万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

尾道

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戦争と回覧板

戦争が終わって65年。
「戦争を知らない子供たちの子供」の世代である我々は、「戦争を知っている大人たち」から戦争の記憶を聞くことで、その恐ろしさや愚かさを知り、そこから平和の大切さやありがたさを知ることで後世に伝える責任を負う世代なのかも知れません。
「戦争を知っている大人たち」から得る物は大きいのですが、今やその時間も多くは残されていません。

尾道は長い歴史を持つ町としても知られていますが、戦時中の生活について伝えるものは殆ど残されておらず、したがって我々もその時代の尾道について知る機会はありませんでした。当時の人々の暮らしを知る手がかりとして、町内で配布されていた「回覧板」があるのですが、全国的にも今日ではあまり現存していないそうです。何故なら、これらの行政文書は終戦と同時に即刻焼却処分されてしまったからです。
ところが、尾道という町は我が町ながら凄い所で、このほど市内の旧家から長年埋もれたままになっていた、太平洋戦争が勃発する前年の昭和15年(1940年)から戦時下真っ只中の昭和17年(1942年)頃にかけて、隣組(町内隣保班)に回覧・配布された当時の回覧板などが発見され、更に市内にある時宗の寺院。常称寺からも戦時中の紙芝居が発見されました。
尾道の地域文化の掘り起こしや再発見、その研究材料となる歴史資料の収集に取り組んでいる「尾道学研究会」が、これらの資料の一堂に集めて完全復刻した史料集『戦時下ノ尾道』を発表することになり、それに先立った公開展示会が、現在市内にある「おのみち街かど文化館」で開催されています。

          http://www.onomichig.com/

回覧板の中で先ず目立つのは配給に関するもので、例えば、昭和15年8月5日付の回覧板では、「お互国民が贅沢をして居る間は此事変は片付きません。真剱味ある生活をいたしましょう」という見出しの後、「七月七日事変記念日(注、昭和12年7月7日に起きた満州事変のこと)に贅沢品の製造、販売に制限が入る規制が発布」されたことに触れ、「此時勢此規則が発せられたのは吾々大和民族の恥」とした上で、「法に拠らず国民が自粛自戒すべき時」「今日只今より贅沢や豪華な生活は断然止めましょう」「お互いが目覚めて真の生活をして我経済力に無限の強みを持った時初めて聖業完遂する時です」と記載されています。
定期的な会合であり、国民の統合を図るための場でもあった「常会」で話し合われた内容を伝える「常会通達事項」は毎月26日に発布されていたもので、「指導目標」と「通達事項」の2つの項目に分けられています。「指導目標」では陸軍記念日、国民貯蓄の強化継続、結核予防、資源・金属類の回収、中元贈答品廃止といったものの他に、防諜、つまり、いくら近所の親しい間でも軍事機密についての不正確な情報を無闇に話してはならないということについても触れられています。

回覧板以外では、「国民精神総動員」「銃後の護りを堅めましょう」など戦意高揚を謳った国策標語付きの日付印が入った葉書のコレクションや、ビルマ・スマトラ島から尾道の留守家族へ宛てた軍事郵便、臨時召集令状、所謂「赤紙」などが展示されている他、昭和17年1月頃に書かれた「配給簿」や昭和18年7月頃に書かれた「防空資材台帳」も見ることが出来ます。配給簿は当時の配給の記録が細かく記された貴重な資料で、一方の防空資材台帳には、空襲に備えての準備事項が記入されているのですが、その準備すべき物というのが、班用ポンプ1、はしご1、スコップ1、ロープ2、消毒粉2、警報用振鈴2、拍子木1、メガホン2。実際には何の役にも立たない貧弱なもので、当時の人々がこれで空襲から身を守り、戦争に勝てると本気で思っていたのかという憤りと哀れさを感じました。

