|
いきなり私事から始まりますが、今日、来年の年賀状を全て出し終わりました。 最近はインターネットや携帯電話が普及したことで、逆に手紙を書く習慣というものが少なくなってきているように思われます。しかも、年始の挨拶も最近ではメールで済ませるケースが増えているそうです。 ハガキや便箋に向かって文字を書くというのは手間のかかる作業ではありますが、自分の気持ちを自分の言葉や文字で伝えるという習慣は、いつまでも大事にすべきではないかと思います。 映画『男はつらいよ』シリーズでは、物語の中で何度も「手紙」が重要な役割を果たしています。 シリーズで最初に登場した手紙は、第1作(昭和44年)で、20年ぶりに故郷・葛飾柴又に帰ってきたにもかかわらず、妹・さくら(倍賞千恵子)の縁談をぶち壊してしまったことでおいちゃん(森川信)と大喧嘩した車寅次郎が、翌日、黙って旅立った際、さくらに宛てた置き手紙でした。 「妹よ。夕べは悪いことをした。俺は出てゆく、たびの空。お前のしあわせいのってる。俺の弟、登(津坂匡章、現・秋野太作)のことはよろしくたのむよ、さようなら。愚かな兄の寅次郎」。 第22作『噂の寅次郎』(昭和53年)でも、タコ社長(太宰久雄)と大喧嘩した翌日、「やっぱり帰ってくるんじゃなかった。社長によろしく言ってくれ。あばよ。とらやご一同様 寅次郎」という手紙を残して柴又を去って行きました。 第1作では、ラストシーンで、寅さんがマドンナ・坪内冬子(光本幸子)に宛てた手紙も登場します。 「拝啓、坪内冬子様。久しきご無沙汰をお許し下さいまし。故郷柴又を出でしより一年余り、思えば月日の経つのは早きもの。風の便りに妹・さくらの出産の知らせを聞き、兄として喜びこれに優る物なく、愚かしき妹なれど私のただ一人の肉親なれば、今後とも御引き立ての程、お願い申し上げます。尚、私事思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はただ後悔と反省の日々を弟・登と共に過ごしておりますれば、お嬢様には他事ながらお忘れ下さる様、ひれ伏してお願い申し上げます」。 この手紙の中の「思い起こせば恥ずかしきことの数々」という言葉は、その後の作品でも、寅さんの手紙の「常套句」として頻繁に登場しています。 寅さんが柴又の人たちに宛てて書く手紙は、自分の消息を伝えるものや過去の行ないに対する反省、それに皆の無事を祈ることと、その内容は大体決まっています。そして、寅さんが手紙を書いているシーンも何度か登場しています。 第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)では、病に倒れたマドンナ・リリー(浅丘ルリ子)を見舞うためにはるばる沖縄へやって来た寅さんが、その様子を伝える手紙を書いているシーンが登場します。第29作『寅次郎あじさいの恋』(昭和57年)のオープニングでは、旅先から柴又に宛てる手紙を書いている途中、たまたま側で絵を書いていた人に「懐かしい」という字の書き方を尋ねます。第47作「拝啓車寅次郎様』(平成6年)の冒頭でも、旅先の郵便局で寅さんが柴又宛てのハガキを出すシーンが出てきます。 ハガキや手紙によって寅さんの消息が分かった例では、第1作、第7作『奮闘篇』(昭和46年)、第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)、第21作『寅次郎わが道をゆく』(昭和53年)などがあり、最終作『寅次郎紅の花』(平成7年)でも、最後にリリーの手紙によって寅さんがまた旅に出たことが明らかにされます。第41作『寅次郎心の旅路』(平成元年)では、ひょんなことからオーストリアのウィーンに旅に出ることになった寅さんが、トイレットペーパーに「さくら心配するな 俺は生きている 寅」と書いて、柴又の人たちに無事を知らせようとしたこともありました。 寅さんの書く手紙は、字は酷いが文章は簡潔且つ行き届いているものが多く、流石は「言葉」を扱うテキヤ稼業に身を置くだけのことはあると感心します。しかし、「手紙を書く」ということは、紙に向かい筆を取り、言葉を選び文章を練りながら文字を記すという手間のかかるもの。決して「忍耐強い」とは言えない寅さんが、その「手間のかかること」を続けるのは、常に迷惑ばかりかけている人たちに対して、面と向かっては言えない自分の気持ちを伝えたいという思いを持ち続けているからであり、それこそが寅さんの「真心」の表れなのでしょう。だから、寅さんの手紙には決して「嘘」がありません。
今やインターネットや携帯電話の普及によって、メールで簡単に連絡を取り合えるようになった時代。しかし、寅さんはメールの打ち方に四苦八苦する姿よりも、やはり手紙を書く姿が似合います。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー



