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古今亭志ん朝の生前の高座を活字化した『志ん朝の落語』全6巻(筑摩書房)を参考に、志ん朝さんの「ネタ」について書いています。 昨日は『志ん朝の落語』に収録された全71席の演目を紹介しました。 今日はこれに引き続いて、それぞれの噺についての「こぼれ話」や、この本には収録されていない噺などについて書いて行きたいと思います。 志ん朝さんが演じた噺を「継承」という点から見ていくと、やはり父の五代目古今亭志ん生、兄の十代目金原亭馬生が十八番としていたものを多く演じているのが一番の特徴と言えます。 志ん生十八番中の十八番「火焔太鼓」をはじめ、「黄金餅」「井戸の茶碗」「茶金」「抜け雀」「今戸の狐」などの古今亭の「お家芸」と呼ばれるものから、「大工調べ」「三軒長屋」「大山詣り」「妾馬」「お化長屋」「宿屋の富」などの長屋噺や滑稽噺、廓噺の「品川心中」「お直し」「三枚起請」「付き馬」「居残り佐平次」「五人廻し」「文違い」、更に人情噺の「文七元結」「芝浜」「唐茄子屋政談」など、概ね志ん生の演じたものを基に他の演者の特長を取り入れながら、独自の噺として練り上げて行きました。 志ん生の十八番の中では、他にも千両富を当てた主人公が、それが原因で逆に不安へと追い詰められる「水屋の富」も演じていたそうで、また、町内で起こった夫婦間の些細な騒動を描いた「風呂敷」も、大阪で放送されたテレビの落語番組で演じたことがありました。 一方で、「昭和の名人」と謳われ、志ん生の良きライバルであり親友でもあった八代目桂文楽の十八番のうち、「明烏」「愛宕山」「船徳」「酢豆腐」、それに志ん生も演じた「厩火事」「富久」「寝床」「鰻の幇間」などを受け継ぎ、これまた独自の噺に仕立て上げて自らの十八番としていました。特に「明烏」などは八代目文楽が健在だった頃から既に高く評価されていたといい、また幇間(たいこもち)が主人公の「愛宕山」では、「狼には“ヨイショ”が効かない」というギャグを取り入れて、観客を大爆笑させたこともありました。 この他、「百川」「小言幸兵衛」は六代目三遊亭圓生、「御慶」は五代目柳家小さん、「高田馬場」は三代目三遊亭金馬、「野晒し」は三代目春風亭柳好、「崇徳院」は三代目桂三木助、「三方一両損」は八代目三笑亭可楽、「堀の内」は四代目三遊亭圓遊がそれぞれ得意としていた噺で、「花見の仇討」「二番煎じ」「碁どろ」は兄の十代目馬生、「羽織の遊び」「代脈」は八代目林家正蔵(彦六)門下で同世代の橘家文蔵に教わったそうです。 異色なのが、芝居好きの小僧が出てくる「四段目」。この噺は上方では「蔵丁稚」という題名で、東西で盛んに演じられていますが、志ん朝さんは、芝居の仕事で大阪に滞在していた際、親交のあった六代目笑福亭松鶴から教わり、40代から突如演じるようになったそうです。 志ん朝さんは落語家になって間もない頃、八代目正蔵の元へ一年半に渡って稽古に通っていた時期があり、そこで前座噺の「寿限無」や「道具屋」から、「宿屋の仇討」「こんにゃく問答」「首提灯」「巌流島」「二十四孝」などの噺を教わったそうです。このうち「こんにゃく問答」や「首提灯」などは時折落語会で演じていたようですが、「宿屋の仇討」は、正蔵門下で、志ん朝さんとは「二朝会」という落語会を開いていたこともある五代目春風亭柳朝が得意にしていましたが、志ん朝さんはやらなかったようです。恐らく「お蔵」にしてしまったのかもしれません。 寄席での志ん朝さんは、よく「時そば」を演じていたそうです。また、NHKラジオの『真打ち競演』に出演した時には「たがや」や「粗忽長屋」を演じていました。十八番としていた噺から滅多に演じることのなかったものまで、恐らく100席余りの「ネタ」を持っていたのではないかと思われます。 『志ん朝の落語』には、遺品となった志ん朝さんのノートが掲載されていて、人一倍稽古をしていた志ん朝さんの知られざる姿を窺い知ることが出来ます。
決して血筋に胡坐をかかず、天分に安住せず、ただひたすら芸道精進を怠ることのなかった古今亭志ん朝という落語家は、本当に偉大であったと改めて思います。 |
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2007年10月02日
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