万年寝太郎徒然日記

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『男はつらいよ』の世界

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映画『男はつらいよ』。
その第1作が封切られたのは、昭和44年8月27日のことです。

渥美清演じる「寅さん」こと車寅次郎を主人公に、足掛け26年、全48作が作られた『男はつらいよ』シリーズは、大きく4つに区分けすることが出来ると考えます。
先ずは、第1作から第8作『寅次郎恋歌』(昭和46年)までの「黎明期」。
第1作『男はつらいよ』は、昭和44年6月に作品が完成したものの、元々がその前年に放送されたテレビドラマを映画化したものであったため、配給元の松竹では難色を示し、「絶対にヒットしない」という声が多くを占めていました。しかし、この第1作が予想外の大ヒットを記録すると、3ヶ月後の同年11月に第2作『続・男はつらいよ』、それから2ヶ月後の翌昭和45年1月に第3作『フーテンの寅』(監督・森崎東)、更にそれから1ヶ月後の同年2月に第4作『新・男はつらいよ』(監督・小林俊一)と、僅か半年の間で一気に4作が作られます。これは第1作が興行的に当たったから次々と続編を作ったという程度に過ぎなかったのですが、久々にメガホンを取った山田洋次監督が「完結編」のつもりで作った第5部『望郷篇』(昭和45年)から本格的なシリーズとして方向付けられ、第8作『寅次郎恋歌』では、それまで100万人弱だった観客動員数が一気に150万人を突破して、人気を不動のものにします。
この「黎明期」は、そのまま「おいちゃん」こと車竜造役が初代の森川信だった時代と重なります。浅草の軽演劇出身で、テレビドラマから引き続いてこの役を演じた森川信は、同じく浅草のストリップ劇場「フランス座」出身の渥美清とは芝居の息がピッタリで、コミカルな仕草や寅さんとの掛け合いは、落語そのままの雰囲気を感じさせるものでした。

次に、第9作『柴又慕情』(昭和47年)から第26作『寅次郎かもめ歌』(昭和55年)までの「絶頂期」。
『柴又慕情』から8月のお盆前後と正月の年2回の公開が定着し、「国民的映画」の道を着実に歩んで行きます。シリーズに欠かせない「マドンナ」役を見渡しても、『柴又慕情』と第13作『寅次郎恋やつれ』(昭和49年)の高見歌子(吉永小百合)、第17作『寅次郎夕焼け小焼け』(昭和51年)のぼたん(太地喜和子)、それに第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)で初登場し、第15作『寅次郎相合い傘』(昭和50年)、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)にも登場したリリー松岡(浅丘ルリ子)など、印象に残る顔触れが登場します。全48作の中でファンの人気が高い作品の大半もこの時代のものが占めており、まさにシリーズの歴史の中でも最も充実した時代だったと言えます。
尚、『寅次郎恋歌』まで森川信が演じたおいちゃん役は、『柴又慕情』から2代目の松村達雄に引き継がれ、更に第14作『寅次郎子守唄』(昭和49年)からは3代目の下條正巳が演じ、ここにシリーズお馴染みのメンバーがほぼ揃うことになります。

「絶頂期」の後、第27作『浪花の恋の寅次郎』(昭和56年)から第41作『寅次郎心の旅路』(平成元年)までが「安定期」になります。
第1作以来、様々なマドンナと出会い恋を繰り返してきた寅さんですが、「安定期」の途中からは、マドンナに恋しながら、そのライバルが現われるや、一転してそのサポート役に転じて2人の仲を取り持つというパターンが見られるようになります。また、さくら(倍賞千恵子)一家の生活が急激に変化し豊かになって行く課程が以前よりも深く描かれるようになったのもこの時代の特徴でしょう。
「安定期」の始まりを『浪花の恋の寅次郎』にしたのは、この作品からさくらの長男・満男役が吉岡秀隆になったからで、シリーズが進むにつれて満男の存在は大きくなって行きます。第33作『夜霧にむせぶ寅次郎』(昭和59年)からは、タコ社長(太宰久雄)の娘・あけみ(美保純)が登場。第40作『寅次郎サラダ記念日』(昭和63年)からは、「とらや」の名称が「くるまや」に変わります。マンネリ化が囁かれ、渥美清が60歳を迎えたこともあり、『男はつらいよ』シリーズは大きな曲がり角に立つことになります。
シリーズが始まって20年、年号が昭和から平成に変わって最初の作品となった『寅次郎心の旅路』が、夏に公開された『男はつらいよ』としては最後の作品となりました。