尾道は幸いにも戦争の犠牲を直接受けませんでした。そのことが今回発見された回覧板などが残った一因にもなったことは間違いありません。全てが戦争一色であり、また国民全体が戦争へと駆り立てさせられた時代を知る上で、これらのものは貴重な財産であると思います。
「凄い物を見ることが出来た」と思う一方で、「こんな時代は二度と御免だ」という思いを強く感じた次第です。

「セピア色」の尾道

このお盆休みを故郷で過ごされた方の中には、自分が生まれ育った町のいつまでも変わらない風景と、反対にいつの間にか変わってしまった風景と、それぞれに深い感慨を抱いた方が多いことでしょう。
我が町尾道は、古くからの町並みや風景が比較的多く残っていますが、しかし実際には、時の流れの中で確実にその姿を変えています。

「尾道学研究会」という会があります。
平成17年11月に発足したこの会は、「尾道を『知る』『学ぶ』『考える』」をスローガンに、尾道という地域の文化の掘り起こしや再発見に取り組みながら、その研究材料となる史資料の収集にも取り組んでいて、今年4月現在で会員数は114名に達し、尾道市外の会員も増えています。


会長の天野安治さんは、尾道では江戸時代から続く旧家の出身で、高校で長らく日本史の教師を務める一方で、切手収集の第一人者としても全国的に知られています。
その天野さんの郵便に関するコレクションのうち、尾道の風景を取り上げた絵葉書を展示した「まちかど尾道学ミュージアム002・天野安治コレクション展」が平成18年春に開催され、ここで埋もれている尾道の絵葉書の発掘と提示を呼びかけた所、多くの市民の方から多数の絵葉書が寄せられ、一般的な風景から名所旧蹟が写ったものから、明治後期から大正、昭和初期から戦後にかけての尾道の様々な姿を映し出したものまで幅広く集まったそうです。これを機に同研究会は、「尾道絵葉書発掘プロジェクト」を立ち上げ、先に集められたものに加えて実に330種の絵葉書が発掘・収集されました。

そうした尾道の絵葉書が、去年から今年にかけて『尾道…セピア色の記憶』と題し、「絵葉書に見るありし日のオノミチ」と「過去と現在をゆく今昔散歩」の2冊の本にまとめられました。
前者は、「手彩色」「鉄道」「公共建築物」「学校」「尾道港」「小歌島」「博覧会」「鳥瞰・町並風景」「千光寺公園」「社寺」「尾道名勝観光絵はがき」のテーマごとに、明治から昭和の戦後にかけての尾道の様々な風景を映したものや、記念に発行された絵葉書など143種の絵葉書が紹介され、そのいずれもが尾道の歴史を知る貴重な資料となっています。後者は、これらの絵葉書を基に、現在の同じ場所を撮った写真を並べて過去と現代の「時間旅行」が楽しめる内容で、いつまでも変わらないようで、実は確実に変わっている尾道の姿を知ることが出来ます。

第1冊目の「絵葉書に見るありし日のオノミチ」の「序にかえて」の中で、天野安治さんは、「元来が、地方都市の絵葉書はその種類も数も少ないものであるが、そのなかで小さな都市の割には尾道のそれは種類も多く多彩である。観光都市という側面を割引いても、やはり種類が多く、おかげでこのような尾道絵葉書の資料集をまとめることができた。このような企画は、やはり、どこでもできるというものではないであろう。戦前の尾道の都市力の反映といってよいかも知れない。それにしても、このようにして纏められた本資料集は、多くの会員・市民のみなさまのご協力の賜物である。あつく敬意を表したい」と書いています。
絵葉書を通じて尾道の歴史を知ろうとする取り組みが2冊の本という形で結実したことは、尾道という町が持つ歴史の「長さ」と「深さ」の証であり、またそれを伝え、遺そうとする人々の志の表われであるとも言えます。その意味でも「『セピア色』の尾道」を今日に伝えるこの2冊は、「尾道学研究会」だからこそ作れた貴重な労作です。

