万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

「日記」…の、ようなもの

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平成二十年卯月

×月○日
 NHK教育テレビで放送されている『日本の話芸』は、全国ネットのテレビ番組の中で、現在唯一落語をたっぷりと聴ける番組である。平成3年頃にスタートして、初めは小沢昭一のナレーションがオープニングに流れていたのだが、いつの間にかそれが聴けなくなったことを今でも残念に思っている。
 これまで本放送が土曜午後1時45分だったのが、この4月から何故か平日の火曜午後になってしまった。毎月第3週は上方落語で、日曜早朝の再放送を録画したものを観る。今回は、桂都丸の「桜の宮」。都丸という人は桂ざこば師の一番弟子であり、かつては昼のワイドショーでレポーターをやっていたこともあって、以前からよく知っている落語家さんである。今では上方落語界の中堅であり、『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』(出版文化社)によると、大ネタの「地獄八景亡者戯」は、大師匠の桂米朝師に「閻魔大王も人呑鬼もそのままやれる」と言わしめるほどだという。
 この「桜の宮」という噺は、江戸落語の「花見の仇討」を移植したものであり、上方では五代目笑福亭松鶴、その息子の六代目松鶴が演じ、現在ではその五代目松鶴の弟子である笑福亭松之助、桂南光などによって演じられている。南光師は松之助師から教わったという。おそらく都丸師も松之助師から教わったものと思われる。桜ノ宮と言えば、現在でも「桜の通り抜け」が大阪の春の風物詩として知られ、その名の通り、大阪を代表する桜の名所だが、僕は大学生活を大阪で過ごしている間、1度も「桜の通り抜け」には行かず仕舞いであった。
 それにしても、「天満天神繁昌亭」の開場や朝のドラマ『ちりとてちん』の影響も相まって、上方落語界は以前よりも増して活気づいているように感じられる。もはや漫才に限らず、落語も上方がメッカになったと言っても過言ではないだろう。

×月△日
 山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審が開かれ、被告の「元・少年」に死刑判決が下される。当然の結果であると思う。
 僕は「死刑制度」というものを以前から良く思ってはいないのだが、それと今回のこの裁判とは全くの別問題である。何故なら、これだけの兇悪な事件を起こしたにもかかわらず、事件当時「未成年」だったということをいわば「楯」にして、その罪を軽くしようとする弁護団の「思惑」があまりにもあからさまであり、また刑事裁判そのものを冒涜しているものと映ったからである。
 妻子の命を理不尽な形で奪われた本村洋さんの怒りは、以前の被告人本人に対してのものから、今回彼が「死刑判決」を宣告されるまでに至った背景、そしてこうした人間を生み出してしまった世の中全体に対するものへと変化し、また拡がって行ったように思われる。本村さんの姿を見ていると、ケースは異なるが、これも理不尽な形で2人の幼い我が子の命を奪われた福岡の大上さん夫妻と重なるが、大上さん夫妻が再び新しい命を授かったのに対して、本村さんは永遠に「独り」なのである。この違いは大きい。
 本村さんの会見を聞いて気付いたことは、この人自身「死刑」をいう刑罰が横行することを良くは思っておらず、寧ろそうした社会に対して「憂い」を抱いているという点である。そうした心中を理解しようとせず、ただひたすら被告人を「死刑」にしないことだけに時間と労力を費やしたことを、弁護団の諸氏は大いに反省すべきではないか。

×月◎日
 長野で北京オリンピック聖火リレーが予定通り開催。大きな混乱もなく終わる。
 オリンピックも開催まで約百日となったが、特に今年に入ってからの中国を巡る不穏な情勢によって、聖火リレーもまた、各国で不穏な状況の中で行なわれる破目になった。今回のような形で聖火リレーが注目される結果になったのは本当に残念である。
 僕は昭和50年生まれだが、「オリンピック」というものを初めて認識したのは、モントリオールで開催された昭和51年ではなく、モスクワで開催された昭和55年のことである。今でも覚えているのが、マスコットキャラクターが「ミーシャ」という子熊で、開催前には『こぐまのミーシャ』というテレビアニメも放送された。しかし、日本はこの大会をボイコット。自分にとって「初めて」のオリンピックは、同時に「幻」のオリンピックでもあったのだ。
 僕は国際情勢には詳しくないので、今回のチベット問題についても語ることは出来ない。しかし、1つだけ言いたいのは、昭和55年の自分のような子供たちが出てこないで欲しいということである。
 因みに、日本がモスクワオリンピックをボイコットした昭和55年と、今年平成20年の暦は、そっくり同じなのである。何とも嫌な偶然である。

