万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

八代目林家正蔵の名前は知らなくても、「林家彦六」という名前は、落語を聞いたことのない人でも1度は聞いたことがあるかもしれません。
晩年のちょうど1年間、この隠居名と言うべき「彦六」を名乗った八代目正蔵が、昭和57年1月29日に86歳でこの世を去って以来、もう四半世紀が過ぎました。

人物事典を引くと、大体が「八代目林家正蔵(彦六)」、または「林家彦六」として紹介されることが多いのですが、なぜ、最晩年「彦六」を名乗ったかについては次のような事情がありました。
元々「林家正蔵」の名跡は七代目正蔵の海老名家が預かっていましたが、昭和25年、五代目柳家小さんを継げなかった当時の五代目蝶花楼馬楽が、それに代わる名跡として八代目林家正蔵を襲名することになり、「一代限り」の約束で海老名家から借り出します。自分の死後、直ちに七代目の子である林家三平に返上することになっていましたが、その三平が昭和55年9月20日、自分よりも先に54歳で亡くなってしまいます。三平の供養のため、八代目は名前を海老名家に返還し、自身は「彦六」という名前を新たに名乗ることになったのでした。尚、亡くなった後、献体をしたことも話題となりました。

かつては「稲荷町」と言った、現在の東京都台東区東上野の四軒長屋を終生住まいとしていたことから、「稲荷町の師匠」と呼ばれた正蔵は、頑固一徹、曲がったことが大嫌いな性格で、理不尽なことにはすぐに怒ることから、「とんがり」とあだ名されていました。例えば、寄席に通うために買った電車の定期券を、他の用事で同じ電車に乗る時には決して使いませんでした。これは、「寄席に通うために使うものは、あくまで寄席に通うためだけに使う」という、この人なりの筋の通し方と考えられています。また、ある新聞に「落語家も桂文楽(八代目)、古今亭志ん生(五代目)、三遊亭金馬(三代目)、春風亭柳橋(六代目)とここまでくると次の指が折れない」と書かれていたのに激怒して、「お前さんの小指はリウマチじゃないのか」と書いたハガキを文章の主宛てに速達で送った上、三十数年とっていたその新聞を読むのをやめてしまったというエピソードも伝えられています。
稲荷町の同じ長屋には、「留さん」の通称で親しまれた九代目桂文治も住んでおり、悪口を言い合いながらも終生友情で結ばれていたといいます。いかにも古き良き芸人の風情を漂わせる一方、普段は洋服を愛用したり、朝食はいつもジャムを塗ったトーストにコーヒーという、現代的な生活を好む一面も持っていたそうです。弟子や若い落語家に振る舞う「牛めし」も名物となっていました。

若い頃は不遇だったという正蔵は、背景や小道具、鳴り物などを使った演じる「正本芝居噺」を継承した他、人情噺、怪談噺で名を高める一方、さくらんぼの種を食べた男の頭に桜の木が生えるという「あたま山」のようなナンセンスな噺も得意としていました。また、新作人情噺に積極的に取り組んだり、エッセイ風落語と言うべき「随談」にも定評がありました。伝統を継承しながら、新しいジャンルも開拓し続けた正蔵の芸風は、長屋住まいを貫きながら現代的生活も好んでいたという素顔の部分と相通ずるものがあったと言えます。

現在では、落語界活性化を願う正蔵の意志を汲んで、若手落語家を顕彰する「林家彦六賞」が制定されています。「彦六」の名前といい、弟子の林家木久蔵の物真似などで知られる独特のスローテンポの語り口といい、最晩年のイメージが強いようですが、「彦六」よりもずっと長かった「八代目林家正蔵」も、今以上に再評価されて良いと思います。因みに、かつて正蔵たちが暮らしていた四軒長屋の後は、現在ではコインパーキングになっているそうです。

開く トラックバック(1)

全1ページ

[1]


.
mannennetaro2005
mannennetaro2005
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事