万年寝太郎徒然日記

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『男はつらいよ』の世界

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寅次郎と「桜」

映画『男はつらいよ』では、サブタイトルの中に花の名前が取り入れられたり、また花が物語の重要なアイテムとして何度も登場します。
しかし、数ある花々の中で車寅次郎が最も愛し、また思い入れを持っている花と言えば、やはり「桜」ではないでしょうか。
今回は、寅さんの桜への思いが伺えるセリフや語りを紹介したいと思います。

『男はつらいよ』第1作(昭和44年)は、20年ぶりに故郷の葛飾柴又に帰って来た寅さんの語りから始まります。
「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が、今年も咲いております。思い起こせば20年前、つまらねえことで親父と大喧嘩。頭を血の出るほどぶん殴られて、そのまんまぷいっと家をおん出て、もう一生帰らねえ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると、決まって思い出すのは故郷のこと。ガキの時分、洟垂れ仲間を相手に暴れ回った水元公園や、江戸川の土手や帝釈様の境内のことでございました。風の便りに二親も秀才の兄貴も死んじまって、今、たった一人の妹だけが生きてることだけは知っておりましたが、どうしても帰る気になれず、今日の今日までこうして御無沙汰に打ち過ぎてしまいました。今、こうして江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気が致します。そうです。私の生まれ故郷と申しますのは、東京葛飾の柴又でございます」。

第38作『知床慕情』(昭和62年)のオープニングでは、寅さんが桜を通じてその思いと共に、少年時代の思い出や家出の経緯を詳しく語っています。
「『様々なこと、思い出す桜かな』―。昔の人は味なことを言ったものでございます。満開の桜を眺めておりますと、私のような愚か者でも様々なことを思い出します。思い起こせば、親父と大喧嘩をした十六の春。これが見納めかと、涙をこぼしながら歩いた江戸川の土手は、一面の桜吹雪でございました。今では1本も残っておりませんが、私がガキの時分、江戸川堤は桜の名所だったのでございます。毎年春になると両親に連れられ、妹・さくらの手を引いて花見見物に出かける時の、あのわくわくするような楽しい気持ちを、今でもまざまざと思い出します。あっ、申し遅れました。私の故郷と申しますのは、東京は葛飾柴又、江戸川のほとりにございます」。
この言葉からは、少年時代の寅さんは生い立ちは不幸だったにせよ、育ての親であるさくらの母親に大事に育てられ、寅さんも慕っていたこと、そして寅さんが家出したのがちょうど4月の桜の季節であったことが分かります。その点で、この作品での寅さんの語りは貴重です。

桜、花見と言えば、第3作『フーテンの寅』(昭和45年・森崎東監督)の最後に、鹿児島から船で種子島へ渡る寅さんが、「そうよなあ、今度鹿児島に帰ってくるのは3月の頭かなあ。桜の花もぼちぼち咲こうって頃よ。それから熊本、小倉、尾道とずーっと下がって4月は関東、5月は東北、6月は北海道…。俺たちの旅は桜の花と一緒よ。花見と旅だい」と、船の乗客を相手に喋るシーンが登場します。ここでは、桜を通じて寅さんの旅暮らしの日々が語られています。
ここまで見てみると、寅さんという人は桜の花が好きというよりも、そこから自分のこれまでの人生や旅に生きる心情を重ね合わせ、また故郷の葛飾柴又へ思いを馳せていたのでしょう。そして、妹の名前も「さくら」。桜を見ながら、先ず故郷にいる妹のことを思っていたのかもしれません。

『男はつらいよ』シリーズが、正月と8月のお盆前後の年2回公開されていた頃、夏の作品では、寅さんが柴又へ帰って来るのは大体新緑の時期でした。きっと、桜の花との旅を終えてから、故郷に帰って来ていたのでしょう。
今年の「桜前線」も、漸く北海道まで到達したようです。寅さん、今でもまだ「花見の旅」を続けているのでしょうか。
このブログでも何度も書いていますが、映画『男はつらいよ』のルーツとなったのは、テレビドラマ『男はつらいよ』です。つまり、車寅次郎はテレビから生まれたキャラクターという訳です。
ここで改めて、ドラマ『男はつらいよ』について触れてみたいと思います。