平成十九年長月

×月○日
 午後、丁度外で昼食を取っている最中に、「安倍総理辞任」のニュースを知る。かねてから辞職を求める声があったにもかかわらずそれに耳を貸さなかった人が、一転して辞任表明。あまりにも唐突で、耳を疑ってしまった。
 それにしても、この安倍晋三という人は、どうしてこう「空気が読めない」人なのだろうかと思ってしまう。同じ総理を辞めるのであれば、7月の参議院選挙で大敗を喫した時にやるべきであったものを、結局、まるでその座に居座るかのように辞めなかった。しかも、国会で「所信表明」をした上に「職務を全うしたい」と発言したばかりである。その「全うする」はずの職務をわずか数日で投げ出してしまうとは、あの「所信表明」は一体何だったのかと言いたいし、この辞任劇を「変だ」と思わない方がおかしい位である。
 勿論、就任当初から大臣たちの度重なる不祥事や失言の発覚と辞任が相次いだことで、その心労も大きかったのだろうと思うが、その大臣たちを任命したのは他ならぬ総理自身であることを考えると、やはりその責任は免れない。
 午後2時過ぎからの辞任会見は車のラジオで聴き、また夕方から夜にかけてのニュースでも改めて何度も観たが、何で辞めたのか、そしてそれが何故今日だったのか、全く分からなかったというのが正直な感想である。もっとはっきり言えば、「嫌になったから辞めた」というのが本当の所ではないかとも思った。だとすれば、まるで子供のわがままである。一番辞めてはいけない時に、こんな訳の分からない辞め方をした総理大臣というのはまさに前代未聞で、そういう意味では「辞めてくれて良かった」とも思っている。

×月△日
 9月も後半、もうお彼岸だというのに一向に「秋の気配」が感じられない。今日もまた暑い。今年はもう秋が来ないまま、冬になってしまうのではないかと思ったりする。
 今日は両親と共に父方の先祖の墓参りに行く。8月のお盆の時に墓参りをしたばかりで、その時墓の周りの雑草を漏れなく抜き取ったのだが、たった1ヶ月余りでもう雑草が方々に生えていた。それらをまた抜き、花と線香を添える。墓参りを済ませた後、必ずといって良いほど足を運んでいるうどん屋へ行く。このうどん屋さんは営業時間は朝11時から昼3時頃までと短いのだが、いつも繁盛している。うどんも勿論美味しいのだが、天ぷらを注文を聴いてから食材を揚げて、その揚げ立てのものを食べさせてくれるのが嬉しい。
 うどん屋で昼食を済ませた後、父方の実家へ久しぶりに立ち寄る。今でも農家を営むこの家では、丁度稲刈りの真っ最中であった。

×月◎日
 先月から1ヶ月余り、テレビのワイドショーでは「朝青龍問題」なるものが大きく取り上げられていた。安倍総理辞任や、それに端を発する自民党総裁の座を巡る争いのニュースで、それもすっかり忘れられたと思っていたら、今度は同じ角界を巡る問題でも「弟子のリンチ事件」という問題が浮上した。
 この問題が最初に明るみになったのは今年の6月、名古屋場所が始まる直前のことであった。「朝青龍問題」のお陰で忘れられた感があったが、ここへ来て事の真相が一気に明るみになったようである。
 相撲部屋での稽古の厳しさについては僕自身も話だけではよく知っている。しかし、この17歳の力士が死にまで追いやられたという「かわいがり」なるものは、はっきり言って「リンチ」そのものであり、親方や兄弟子がその地位を利用しての「弱い者いじめ」以外の何物でもないのではないか。これが、かの大横綱・双葉山をルーツとする名門の時津風部屋で行なわれていたというのだから、天国にいる往年の横綱も嘆き、悲しみ、そして怒っていることだろう。これは「朝青龍問題」以上に深刻で、また決して許されない問題である。
 それにしても、朝青龍を巡る一件といい、この問題といい、あまりにも現状を把握しようとせず、また世間一般と隔絶した感もある相撲協会の体質には正直呆れる。相撲自体が「国技」の重責に耐えかねていると思われる現状を、この2つの出来事が象徴しているのかもしれない。

