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映画『男はつらいよ』は、シリーズの全盛期には必ず正月と8月のお盆前後に公開され、これも人気の要素の1つにもなったと思われます。 時候の挨拶のように規則正しく新しい作品が公開されるごとに、人々は季節や歳月の移ろいを感じ、また車寅次郎をはじめとするお馴染みの人々を観ることで、家族や親戚、親しい友人と再会するような気分も味わったのではないでしょうか。 『男はつらいよ』が盆と正月の年2作のペースで公開されるスタイルが定着したのは、昭和46年12月29日封切りの第8作『寅次郎恋歌』からで、それから14年後の昭和60年12月28日に封切られた第36作『柴又より愛をこめて』まで、足掛け15年に渡ってこのペースは継続されました。 元高校教師で、『男はつらいよ』シリーズの研究家である吉村英夫さんの著書「完全版『男はつらいよ』の世界」(集英社文庫)のうち、第15作『寅次郎相合い傘』(昭和50年)の章の「なぜ、夏作品が面白いか」という項目の中で、「印象的で、切れ味もよく、評価が高い」作品として、第9作『柴又慕情』(昭和47年)、第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)、『寅次郎相合い傘』、第17作『寅次郎夕焼け小焼け』(昭和51年)、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)、第29作『寅次郎あじさいの恋』(昭和57年)を挙げ、これらの作品が全て夏の作品であることを指摘しています。 夏の『男はつらいよ』の大きな特徴と言えば、吉村さんも今挙げた本の中で書いていますが、寅さんとマドンナとの出会いが旅先であることでしょう。 『柴又慕情』のマドンナ・歌子(吉永小百合)とは、お互いの旅の途中だった金沢で出会い、2度目の登場となった第13作『寅次郎恋やつれ』(昭和49年)では、津和野で偶然再会を果たします。シリーズ最多登場のリリー(浅丘ルリ子)との最初の出会いは、『寅次郎忘れな草』での網走に向かう夜汽車の中。網走の町で再び会った2人は「自分たちの生活はあぶくみたいなもの」と語り合います。『寅次郎相合い傘』で再会を果たすのは同じ北海道の函館のラーメン屋台。『寅次郎ハイビスカスの花』では、沖縄で倒れたリリーを寅さんが見舞いに訪れ、それから2人で共同生活を送ることになります。 その他、『寅次郎夕焼け小焼け』の芸者ぼたん(太地喜和子)との出会いは播州龍野、第19作『寅次郎と殿様』の殿様(嵐寛寿郎)、マドンナ・鞠子(真野響子)との出会いは伊予大洲、第27作『浪花の恋の寅次郎』(昭和56年)では、マドンナ・ふみ(松坂慶子)と瀬戸内海の小島で出会い、その後大阪で再会。最後は結婚したふみと対馬で三度再会を果たします。そして『寅次郎あじさいの恋』でのマドンナ・かがり(いしだあゆみ)との出会いは、葵祭で賑わう京都でした。 このように、夏の作品はマドンナとの出会いが旅先であることが圧倒的に多く、例外は、さくらの幼馴染で松竹歌劇団(SKD)の花形スター紅奈々子(木の実ナナ)がマドンナで登場した、第21作『寅次郎わが道をゆく』(昭和53年)くらいでしょう。これも吉村さんが指摘していますが、寅さんとマドンナとの出会いが旅の途中だと、目新しい景色に女性を立たせることになるためか作品としても輝いて見えることが多く、これが『男はつらいよ』シリーズの中で夏の作品が面白いとされる理由であるとも考えられます。 更に、年2本のペースといっても、夏の作品の場合は1月から半年余りかけて製作から撮影まで行なわれるのに対して、正月作品は、8月から12月までのおよそ5ヶ月足らずで作られなければならず、同じ『男はつらいよ』という映画でありながら、制作準備から完成までにかかる時間には大きな差があったということも見逃せません。準備段階で時間的に余裕のある分、脚本の構想を丁寧に練ることが可能となり、それも夏の作品の面白さに繋がって行ったようです。 年2回ペースで作られた『男はつらいよ』も、ウィーンを舞台にした平成元年8月5日封切りの第41作『寅次郎心の旅路』を最後に夏の公開はなくなり、正月だけの作品となります。しかし、寅さんが旅先でマドンナと出会うというパターンは、その後もしっかりと守られました。
それにしても、年2回、盆と正月に公開される映画のために殆ど休みなしだったであろう、山田洋次監督をはじめとするスタッフの「奮闘努力」ぶりには、今更ながら脱帽するより他ありません。 |

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