ドラマ『男はつらいよ』は、昭和43年10月3日から翌昭和44年3月27日まで、フジテレビ系で木曜夜10時からの45分間、全26回に渡って放送されました。モノクロ作品で、企画段階では『愚兄賢妹』(ぐけいけんまい)というタイトルだったのが、堅い印象で売り出しにくいということで別のタイトルを検討したところ、渥美清が毎回違う役で主役を務め、昭和42年から43年にかけて放送されたドラマ『泣いてたまるか』の中で、山田洋次監督が脚本を書いた「男はつらい」という作品があり、これをヒントにして『男はつらいよ』というタイトルになったそうです。
主な出演者は、主人公・車寅次郎は勿論渥美清ですが、その他は、さくら=長山藍子、おいちゃん・竜造=森川信、おばちゃん・つね=杉山とく子、舎弟・登=津坂匡章(現在の秋野太作)、腹違いの弟・裕次郎=佐藤蛾次郎、さくらの後の夫・諏訪博士=井川比佐志、さくらの恋人・鎌倉=横内正、恩師・坪内散歩先生=東野英治郎、散歩先生の娘・冬子=佐藤オリエ、冬子の婚約者・藤村=加藤剛と、後の映画版とは一部異なります。

物語は、家出して行方不明だった車寅次郎が十数年ぶりに故郷の柴又に帰って来て、おいちゃん、おばちゃん、そしてさくらと再会を果たす所から始まります。恩師の散歩先生を訪ねた直後、盲腸で入院した寅さんは、先生の娘・冬子が見舞いに来た途端に回復。冬子に思いを寄せます。寅さんを診察した医師の諏訪はさくらに好意を持ち、そのさくらは恋人・鎌倉と考え方の違いから別れてしまいます。舎弟・登や腹違いの弟・裕次郎が現われ、実の母親との哀しい再会や「隠し子騒動」など様々な出来事の後、さくらは諏訪と結婚。散歩先生が病気に倒れ、「天然の鰻が食べたい」と言われた寅さんは苦労の末漸く鰻を釣り上げ料理するものの、先生はそれを口にすることなく亡くなります。冬子への思いから葬儀を無事に済ませた寅さんでしたが、彼女の婚約者であるバイオリニスト・藤村の登場によってその恋も終わり、「とらや」も店を閉めておいちゃんたちが隠居することになります。
最終回、寅さんは誰にも告げずに柴又を去り旅に出ます。それから3ヶ月後、諏訪と2人でアパートに暮らすさくらのもとに裕次郎が訪れ、寅さんが奄美大島でハブに噛まれて死んでしまった顛末を話します。
兄の死を信じないさくらでしたが、夜、幻影となって現われた寅さんが遠い彼方へ消えてしまってことで漸く寅さんの死を理解し、物語は終わります。

平成8年8月に渥美清が亡くなった時、「追悼番組」としてドラマの第1回と最終回が放送され、また、この2本は後にビデオ化されました。映画とテレビとの違いを比較すると、御前様(笠智衆)、タコ社長(太宰久雄)、源公(佐藤蛾次郎)といった後の常連が登場しないことと、さくらの結婚相手となる諏訪の職業が医師であり、いわゆる「エリート」となっていることが挙げられます。一方で、おいちゃん役の森川信と登役の津坂匡章は、映画でも同じ役で登場し、散歩先生親子とのエピソードや母親との再会は、映画第2作『続・男はつらいよ』(昭和44年)で描かれました。そして、第5作『望郷篇』(昭和45年)では、長山藍子、井川比佐志、杉山とく子とテレビ時代のレギュラー陣が挙って出演しています。山田洋次監督は、最終回での寅さんの死を通じて、「寅さんのような人間は現代の世の中では生きられない」ということを訴えたかったそうですが、番組終了と同時に、「何故寅さんを殺したのか?」とフジテレビに抗議の電話が殺到し、そこから『男はつらいよ』の映画化へと繋がって行ったのは有名な話です。