平成十九年文月

×月○日
 従兄弟の結婚式に出席するため東京に出かけている両親が今日帰宅する予定だったが、台風4号の影響で、大事をとって1日予定を延ばすことになり、終始1人で過ごす。
 夜、夕食を食べながら、大河ドラマ『風林火山』を観る。今日は第28話「両雄死す」。武田信玄が大敗を喫した「上田原の合戦」が物語の中心である。
 「両雄」とは、武田家の老臣・板垣信方(千葉真一)と甘利虎泰(竜雷太)を指し、この2人の最期が今回の最大の見せ場である。19年前の大河ドラマ『武田信玄』(昭和63年)では、主君・武田晴信(中井貴一)の暴走を諌める意味で、板垣(菅原文太)・甘利(本郷功次郎)の両雄が自ら死地に赴くという展開となっていたが、今回は、板垣は晴信(市川亀治郎)の「影武者」を仕立てて敵の村上義清(永島敏行)の軍勢に立ち向かい、甘利は村上に寝返ると見せかけて、自らその首を獲ろうと図るという設定であった。
 両人とも壮絶な最期で、特に千葉真一の迫真の演技は、竜雷太のそれがすっかり霞んでしまうほどのものであった。それ以上に強烈だったのは市川亀治郎の狂気を秘めた「鬼」の形相で、寧ろこちらの方が今回の中では最もインパクトがあり、歴代の大河ドラマの中でも屈指と言っても良いかもしれない。おかげで主役の山本勘助(内野聖陽)は、今回は完全に影が薄かった。
 ドラマがスタートして半年が経過したが、ここまで見応えのある大河ドラマは本当に久々である。今回の場合、「謀(はかりごと)は好まぬ」と公言する村上義清の人物像にも「敵役」ながら好感が持てた。武田・村上両軍の合戦シーンはCGも活用してビジュアル的にも見応えがあったが、惜しむらくは、武田軍の諸将の出陣シーンがアップばかりだったのが残念だった。

×月△日
 朝、またしても地震のニュース。今度は新潟県の中越地方で、死者が出た上に家屋の全壊も多かったという。被災者の方々に心よりお見舞いを申し上げたい。
 それにしても、ここ数年この国ではなんと地震が多いことだろう。新潟県では3年前にも大地震があって多数の被災者が出した。今年は、3月に石川県の能登半島で大地震があったばかりである。あの「阪神・淡路大震災」以来、日本は正真正銘の「地震大国」となってしまった。広島でも6年前に「芸予地震」に見舞われたが、「いつ起きてもおかしくないもの」と分かっていながらその備えは意外と出来ていないし、また政府や行政の対応を見ていても、過去の「教訓」というものが全く生かされていないと感じざるを得ない。
 しかしこの連休は台風に地震と散々なものとなってしまった。やはり自然そのものに狂いが生じているのかもしれないと思う。だが、そう仕向けているのは他ならぬ我々人間であるということを決して忘れてはならないだろう。

×月◎日
 今日は石原裕次郎が亡くなってちょうど20年という「節目」の日である。「20年」と聞いて、月日の流れの速さというものをつくづく思い知らされる。
 20年前と言えば昭和62年、自分はちょうど中学1年生だった。裕次郎が亡くなったことを知ったのは、ニュースではなく夕食での会話においてだった。夏休みに入ってから行なわれた裕次郎の告別式の様子は今でも覚えている。
 俳優としては、やはり『太陽にほえろ!』が一番印象に残っているが、歌手として一番印象に残っているのは、いくつかの往年のヒット曲ではなく、NHKの『みんなのうた』の中で歌われていた「パパとあるこう」という曲である。子供とのデュエット形式で歌われていたこの曲を、実生活では子供に恵まれなかった裕次郎が余分な力を抜いて歌っていたのを今でも鮮烈に記憶していて、隠れた名曲と言っても良いと思う。
 没後20年を迎えた裕次郎に対して、同じ慶応大学出身の加山雄三が今年70歳を迎えたという。「慶応ボーイ」という同じ経歴を持ちながら、全く対照的なキャラクターの持ち主であるこの2人を比較してみるのも面白いかもしれない。