第42作『ぼくの伯父さん』(平成元年)から、『男はつらいよ』は「晩期」へと入ります。
この作品から「お正月映画」として年1回の公開となり、同時に寅さん中心の物語から、満男の成長にも重点を置いた物語へと変容します。ここで重要な役割を担ったのが、後藤久美子演じる満男の恋人・及川泉で、この2人の恋の行方もシリーズの大きな見所となります。
平成に入ると、渥美清の体は病魔に冒され、急激に体力の衰えを見せるようになります。第47作『拝啓車寅次郎様』(平成6年)、そして最後の作品となった第48作『寅次郎紅の花』(平成7年)は、山田洋次監督が「もう1作」と「これで最後」という2つの思いを交錯させながら作ったそうです。
歴代マドンナの中でも随一の人気を誇るリリーが、『寅次郎ハイビスカスの花』以来15年ぶり、4度目の登場となった『寅次郎紅の花』が公開されて約8ヶ月後、平成8年8月4日、渥美清は68歳で世を去り、映画『男はつらいよ』シリーズはその歴史に幕を降ろしたのでした。

人の一生がいくつかの段階に区分け出来るように、『男はつらいよ』も4つの段階に区分けすることが出来ます。
このような映画は古今東西、後にも先にもなく、またこれからも出てこないでしょう。
『男はつらいよ』全48作の中で、車寅次郎が故郷の葛飾柴又で新しい年を迎えたことはありませんでした。
そのため、映画の中で描かれる年末年始のシーンと言えば、元日から帝釈天の参拝客などで賑わう「とらや」の風景や、全国各地で「啖呵売」に精を出す寅さんの姿などがお馴染みだった反面、大晦日から新年にかけての様子が描かれることは殆どありませんでした。

その中で唯一、「ゆく年くる年」の柴又と「とらや」の人々が描かれた作品があります。シリーズ第3作にして異色作でもある『フーテンの寅』(昭和45年・森崎東監督)がそれです。
先ず、この『フーテンの寅』の粗筋ですが、寅さんが柴又に帰って来て早々、タコ社長(太宰久雄)が見合いを持ち込んできたものの、その相手は寅さんの昔の知り合い。夫が浮気をした腹いせに見合いをしたことを聞いた寅さんは2人のヨリを戻すために奔走しますが、「とらや」でドンチャン騒ぎをしたのが原因でおいちゃん(森川信)たちと大喧嘩になり、柴又を旅立ってしまいます。その後、三重県の湯の山温泉の旅館の女将で、未亡人の志津(新珠三千代)に一目惚れしてその番頭となった寅さんは、何も知らずに湯治にやって来たおいちゃん、おばちゃん(三崎千恵子)の相手をしたり、志津の弟と芸者の恋をまとめますが、肝心の志津には既に再婚相手が決まっており、失恋した上に旅館の人たちに無様な姿を見られた寅さんは、湯の山温泉を去って行くのでした。

