万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

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「成人の日」を語る

1月15日は「成人の日」で祝日です。
…と、我々にとっては「当たり前」のことだったのが、そうではなくなってから早くも10年が経ちました。

「成人の日」は、昭和23年(1948年)に「国民の祝日に関する法律」、所謂「祝日法」が公布・施行されたことにより祝日として制定されました。この法律によると、「成人の日」は「おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことを趣旨としているそうです。
「成人の日」を語る際に重要なのが、日本の伝統的行事である「小正月」。小正月は元々旧暦の1月15日を指しますが、現在では新暦の1月15日として定着しています。元日を「大正月」と呼び、年神や祖霊を迎え祀る行事が多いのに対して、小正月は「豊作祈願」など農業に関する行事や家庭的な行事が多いのが特徴です。そして、かつては男子の成人を示すための行事である「元服」も、この小正月に行われており、このことが1月15日が「成人の日」となるきっかけとなったのでした。
その「成人の日=1月15日」という図式が絶えたのが、西暦2000年を迎えた平成12年のこと。「ハッピーマンデー制度」の導入に伴い、毎年1月の第2月曜日、つまりその年の1月8日から14日までのうちの月曜日に当たる日が「成人の日」となり、以来、1月15日がこの日に当たることはなくなってしまい、今日に至っているという訳です。

さて、「成人の日」の歴史についての解説はこれくらいにして、ここからは僕、万年寝太郎の「成人の日」の思い出について書きたいと思います。
僕が「成人式」を迎えたのは平成7年(1995年)。この年の1月15日は日曜日で、その日は郷里の尾道で開催される成人式の式典とイベントに出席するため、当時大学2年生だった僕は、その前日の1月14日に大学のあった大阪から帰省。当日の式典とイベントは滞りなく終わり(というよりも、どんなことをやったのか今ではまったく覚えていません)、午後からは小・中学校の同級生が集まって、「成人式」を記念しての同窓会が開かれました。
僕の成人式の特筆すべき事項を挙げると、先ず今書いたように当日が日曜日だったこと。次に、成人の日当日はまだ「成人」ではなかったこと。それでも同窓会ではアルコール類をたっぷりと頂戴しました。
そして、もう一つは、実は成人式やそれに関する行事が無事に終わり、大阪へ戻った直後に予想外のとんでもない出来事に遭遇したことで、自分の成人式の記憶が今では殆ど吹っ飛んでしまっているのは、その出来事のせいであることは間違いありません。
         http://blogs.yahoo.co.jp/mannennetaro2005/22956015.html

ところで、成人式と言えば、1月15日でなくなったことも最近の大きな変化ですが、いつの頃からかごく一部のタチの悪い「新成人」たちが、「大人になったこと」を笠に着てかなのかどうか、方々で「傍若無人」の限りを尽くす姿が毎年のようにテレビなどで紹介されるようになりました。もし彼らが「大人になったら何をやっても許される」という意識からそんな行動を取っているのだとしたら、言うまでもなくそれは明らかに間違っています。「大人になる」ということは、「何をやっても許されること」を意味するのではなく、「何をやっても許されるという考えは許されないということを認識すること」を意味するのだということを、今年「成人」となった人たちも、これから「成人」する人たちもよく理解すべきであると、この場を借りてはっきりと言っておきます。

それにしても、最初の言葉の繰り返しになりますが、「成人の日」が1月15日ではないというのは、1月15日に成人式を迎えた世代の人間としては、いつまでも「違和感」が拭えません。

帰ってきた映画館

小津安二郎監督の『東京物語』(昭和28年)や、『転校生』(昭和57年)をはじめとする大林宣彦監督の一連の作品など、日本映画を代表する名作の舞台となり、映画とは切っても切れない関係にある我が町尾道。
しかしその一方で、「映画館のない町」であるという「映画の町」に相応しくない悲しい現実が存在していました。

