味 ]