こうした騒動が描かれた後、物語の終盤に大晦日から元日にかけての「とらや」が出てきます。
除夜の鐘を撞くために帝釈天の鐘楼に上がる御前様(笠智衆)。一方、正月の準備に追われる「とらや」では、テレビで「ゆく年くる年」を見ながら年越しそばを食べ、新しい年を迎えようとしていました。銀座・服部時計店の時計台が午前0時をさし、1969年(昭和44年)が終わり「輝かしい希望に満ちた」1970年(昭和45年)へ。おいちゃんの音頭取りで一同が新年の挨拶をしたのも束の間、話題は寅さんへ。
 博「今頃、どこかの吹きさらしの駅のホームかなんかで…」
 おいちゃん「そんな所だろうなあ。バカだねえ、あいつは本当にバカだよ…」

「とらや」で寅さんの噂が出ている間に、テレビの映像は九州・鹿児島の霧島神宮へ。アナウンサーが現地の様子をレポートしている時、その後ろを寅さんと思しき男が横切ります。驚くさくら。「あちらの方がどうしても何か喋らせて欲しいと仰っていますので、早速伺いましょう」と言った後に出てきたのは、案の定、寅さん。思わぬ事態に「とらや」の人々が驚くのを知ってか知らずか、「日本の国民の皆さん、新年あけましておめでとうございます」と挨拶した後、アナウンサーから家族のことを聴かれると、「子供…、2人、いや3人になるかな、俺に似て可愛いよ」と言う始末。しかも、「奥さんやお子さんにテレビを通じて新年の挨拶を」と言われると、「お志津よ、元気でやってるかい?」と、湯の山温泉で失恋した相手の名前を言ってしまうのでした。
「何が子供だい。そんなものがどこにいるんだい。バカだよ。あいつは本当にバカだよ…」と言って涙ぐむおいちゃん。隣で泣くおばちゃん。そして、さくらもハンカチを出して涙を拭くのでした。

『男はつらいよ』全48作の中で唯一「ゆく年」から「くる年」にかけての「とらや」が描かれたこのシーンは、テレビを通じて架空の家族へ語りかける寅さんを通して、そうすることでしか自分の家族を持つことが出来ない寅さんの悲哀をも描いた、シリーズでも屈指の「可笑しくも哀しい名シーン」である点でも貴重であると言えます。

寅さんの手紙

いきなり私事から始まりますが、今日、来年の年賀状を全て出し終わりました。
最近はインターネットや携帯電話が普及したことで、逆に手紙を書く習慣というものが少なくなってきているように思われます。しかも、年始の挨拶も最近ではメールで済ませるケースが増えているそうです。
ハガキや便箋に向かって文字を書くというのは手間のかかる作業ではありますが、自分の気持ちを自分の言葉や文字で伝えるという習慣は、いつまでも大事にすべきではないかと思います。

映画『男はつらいよ』シリーズでは、物語の中で何度も「手紙」が重要な役割を果たしています。
シリーズで最初に登場した手紙は、第1作(昭和44年)で、20年ぶりに故郷・葛飾柴又に帰ってきたにもかかわらず、妹・さくら(倍賞千恵子)の縁談をぶち壊してしまったことでおいちゃん(森川信)と大喧嘩した車寅次郎が、翌日、黙って旅立った際、さくらに宛てた置き手紙でした。
「妹よ。夕べは悪いことをした。俺は出てゆく、たびの空。お前のしあわせいのってる。俺の弟、登(津坂匡章、現・秋野太作)のことはよろしくたのむよ、さようなら。愚かな兄の寅次郎」。
第22作『噂の寅次郎』(昭和53年)でも、タコ社長(太宰久雄)と大喧嘩した翌日、「やっぱり帰ってくるんじゃなかった。社長によろしく言ってくれ。あばよ。とらやご一同様 寅次郎」という手紙を残して柴又を去って行きました。