日本映画が全盛期だった昭和30年代には島嶼部を合わせて14館もあり、市内の至る所にあった尾道の映画館も、映画界の斜陽と共に1軒、また1軒と減少して行きます。そんな中で最後まで残っていたのが、松竹の撤退後、当時の社員が昭和48年に引き継いだ「尾道駅前松竹」。名前の通り、JR尾道駅のちょうど真向かいにあり、年号が平成に変わって以降はその時代ごとの大作、話題作と「ピンク映画」を交互に上映するという、何とも不思議な映画館ではありましたが、それでも「映画の町」の唯一の映画館であることには違いはありませんでした。
しかし、その「尾道駅前松竹」も平成12年夏に「休館」。尾道で映画を観る場所がなくなってしまいます。

尾道が「映画館のない映画の町」となって4年経った平成16年9月、ある団体が発足します。NPO法人シネマ尾道、通称「尾道に映画館をつくる会」。地元在住の河本清順さんを中心に、尾道市内外に住む映画ファンの様々なメンバーが尾道に映画館を復活させるために集まり、「毎日映画を見に行ける場所が町にあるということが絶対に必要」という考えの下、資金集めや映画館の場所探しに奔走する一方、尾道駅の側にある広域交流施設「しまなみ交流館」での映画会や毎週末に往年の日本映画を上映する「おのみち週末映画館」、2ヶ月に1回ペースでの「特別映画会」を開催するなど、地道な活動を続けます。
こうした努力が実を結び、「尾道最後の映画館」となった「尾道駅前松竹」の建物の持ち主から建物を借り受け、平成20年4月の開館を目指しますが、ここで思いがけないアクシデントやトラブルに見舞われます。平成20年の元日、新しい映画館のために購入した映写機やアンプ、スピーカーを保管していた倉庫が全焼。更に建物に関して現行の消防法や建築基準法の問題が浮上し、4月の開館は不可能となってしまいます。念願が叶う目前に訪れた最大の危機。しかし、代わりの映写機などを閉館した別の映画館から格安で譲り受け、法律上の問題も改修工事によってクリア。当初の予定より半年遅れの10月18日、漸く新しい映画館「シネマ尾道」が開館。尾道に7年ぶりに映画館が復活しました。

去年、「シネマ尾道」が開館して間もなく、地元ケーブルテレビで開館までの軌跡を追った10分間のドキュメンタリー番組が放送されました。この番組でBGMとして流れたのが、かまやつひろしが歌う「やつらの足音のバラード」(※、作詞・園山俊二、作曲・かまやつひろし)。
 ♪ 何にもない 何にもない 全く何にもない
   生まれた 生まれた 何が生まれた
   星が一つ 暗い宇宙に生まれた…
考えてみれば、「シネマ尾道」という映画館は、「映画館のない映画の町」に生まれた一つの「星」。そして、「何にもない」ところから映画館を復活させた人々のエネルギーをも象徴しているのかもしれません。そうだとすると、「やつらの足音のバラード」は、「シネマ尾道」の全てを言い表している歌であるような気がします。

開館以来、予想以上の盛況を見せている「シネマ尾道」。今年1月には地元出身の大林宣彦監督が訪問し、2月には大林監督の最新作『その日のまえに』が上映され、公開期間中の2月11日には、大林監督などによる舞台挨拶も予定されています。
「映画の町」尾道に久しぶりに帰ってきた映画館。その一大シンボルとして末永く続くことを願うと共に、自分もそのために役に立てたらと思っています。


(平成21年1月7日起稿のものを加筆・修正)
皆様、新年明けましておめでとうございます。
たとえ世の中がおめでたくなくても、こう言わなければ新しい年は始まらないのでございます。
世間と同様、当「万年寝太郎徒然日記」は今日が平成21年の「仕事始め」。本年も御贔屓・御愛顧の程、何卒宜しくお願い致します。