『男がつらいよ』がテレビで放送されていた昭和43年頃は、テレビの普及とは対照的に映画産業が衰退の一途を辿っていた時代でした。ギネスブックにも紹介されるなど日本映画を代表する作品が、実はテレビの生まれというのは考えてみれば皮肉なもので、その意味で、『男はつらいよ』は、テレビと映画の関係を知る上で重要な作品でもあるのです。
「立て板に水」という表現がピッタリと当てはまる「啖呵売」。「とらや」での団欒シーンでお馴染みの「アリア」と呼ばれる一人語り。面白さの中にも深さや哀愁を感じさせる数々の名セリフ。
車寅次郎の語りや話芸、それにそこから出てくる言葉の魅力も、『男はつらいよ』シリーズの楽しみの1つです。

映画『男はつらいよ』のルーツとなったのは、昭和43年10月から翌年3月までフジテレビ系で放送されたテレビドラマであることはこれまでにも何度か書きました。このドラマの打ち合わせの席で、渥美清が少年時代に憧れたテキヤの口上を実演。それを聴いていた脚本担当の山田洋次監督と当時フジテレビのディレクターだった小林俊一氏は、その口上の面白さや渥美清の語りの巧さに感心してテキヤの物語を作ろうと決意。そこから「フーテンの寅」こと車寅次郎という人物とキャラクターが生まれたという逸話が残されています。つまり、渥美清の人生経験と持ち前の話芸によって、『男はつらいよ』という作品は世に出たと言っても過言ではありません。

昭和3年3月10日、東京・上野に生まれた渥美清は、幼い頃から病弱で学校を休みがちだったそうです。そんな彼にとっての楽しみはラジオで、映画の弁士から転身した徳川夢声の朗読や落語を夢中になって聴いていたといいます。終戦後、上野・アメ横で担ぎ屋をやりながら、流暢な啖呵で物を売るテキヤの「啖呵売」に魅かれた渥美少年は、彼らから教わった口上の一つ一つをノートに書き留め、片っ端から覚えて行ったそうです。昭和28年、浅草のストリップ劇場「フランス座」の専属コメディアンとなった渥美は、翌昭和29年、肺結核に倒れ、右肺を摘出する手術を経て2年間の闘病生活の後、昭和31年に「フランス座」へ復帰。アクションで笑いを取る代わりに、セリフやアドリブなど話芸を前面に押し出すことで人気を得るようになります。渥美清と車寅次郎との出会いの背景には、彼自身の人生経験や、そこで培われた話術・話芸、演技力が大きな位置を占めていたと言えます。

脚本家として寅さんというキャラクターを生み出し、そして演出した山田洋次監督も、また話芸の影響を強く受けています。エンジニアだった父の勤務のため、2歳からの15歳までの幼・少年期を満州で過ごした山田監督は、小学校4年の時、親にねだって「落語全集」を買ってもらい夢中になって読み耽った上、そこで覚えた落語を友達の前で演じたこともあるそうです。落語を通じて庶民の生活や人情を見出した山田監督は、映画監督となってから、古典落語をモチーフにした『運が良けりゃ』(昭和41年)を作った他、新作落語も数本手がけ、『男はつらいよ』シリーズの中にも落語のシチュエーションが随所に取り入れられています。寅さんと柴又の人々とのやり取りからも落語の雰囲気が感じられ、特にシリーズ初期の、「おいちゃん」役が森川信だった頃の作品では、おいちゃんのコミカルな仕草や寅さんとのやり取りに落語の影響が色濃くあったように思います。