第1作では、ラストシーンで、寅さんがマドンナ・坪内冬子(光本幸子)に宛てた手紙も登場します。
「拝啓、坪内冬子様。久しきご無沙汰をお許し下さいまし。故郷柴又を出でしより一年余り、思えば月日の経つのは早きもの。風の便りに妹・さくらの出産の知らせを聞き、兄として喜びこれに優る物なく、愚かしき妹なれど私のただ一人の肉親なれば、今後とも御引き立ての程、お願い申し上げます。尚、私事思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はただ後悔と反省の日々を弟・登と共に過ごしておりますれば、お嬢様には他事ながらお忘れ下さる様、ひれ伏してお願い申し上げます」。
この手紙の中の「思い起こせば恥ずかしきことの数々」という言葉は、その後の作品でも、寅さんの手紙の「常套句」として頻繁に登場しています。

寅さんが柴又の人たちに宛てて書く手紙は、自分の消息を伝えるものや過去の行ないに対する反省、それに皆の無事を祈ることと、その内容は大体決まっています。そして、寅さんが手紙を書いているシーンも何度か登場しています。
第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)では、病に倒れたマドンナ・リリー(浅丘ルリ子)を見舞うためにはるばる沖縄へやって来た寅さんが、その様子を伝える手紙を書いているシーンが登場します。第29作『寅次郎あじさいの恋』(昭和57年)のオープニングでは、旅先から柴又に宛てる手紙を書いている途中、たまたま側で絵を書いていた人に「懐かしい」という字の書き方を尋ねます。第47作「拝啓車寅次郎様』(平成6年)の冒頭でも、旅先の郵便局で寅さんが柴又宛てのハガキを出すシーンが出てきます。
ハガキや手紙によって寅さんの消息が分かった例では、第1作、第7作『奮闘篇』(昭和46年)、第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)、第21作『寅次郎わが道をゆく』(昭和53年)などがあり、最終作『寅次郎紅の花』(平成7年)でも、最後にリリーの手紙によって寅さんがまた旅に出たことが明らかにされます。第41作『寅次郎心の旅路』(平成元年)では、ひょんなことからオーストリアのウィーンに旅に出ることになった寅さんが、トイレットペーパーに「さくら心配するな 俺は生きている 寅」と書いて、柴又の人たちに無事を知らせようとしたこともありました。

寅さんの書く手紙は、字は酷いが文章は簡潔且つ行き届いているものが多く、流石は「言葉」を扱うテキヤ稼業に身を置くだけのことはあると感心します。しかし、「手紙を書く」ということは、紙に向かい筆を取り、言葉を選び文章を練りながら文字を記すという手間のかかるもの。決して「忍耐強い」とは言えない寅さんが、その「手間のかかること」を続けるのは、常に迷惑ばかりかけている人たちに対して、面と向かっては言えない自分の気持ちを伝えたいという思いを持ち続けているからであり、それこそが寅さんの「真心」の表れなのでしょう。だから、寅さんの手紙には決して「嘘」がありません。
今やインターネットや携帯電話の普及によって、メールで簡単に連絡を取り合えるようになった時代。しかし、寅さんはメールの打ち方に四苦八苦する姿よりも、やはり手紙を書く姿が似合います。

夏の『男はつらいよ』

映画『男はつらいよ』は、シリーズの全盛期には必ず正月と8月のお盆前後に公開され、これも人気の要素の1つにもなったと思われます。
時候の挨拶のように規則正しく新しい作品が公開されるごとに、人々は季節や歳月の移ろいを感じ、また車寅次郎をはじめとするお馴染みの人々を観ることで、家族や親戚、親しい友人と再会するような気分も味わったのではないでしょうか。

『男はつらいよ』が盆と正月の年2作のペースで公開されるスタイルが定着したのは、昭和46年12月29日封切りの第8作『寅次郎恋歌』からで、それから14年後の昭和60年12月28日に封切られた第36作『柴又より愛をこめて』まで、足掛け15年に渡ってこのペースは継続されました。
元高校教師で、『男はつらいよ』シリーズの研究家である吉村英夫さんの著書「完全版『男はつらいよ』の世界」(集英社文庫)のうち、第15作『寅次郎相合い傘』(昭和50年)の章の「なぜ、夏作品が面白いか」という項目の中で、「印象的で、切れ味もよく、評価が高い」作品として、第9作『柴又慕情』(昭和47年)、第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)、『寅次郎相合い傘』、第17作『寅次郎夕焼け小焼け』(昭和51年)、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)、第29作『寅次郎あじさいの恋』(昭和57年)を挙げ、これらの作品が全て夏の作品であることを指摘しています。