ところで、この年末年始もテレビでは色々な番組が放送され、中でも「お笑い」関係の番組が多く放送されていました。皆さんも御覧になったことでしょう。
最近では、年末年始に限らずテレビで様々な「お笑い番組」が放送され、また多くのお笑い芸人が次から次へと登場しています。しかし、日本で「お笑い」の原点と言えば、何といっても落語です。
ここ数年、落語がブームであるとよく言われます。このブログでも、以前「落語ブーム」について書いたことがあり(※1)、またそれ以前には、現代は落語が昔よりもっと身近になっているということについて書いたこともあります(※2)。最近の「落語ブーム」は、落語という芸能そのものが注目されているのが特徴ですが、演じる落語家たちの個性がそれぞれ際立っていたのは、やはり昭和、それも戦後の昭和20年代から30年代にかけてだったのかもしれません。

年末から年始にかけて、その「昭和の落語と落語家たち」にスポットを当てた2つの本に接しました。
1つ目は、『談志絶倒昭和落語家伝』(大和書房)。タイトル通り、自らも落語家でありながら、「寄席ファン」であり、「誰よりもファンで、マニア」であることを自認する立川談志師が、昭和20年代後半から30年代初めにかけて多くの落語家の写真を撮りまくった写真家・田島謹之助さんの所蔵フィルムを元に、それぞれの落語家についての思い出や芸の批評を語るという、落語ファンにとってはたまらない1冊です。
登場する落語家を目次に沿って列挙すると、六代目三遊亭圓生、三代目春風亭柳好、三代目桂三木助(四代目三木助の父)、八代目桂文楽、六代目春風亭柳橋、(初代)桂小文治、五代目古今亭今輔、八代目三笑亭可楽、四代目三遊亭圓馬、四代目三遊亭圓遊、二代目桂枝太郎、七代目春風亭小柳枝、(先代)昔々亭桃太郎(柳家金語楼の実弟)、林家三平、十代目金原亭馬生、三代目柳家小せん(後の二代目古今亭甚語楼)、七代目橘家圓蔵、九代目翁家さん馬(後の九代目桂文治)、三遊亭百生、二代目桂右女助(うめすけ、後の六代目三升家小勝)、八代目春風亭柳枝、八代目林家正蔵(彦六)、二代目三遊亭円歌、八代目桂文治、五代目古今亭志ん生、そして「トリ」が談志師の師匠である五代目柳家小さんという顔触れ。
「昭和の名人」から人気者、更に今では忘れられてしまった人まで様々な落語家たちが登場していて、しかも、まだ真打ちに昇進する前の三平や十代目馬生の20代の頃の写真が見られるのも貴重です。
談志さんは「まえがき」で、「ここに写っている人たち、つまり噺家、これが東京の噺家の全て、といっていい。つまり、この通り少なかったのだ」と書き出した上、「この当時と比べ、現在の噺家どもの多さ。内容はともかく、その数において隔世の感がある。桁違いの多さだ。その理由は一つ、“誰でもなれるから”…」と述べています。
因みに、談志さんはこの当時の落語家の名前と本名は全部言えるそうです。落語家の数は少なくても、当時の世の中と同様、落語や寄席の世界が生き生きと輝いていた時代の空気が伝わってくる本とも言えます。

もう1つは、今日創刊号が発売された『落語 昭和の名人決定版』(小学館)。1年間に渡って隔週火曜日に発売されるCD付きの雑誌で、これまた「昭和の名人」から埋もれた落語家まで総勢26人が登場することになっています。昭和を代表する落語家が数多いる中で、創刊号で紹介されているのは、平成13年に亡くなった後も、昨年はDVDで「復活」を果たすなど、現在でも絶大な人気を誇る古今亭志ん朝。「志ん朝は決して昭和“だけ”の名人ではない!」と思っているのは、決して僕だけではないでしょう。更に言えば、「昭和の名人」と題した本の中に「古今亭志ん朝」という名前があるのは、落語ファンにとってはあまりにも悲しい現実と言わなければなりません。
ともあれ、これからの1年間がとても楽しみなのは言うまでもありません。

最近は、「落語ブーム」であると同時に「昭和ブーム」でもあります。
僕も今年は「昭和の落語家たちの芸」をこれまで以上にじっくりと楽しみたいと、この2冊の本に目を通しながら思った次第です。

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