ラジオの朗読やテキヤの啖呵売が役者としての原点となった渥美清。そして、落語への造詣から自らの作風を確立した山田洋次監督。ジャンルは異なるものの、この2人が共に言葉や話芸の世界に親しんできたことが、多くの名セリフや名シーンを生み出し、ひいては『男はつらいよ』という作品と車寅次郎という人物の「原点」ともなったと言えるのではないでしょうか。
昭和44年公開の第1作から平成7年公開の『寅次郎紅の花』まで、26年に渡り全48作が制作された『男はつらいよ』シリーズは、長寿作品となったことによって、多くの名優たちが出演し、それぞれの作品に厚みを加える役割を果たしました。

第17作『寅次郎夕焼け小焼け』(昭和51年)は、日本画家・池ノ内青観とその昔の恋人・志乃役で、劇団民藝の重鎮にして、映画・テレビでも名優として鳴らした宇野重吉と、戦前、恋人とロシアへ逃避行し、戦後の長い海外生活を経て久々に日本映画に出演した往年の大女優・岡田嘉子がゲスト出演。何十年ぶりに再会した2人が語る「後悔論」は、本作の見所・聴き所の1つで、山田洋次監督は、岡田嘉子の波乱の人生に焦点を当てて、彼女の過酷な運命を「後悔する」「しない」という言葉に込めてシナリオに書き、共感を持って演出したそうです。因みにこの作品には、舞台となった播州龍野の職員役で、宇野重吉の息子である寺尾聰も出演しています。
渥美清が最も尊敬する俳優だったという時代劇の大スター、「アラカン」こと嵐寛寿郎が伊予大洲の「殿様」役でゲスト出演したのが、第19作『寅次郎と殿様』(昭和52年)。シリーズお馴染みの冒頭の夢のシーンでは、寅さんがアラカンの当たり役だった鞍馬天狗に扮し、気持ち良さそうに演じています。彼に仕える執事・吉田役で三木のり平も出演。時代がかった口調で浮世離れしている殿様と、殿様を立てながら、したたかで要領の良い一面も持っている執事の組み合わせが、作品全体の面白さを盛り上げています。尚、この作品にも寺尾聰が大洲の巡査役で登場します。

映画出演自体が珍しかったのが、第29作『寅次郎あじさいの恋』(昭和57年)に出演した、歌舞伎界の名優で人間国宝の13代片岡仁左衛門。仁左衛門演じる京都の陶芸家・加納作次郎は、葵祭で賑わう中、寅さんに鼻緒を継いでもらったことが縁で仲良くなり、自作の陶器までプレゼントします。寅さんと思いがけない再会を果たすラストシーンも含めて、ほのぼのとしたユーモアが感じられ、仁左衛門その人が持つ悠然として気品溢れる一面と飄々とした味わいが役柄にピッタリとはまって、作品全体を引き締める役割を果たしました。尚、寅さんにプレゼントした陶器は、その価値を知らないとらや一家によって灰皿として使われていました。

シリーズ後半のゲスト出演者で最も注目を集めた俳優と言えば、第38作『知床慕情』(昭和62年)の三船敏郎でしょう。「世界のミフネ」と寅さんとの顔合わせとなったこの作品で、三船は、娘(竹下景子)と折り合いが悪く、近所のスナックのママ(淡路恵子)に秘かに想いを寄せる知床の獣医・上野順吉を演じています。寅さんのアドバイスで想いを告白する場面がこの作品の大きな見せ場で、三船の持ち味である無骨で寡黙な雰囲気が生かされています。素顔の三船はスターになってからも付き人を持たず、ロケ現場で撮影隊の機材を一緒に運んだり、事務所のトイレ掃除を自ら行なうなど気さくな人柄の持ち主で、渥美清が撮影の合間に三船が煙草の吸殻を拾っているのを見て、大いにショックを受けたというエピソードが残っているそうです。