夏の『男はつらいよ』の大きな特徴と言えば、吉村さんも今挙げた本の中で書いていますが、寅さんとマドンナとの出会いが旅先であることでしょう。
『柴又慕情』のマドンナ・歌子(吉永小百合)とは、お互いの旅の途中だった金沢で出会い、2度目の登場となった第13作『寅次郎恋やつれ』(昭和49年)では、津和野で偶然再会を果たします。シリーズ最多登場のリリー(浅丘ルリ子)との最初の出会いは、『寅次郎忘れな草』での網走に向かう夜汽車の中。網走の町で再び会った2人は「自分たちの生活はあぶくみたいなもの」と語り合います。『寅次郎相合い傘』で再会を果たすのは同じ北海道の函館のラーメン屋台。『寅次郎ハイビスカスの花』では、沖縄で倒れたリリーを寅さんが見舞いに訪れ、それから2人で共同生活を送ることになります。
その他、『寅次郎夕焼け小焼け』の芸者ぼたん(太地喜和子)との出会いは播州龍野、第19作『寅次郎と殿様』の殿様(嵐寛寿郎)、マドンナ・鞠子(真野響子)との出会いは伊予大洲、第27作『浪花の恋の寅次郎』(昭和56年)では、マドンナ・ふみ(松坂慶子)と瀬戸内海の小島で出会い、その後大阪で再会。最後は結婚したふみと対馬で三度再会を果たします。そして『寅次郎あじさいの恋』でのマドンナ・かがり(いしだあゆみ)との出会いは、葵祭で賑わう京都でした。

このように、夏の作品はマドンナとの出会いが旅先であることが圧倒的に多く、例外は、さくらの幼馴染で松竹歌劇団(SKD)の花形スター紅奈々子(木の実ナナ)がマドンナで登場した、第21作『寅次郎わが道をゆく』(昭和53年)くらいでしょう。これも吉村さんが指摘していますが、寅さんとマドンナとの出会いが旅の途中だと、目新しい景色に女性を立たせることになるためか作品としても輝いて見えることが多く、これが『男はつらいよ』シリーズの中で夏の作品が面白いとされる理由であるとも考えられます。
更に、年2本のペースといっても、夏の作品の場合は1月から半年余りかけて製作から撮影まで行なわれるのに対して、正月作品は、8月から12月までのおよそ5ヶ月足らずで作られなければならず、同じ『男はつらいよ』という映画でありながら、制作準備から完成までにかかる時間には大きな差があったということも見逃せません。準備段階で時間的に余裕のある分、脚本の構想を丁寧に練ることが可能となり、それも夏の作品の面白さに繋がって行ったようです。

年2回ペースで作られた『男はつらいよ』も、ウィーンを舞台にした平成元年8月5日封切りの第41作『寅次郎心の旅路』を最後に夏の公開はなくなり、正月だけの作品となります。しかし、寅さんが旅先でマドンナと出会うというパターンは、その後もしっかりと守られました。
それにしても、年2回、盆と正月に公開される映画のために殆ど休みなしだったであろう、山田洋次監督をはじめとするスタッフの「奮闘努力」ぶりには、今更ながら脱帽するより他ありません。

結婚しない男

人間にとって人生最大のテーマ、それは恐らく「結婚」ではないでしょうか。
『男はつらいよ』全48作の中でも、車寅次郎がマドンナと結婚出来るかどうかが毎回最大のヤマ場であり、寅さんがいつも結婚を憧れを抱きながら失敗に終わるというパターンが繰り返されてきました。