平成十九年卯月

×月○日
 帰宅前に最寄りの本屋に立ち寄り、色川武大著「寄席放浪記」と吉川潮著「完本・突飛な芸人伝」(いずれも河出文庫)と買う。
 河出書房新社という出版社は、ここ数年落語や演芸に関する本を多く出していて、落語好きの僕にとっては、やはり落語関係の本を多く出している筑摩書房と共に実にありがたい出版社である。河出文庫の落語に関するものでは、この他に、「アンツル」こと演芸評論家・安藤鶴夫著「寄席はるあき」や、同じく演芸評論家・矢野誠一著「志ん生の右手」も先日購入したばかりである。
 色川武大という人は、「麻雀放浪記」の原作者・阿佐田哲也というもう一つの顔を持っていたことで知られる。平成元年に亡くなったが、小説だけでなく昔の芸人や役者、映画についてのエッセイも多く遺している。「寄席放浪記」はそうしたものを集めたのに加えて、昔の寄席や映画、芝居について語り合った対談も掲載されている。終生マイナーのままで終わった芸人や、現在では忘れられてしまった役者などについて書かれており、興味深く読める内容である。もう一つの「完本・突飛な芸人伝」は、演芸評論家で小説家でもある著者が、今から20年近く前に発表したものである。登場する芸人たちはテレビでお馴染みの人から知る人ぞ知る人まで幅広く、著者自身の取材を基にして独自の視点からそれぞれの芸人たちの生き様に迫っている。
 どちらの本も、落語や演芸に興味のある人は是非一読することをお薦めしたい。

×月△日
 今日は「統一地方選挙」の前半戦の投票日であった。最も注目を集めた東京都知事選挙は、大方の予想通り現職の石原慎太郎氏の圧勝となった。
 今回の都知事選挙にも様々な候補者が立候補し、ニュースやワイドショーでも大々的に取り上げられていたようである。しかし、東京に住んでいないので実際にはよく分からないが、マスコミが騒ぐほど選挙自体が盛り上がったとは思えないのである。それに、浅野史郎氏や吉田万三氏はともかく、宮崎県知事選挙の悪影響なのか、「なんでこの人が立候補するのか?」と言いたくなるような人まで立候補したのには辟易した。「有名無実人大会」的な印象を持たれてしまう首長選挙というのはどうもいただけない。
 広島県でも広島市長選挙が行なわれ、こちらも現職の秋葉忠利氏が当選した。今日行なわれた選挙では殆ど現職が当選したという。有権者は「安定」「現状維持」を選択したと言える。

×月◎日
 日本時間では午前中、メジャーリーグ・ボストン=レッドソックスとシアトル=マリナーズの試合が、ボストンのフェンウェイパークで行なわれる。
 この試合の一番の見所は、レッドソックス・松坂大輔とマリナーズ・イチローのメジャーでの初対決であったが、マリナーズにはもう1人の日本人選手・城島健司がいる。松坂はイチローとの対決は制したが、城島には二塁打を2本打たれ、試合もマリナーズが勝ち、松坂はメジャー初黒星を喫した。
 松坂とイチローとの対決ばかり注目を集め、自分は完全に「無視」された形になったことに城島本人はかなり不快感を抱いていたらしい。普段はイチローと自分を共に取り上げるのに、こんな時に限ってイチローばかりを取り上げる。恐らくメジャーリーガーになって最大の「屈辱」を味わったに違いない。そんな城島の松坂との対決には、男の「意地」と「プライド」を見た。
 それにしても、日本人選手のメジャーリーグでの活躍が増えていくごとに、日本のプロ野球は影が薄くなっているように感じられるのは正直寂しい。