尚、本に掲載されている絵葉書の一部は、上記の「尾道学研究会」ホームページでも見ることが出来ますので、興味のある方は是非一度御覧になって下さい。

帰ってきた映画館

小津安二郎監督の『東京物語』(昭和28年)や、『転校生』(昭和57年)をはじめとする大林宣彦監督の一連の作品など、日本映画を代表する名作の舞台となり、映画とは切っても切れない関係にある我が町尾道。
しかしその一方で、「映画館のない町」であるという「映画の町」に相応しくない悲しい現実が存在していました。

日本映画が全盛期だった昭和30年代には島嶼部を合わせて14館もあり、市内の至る所にあった尾道の映画館も、映画界の斜陽と共に1軒、また1軒と減少して行きます。そんな中で最後まで残っていたのが、松竹の撤退後、当時の社員が昭和48年に引き継いだ「尾道駅前松竹」。名前の通り、JR尾道駅のちょうど真向かいにあり、年号が平成に変わって以降はその時代ごとの大作、話題作と「ピンク映画」を交互に上映するという、何とも不思議な映画館ではありましたが、それでも「映画の町」の唯一の映画館であることには違いはありませんでした。
しかし、その「尾道駅前松竹」も平成12年夏に「休館」。尾道で映画を観る場所がなくなってしまいます。

尾道が「映画館のない映画の町」となって4年経った平成16年9月、ある団体が発足します。NPO法人シネマ尾道、通称「尾道に映画館をつくる会」。地元在住の河本清順さんを中心に、尾道市内外に住む映画ファンの様々なメンバーが尾道に映画館を復活させるために集まり、「毎日映画を見に行ける場所が町にあるということが絶対に必要」という考えの下、資金集めや映画館の場所探しに奔走する一方、尾道駅の側にある広域交流施設「しまなみ交流館」での映画会や毎週末に往年の日本映画を上映する「おのみち週末映画館」、2ヶ月に1回ペースでの「特別映画会」を開催するなど、地道な活動を続けます。
こうした努力が実を結び、「尾道最後の映画館」となった「尾道駅前松竹」の建物の持ち主から建物を借り受け、平成20年4月の開館を目指しますが、ここで思いがけないアクシデントやトラブルに見舞われます。平成20年の元日、新しい映画館のために購入した映写機やアンプ、スピーカーを保管していた倉庫が全焼。更に建物に関して現行の消防法や建築基準法の問題が浮上し、4月の開館は不可能となってしまいます。念願が叶う目前に訪れた最大の危機。しかし、代わりの映写機などを閉館した別の映画館から格安で譲り受け、法律上の問題も改修工事によってクリア。当初の予定より半年遅れの10月18日、漸く新しい映画館「シネマ尾道」が開館。尾道に7年ぶりに映画館が復活しました。

去年、「シネマ尾道」が開館して間もなく、地元ケーブルテレビで開館までの軌跡を追った10分間のドキュメンタリー番組が放送されました。この番組でBGMとして流れたのが、かまやつひろしが歌う「やつらの足音のバラード」(※、作詞・園山俊二、作曲・かまやつひろし)。
 ♪ 何にもない 何にもない 全く何にもない
   生まれた 生まれた 何が生まれた
   星が一つ 暗い宇宙に生まれた…
考えてみれば、「シネマ尾道」という映画館は、「映画館のない映画の町」に生まれた一つの「星」。そして、「何にもない」ところから映画館を復活させた人々のエネルギーをも象徴しているのかもしれません。そうだとすると、「やつらの足音のバラード」は、「シネマ尾道」の全てを言い表している歌であるような気がします。

開館以来、予想以上の盛況を見せている「シネマ尾道」。今年1月には地元出身の大林宣彦監督が訪問し、2月には大林監督の最新作『その日のまえに』が上映され、公開期間中の2月11日には、大林監督などによる舞台挨拶も予定されています。
「映画の町」尾道に久しぶりに帰ってきた映画館。その一大シンボルとして末永く続くことを願うと共に、自分もそのために役に立てたらと思っています。


