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大阪府の東部、河内平野のほぼ中央に位置する東大阪市は、僕が大学生活を過ごした町です。 大阪市、堺市に次いで府内で3番目の人口を誇り、日本有数の「町工場」の町としても知られるこの地は、新聞記者から作家に転じた福田定一氏が、その作家生活の大半を過ごしたことでも知られています。 福田定一。作家名を「司馬遼太郎」と言います。 司馬遼太郎の作品を読み始めたのは、ちょうど中学校を卒業した頃のことでした。無論その頃は、後に司馬さんが暮らす町の大学へ進学することなど夢にも思っていなかった、と言うよりも、司馬さんの自宅が東大阪市であることもまだ知りませんでした。 僕が読んだのは主に戦国時代を舞台にした作品で、順不同で挙げると、『国盗り物語』(斉藤道三・織田信長・明智光秀)『新史太閤記』(豊臣秀吉)『関ヶ原』(石田三成・徳川家康)『城塞』『尻啖(くら)え孫市』(雑賀孫市)『功名が辻』(山内千代)『豊臣家の人々』『覇王の家』(徳川家康)、それに『箱根の坂』(北条早雲)『播磨灘物語』(黒田如水)『夏草の賦』(長宗我部元親)などは、図書館で借りて読みました。『国盗り物語』や『関ヶ原』などは3回以上は読んでいます。幕末ものの代表作である『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』なども含めて、歴史を俯瞰して一つの物語と見る独自の歴史観は「司馬史観」と呼ばれていますが、僕は寧ろ肯定的な言い方で、「司馬主観」と言うのがより正しいと思っています。また、「余談だが」という書き出しから物語とは直接関係ないエピソードや司馬さん自身の体験談が綴られるのも司馬作品の特徴ですが、この「余談」の部分が頗る読み応えがあり、これがそのまま司馬作品の魅力の一部にもなったと同時に、後年小説から遠ざかり、エッセイによる文明・社会批評に専念する契機にもなったのでしょう。 歴史小説界の第一人者だけあって、NHKの大河ドラマや時代劇でも司馬作品は頻繁に取り上げられていますが、小説の枠を超えて、歴史書・エッセイの要素も色濃く感じられるだけに、作る側としては「作り甲斐」がある反面、手に余る面も多かったのではないかと推察します。個人的には、大河ドラマ『国盗り物語』(昭和48年)『翔ぶが如く』(平成2年)、それにTBSで放送された『関ヶ原』(昭和56年)がテレビドラマ化された司馬作品の「ベスト3」で、映画では、幕末の人物・清河八郎(丹波哲郎)を主人公にした『暗殺』(篠田正浩監督・昭和39年)という作品もありましたが、後の作品はいずれも原作には及ばなかったように思います。 平成8年2月13日、司馬遼太郎は72歳で世を去りますが、最期の場所となった国立大阪病院は、代表作の1つである『花神』の主人公・大村益次郎(村田蔵六)の亡くなった場所でもあったということで、偶然とはいえ、いかにも司馬さんらしい最期だったと言えるのではないでしょうか。 亡くなる前年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生し、司馬さんの晩年の代表的仕事であった「この国のかたち」というものがまさに崩れ始めた頃でした。この国の将来を担う子供達に向けて、ズバリ「21世紀に生きる君たちへ」と題した一文を書くなど、日本や日本人の将来を案じていた司馬さんが仮に健在であったら、今日のこの国の姿をどのように見ていたのか。とても興味深いです。 司馬遼太郎の命日は「菜の花忌」と言われています。生前の司馬さんが、菜の花やタンポポのような野に咲く黄色い花が大好きだったことや、江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛を主人公にした『菜の花の沖』という長編小説があることに由来しているそうです。
僕もしばらく東大阪へは行っていないのですが、いつか「菜の花忌」の頃に、東大阪市下小阪にある「司馬遼太郎記念館」を訪ねてみたいと思っています。 |
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2007年02月13日
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