平成十八年師走

×月○日
 図書館のCDコーナーから、八代目桂文楽の「明烏」と三代目桂三木助の「芝浜」のCDを借りる。
 2人とも僕が好きな往年の落語家である。文楽は「昭和の名人」と謳われた人だが、ライバルと称せられ今日でもカリスマ的人気を誇る五代目古今亭志ん生に比べると、現在語られることは少ないように思われる。
 文楽は昭和46年12月12日に没したが、その約4ヶ月前に8月31日、ある落語会で登場人物の名前を忘れてしまい、「勉強し直して参ります」と言って高座を降りてしまったのが最後となってしまった。登場人物の名前を忘れたのが原因で二度と落語を演じなかった落語家は桂文楽ただ1人であり、今後も恐らく出てこないであろう。
 一方の三木助は、先年自殺してしまった四代目三木助の実父である。若い頃は博打に凝って身を持ち崩したこともあったが、戦後は立ち直り、名人への道を着実に歩んでいる最中に、59歳の若さで惜しくも亡くなってしまった。この人の早過ぎる死が、その後の落語界、そして幼くして生き別れた息子のいずれにも大きな影を落としたような気がする。
 「明烏」と「芝浜」は、それぞれ両師の十八番だった噺である。夕食後、2席続けて聴いたが、名人の演じる噺はいつ聴いても、何度聴いても飽きることがない。

 ×月△日
 今日は、3人の訃報をニュースで知った。タレントの青島幸男、女優の岸田今日子(17日に死去)、それにお笑いコンビ・カンニングの中島忠幸の三氏である。
 青島さんは放送作家として出発し、作詞家・俳優・映画監督・作家・国会議員、そして東京都知事まで務めた、文字通り「才人」であった。と言っても、放送作家・作詞家としての青島さんよりも、僕にとっては、『お昼のワイドショー』の司会や『意地悪ばあさん』、それに東京都知事の印象が強い。様々なジャンルに進出してそれぞれ成功を収めたが、最後の東京都知事は大失敗で、これでまさしく「晩節を汚した」と思う。しかし、成功も失敗も、この人が類稀な才人であったことの証明であるとも思うのである。岸田さんを初めて知ったのは、アニメ『ムーミン』の声であった。この仕事を引き受けたのは、まだ幼かった娘さんに自分の仕事について理解して欲しかったからだそうだ。『ムーミン』のノンノンの声を務めていた声優の武藤礼子さんと、前夫の仲谷昇さんが続けて亡くなった直後だけに、何やら因縁めいたものを感じてしまう。
 この2人が70代半ばだったのに対して、カンニングの中島は35歳の若さで白血病で逝ってしまった。この「カンニング」をいうコンビを初めて見たのは、平成15年の5月、当時広島で深夜に放送されていたローカル番組『Ken―Jin』に出演した時である。この時はまだ無名であったが、まさかこの後すぐに売れっ子になるとは想像していなかった(因みにアンガールズを初めてテレビで観たのも、この『Ken−Jin』である)。公私共に軌道に乗った矢先に病に倒れ、そしてこの世を去らねばならなかったことの無念さは想像を絶するものであったろう。
 それにしても、今年1年を表わす漢字一文字は「命」ということだが、今年ほど、こうした有名人の訃報に連日のように接し、また様々な形で命が失われる出来事に接した年は記憶にない。

×月◎日
 年賀状を漸く書き上げる。年賀状の書き方も年を経るごとに変化しており、子供の頃は「プリントゴッコ」を使って裏面のデザインを作っていたものだが、ここ数年は、本屋の「パソコン書」コーナーで売られている素材集を基に、パソコンで裏面のデザインを作っている。この素材集のCD−ROMに収められているイラストの量が膨大で、毎年どのデザインを使うのかを決めるのに頭に悩ませる。しかし、その反面、楽しい作業でもあるのだ。あれこれ迷った末、今年も昨年同様6種類のデザインを選び出した。
 僕が年賀状を書くに当たって心掛けていることは、ただパソコンに頼るだけでなく、ちゃんと自筆で年始の挨拶や近況報告を書くようにしていることである。最近は宛名書きもパソコンを使っている人も多いようだが、それではあまり心がこもっていないような気がするのだ。いくら親しい仲でも年賀状には手書きが必要だと思う。
 最近では、メールが普及したこともあって、「年賀状」ならぬ「年賀メール」も浸透しているらしいが、やはり年始の挨拶は「年賀状」の方が相応しいと思うし、いつまでもこの習慣が続いて欲しいものである。 

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