『男はつらいよ』シリーズの楽しみ方は色々とありますが、日本映画を代表する大俳優、大女優、名優、名脇役たちの演技や、彼らと渥美清との競演が堪能出来るのもその1つだと思います。そうした点でも、日本映画史上に残る偉大な作品であると言えるでしょう。
山田洋次監督は『男はつらいよ』シリーズについて、「僕にとっての名優への『オマージュ』だった」と、ある本の中で語っています。
「オマージュ」とはフランス語で「敬意」「賛辞」を意味します。山田監督の言葉の通り、『男はつらいよ』全48作には、映画界のスターから歌舞伎界の名優、新劇界の重鎮などが入れ代わり立ち代わり登場し、さながら昭和・平成の「芸能史」の趣も感じられます。

第1作(昭和44年)には、『七人の侍』(昭和29年)などの黒澤明作品で知られる志村喬が、博(前田吟)の父・諏訪「ひょう」一郎(「ひょう」は「風」へんに「火」を三つ書き、「つむじ風」の意味)役で出演しています。この作品での博とさくら(倍賞千恵子)の結婚式でのスピーチは、作品中でも見せ場の一つとなっています。その後、第8作『寅次郎恋歌』(昭和46年)、第22作『噂の寅次郎』(昭和53年)にも登場。第8作ではりんどうの花の話を通じて定住と家族の尊さを説き、第22作では『今昔物語』の一説を語りながら人の世の「無常」を教え、寅さんを3度感激させます。第9作『柴又慕情』(昭和47年)と第13作『寅次郎恋やつれ』(昭和49年)には、マドンナ・歌子(吉永小百合)の父親である小説家・高見修吉役で、これも『七人の侍』で剣の達人・久蔵を演じた宮口精二が登場。この2作は父と娘の対立から和解までの過程が大きなテーマとなっていて、特に第13作で、夫に先立たれた歌子と修吉が和解する場面は感動的です。

テレビ版の設定を基にした第2作『続・男はつらいよ』(昭和44年)には、寅さんの恩師・坪内散歩先生(「散歩」は同意語の「逍遥」と引っ掛けてある)役で東野英治郎、寅さんの実の母親・菊役でミヤコ蝶々が出演しています。東野英治郎はテレビでも同じ役を演じており、また映画上映当時は、ちょうどテレビで『水戸黄門』(昭和44年)の初代「黄門様」を演じ始めた頃でもありました。一方、ミヤコ蝶々演じる菊は、柴又で芸者をしていた時に寅さんを生み、寅さんと再会した時には京都でラブホテルの支配人をしていました。突然現われた息子に対して悪態をつくシーンと、寅さんと2人で三条大橋を歩くラストシーンが印象的です。菊は、第7作『奮闘篇』(昭和46年)にも登場しています。

第6作『純情篇』(昭和46年)では旅先で出会った薄幸の女(宮本信子)の父親・千造役で、これが山田作品唯一の出演である森繁久彌が登場。また、前記の『奮闘篇』には、寅さんが知的障害を持つマドンナ・花子(榊原るみ)と出会う沼津のラーメン屋の主人役で、五代目柳家小さんも出演しています。因みに、山田監督は五代目小さんのために「真二つ」などの新作落語も書いています。
第10作『寅次郎夢枕』(昭和47年)には、秋の甲州路を旅する寅さんが立ち寄った旧家の奥さん役で、戦前からの大女優・田中絹代が出演。夏に家を訪れた寅さんのテキヤ仲間・伊賀の為三郎が突然亡くなった顛末をゆったりとした口調で語り、寅さんと共に墓参りをするシーンは、テキヤ稼業の孤独で哀れな末路が胸を打つ、シリーズを代表する名場面となりました。

『男はつらいよ』に登場した名優たちの中から、主に前期の作品に登場した人たちを取り上げてみましたが、ここまででも名だたる役者たちが続々と登場したことが分かります。シリーズ中盤以降も多くの大俳優や大女優が登場することになりますが、今日のところはこの辺で「お開き」とさせて頂きます。

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