シリーズ初期には、寅さんが一方的にマドンナとの結婚を思い描きながら、結局失恋に終わってしまうというパターンが多かったようです。
例えば、第1作(昭和44年)では、御前様(笠智衆)の娘・冬子(光本幸子)に恋心を抱くものの、大学教授の婚約者がいることを知って落胆し、柴又を旅立って行きました。第3作『フーテンの寅』(昭和45年・森崎東監督)では、タコ社長(太宰久雄)が見合い話を持ち込んでくるものの、これがとんだ訳ありで御破算。三重の湯の山温泉の旅館の女将で未亡人の志津(新珠三千代)に一目惚れして、その番頭になりますが、彼女にも再婚相手が決まっており、見事に振られてしまいます。第5作『望郷篇』(昭和45年)では、「額に汗して働くこと」に目覚めて浦安の豆腐屋に住み込みで働き始めた寅さんが、その娘・節子(長山藍子)との結婚を夢見るものの、彼女には既に鉄道員の婚約者がいたことで、恋と「額に汗して働く」という意欲が同時に破れてしまいます。

寅さんが女性からはっきりとプロポーズに近いことを言われたのは、第10作『寅次郎夢枕』(昭和47年)の千代(八千草薫)が最初と思われます。寅さんとは幼馴染の彼女は、本気で寅さんとの結婚を考えていましたが、結局成就せず、後に「とらや」でそのことを打ち明けても一笑に付されてしまいました。第28作『寅次郎紙風船』(昭和56年)では、昔のテキヤ仲間の妻であった光枝(音無美紀子)との結婚を考え、就職の面接を受けに行ったほどでした。第32作『口笛を吹く寅次郎』(昭和58年)に登場した、備中・高梁の寺の娘・朋子(竹下景子)は、「結婚するなら寅さんのような人が良い」と父親にも打ち明け、寅さん自身も大いに乗り気でしたが、結局これも幻に終わってしまいました。

この他にも、寅さんが結婚を夢見たり、逆に寅さんとの結婚を真剣に考えたマドンナが、次から次へと現れますが、その度に寅さんは振られたり敵前逃亡したりしたものでした。その中でも最も惜しかったのが、第11作『寅次郎忘れな草』(昭和48年)、第15作『寅次郎相合い傘』(昭和50年)、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』(昭和55年)、そして最終作『寅次郎紅の花』(平成7年)の4回に渡って登場したリリー(浅丘ルリ子)であったことは間違いありません。第15作では、さくらからの申し入れを一旦はリリーが承諾したものの、寅さんの「冗談言うなよ」の一言で立ち消え。第25作では、沖縄で喧嘩別れした2人が柴又で再会を果たし、今度は寅さんがリリーに「俺と所帯を持つか?」と告白するも、「暑かったから俺もリリーも夢を見ていた」ということでこれまた立ち消え。最終作では、寅さんとリリーは奄美大島で共に暮らしながら、結局喧嘩の繰り返しで結婚までには至りませんでした。
結婚には人一倍憧れを抱きながら、いざそのチャンスが転がり込むと逃げてしまう。しがないテキヤ稼業の自分には、結婚して家庭を持つという「堅気」の生活は向いていないということを、寅さん自身が誰よりもよく分かっていたからではないでしょうか。そして、それは寅さんが持っている、心から相手を思う「優しさ」の裏返しであり、「ダンディズム」の表われではないかとも思ったりするのです。

「結婚しない男」である寅さんが、1度だけ花嫁を連れた紋付袴姿で「とらや」を訪れたことがあります。
第13作『寅次郎恋やつれ』(昭和49年)の冒頭の夢のシーンで、結婚の報告をするために「とらや」へ立ち寄ったところ、さくらと博から、おいちゃんとおばちゃんが去年の秋に亡くなったことを知らされるというものでした。
夢の中に留まらず、現実の世界でも寅さんが結婚することを願っているのは、さくらたち「とらや」や柴又の人たちだけでなく、我々もまた同じなのです。

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