(平成21年1月7日起稿のものを加筆・修正)
我々日本人というのは、「これで最後」というものに弱く、またそうしたものには一斉に飛び付く習性を持っているようです。
そうした習性は、特に鉄道などの乗り物に関して顕著なようで、JRの寝台急行「銀河」が先月3月14日いっぱいで廃止された時も、その最後の姿を見るため、鉄道マニアを中心に多くの人々が東京駅のホームに押し寄せたそうです。

尾道にも、この4月30日で「これで最後」となる乗り物があります。先日もこのブログで紹介しましたが、尾道と対岸の向島を結ぶ渡船の1つである「しまなみフェリー」、通称「岸元渡船」がそれです。
          http://blogs.yahoo.co.jp/mannennetaro2005/52839992.html

数ある尾道の渡船の中で、僕がこの航路を利用したことは他と比べると少なかったのですが、それでも自分の日常生活の中に長らく定着していたことには違いはありません。
この航路にとっては最後の日曜日となる今日4月27日、最後の乗船をしてきました。

午後2時前に自宅を出発。久しぶりに乗った自転車でおよそ20分、向東町彦ノ上にある向島側の桟橋に到着。桟橋前の看板に貼られた紙には、次のように書かれてありました。
「謹告
 平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
 平成12年10月より岸元ラインより営業を引き継ぎ、『生活の足』として皆様に馴れ親しんで頂きましたが、その間合理化に合理化を重ね今日まで持ちこたえて参りました。しかしながら昨今の状況は厳しいものばかりです。
 大変唐突とは存じますが、平成20年4月30日(水)を限りに『彦ノ上〜尾道』航路を閉鎖することになりました。
 従業員一同誠に残念の一語で、断腸の思いで一杯でございます。厳しい環境をご理解賜ります様宜しくお願い申し上げます。
 永年ご愛顧頂きましたことを深く感謝申し上げますと共に謹んでご通知申し上げます(以下略)」―。

この「しまなみフェリー」は、我々地元に住む者にとっては通称の「岸元渡船」という呼び方がより馴染みが深く、長らく親しまれてきました。他の渡船もそうですが、この船の向島側の桟橋の近くには造船所をはじめ多くの工場が建ち並んでいて、ここに自転車やバイクで通勤する人々にとっては、まさに「生活の足」そのものでした。また、尾道側の桟橋に到着して東に向かうと尾道市役所や「おのみち映画資料館」へ、真っ直ぐ足を向けると商店街や千光寺公園行きのロープウェー乗り場に辿り着きます。遠方から尾道にやって来た人たちにとっては、その対岸にある向島や更に海を挟んで接する因島や生口島へと渡る「旅の足」でもあり、尾道側の桟橋に立つ看板には「日本一短い船旅に出発!!」という言葉が書かれています。今日もゴールデンウィークを利用して尾道に旅行や観光に訪れた人たちが、尾道側から多く乗船していました。その様子を見ながら、「この人たちの中に、自分たちが今乗った船の航路があと3日でなくなってしまうことを知っている人がどれだけいるだろうか…」と、しみじみと思いました。
昨日、今日と2日館に渡って開催された「尾道みなと祭」とゴールデンウィークの賑わいが、図らずも「岸元渡船」にとって最後の賑わいの時と重なってしまいました。祭りの様子を一通り見て歩いた後、再び尾道から乗船し、これが僕にとって最後の「日本一短い船旅」となりました。

しまなみ海道の全線開通以来、尾道の渡船を取り巻く環境は年を追うごとに厳しいものになっています。
尾道から渡船が1つ姿を消してしまうということは、「生活の足」が1つ減り、「日本一短い船旅」が体験出来なくなるだけに留まらず、長年尾道の町に定着してきた風景、そして根付いてきた文化そのものまでが失われて行くことをも意味していると言えます。
だからこそ、尾道から渡船が消えてしまうことは、絶対にあってはならないと思うのです。

「みなと祭」の季節

尾道には「三大祭り」と呼ばれるものがあります。
1つめは毎年7月に開催される「住吉花火祭り」、2つめは毎年11月に開催される「ベッチャー祭り」、そしてもう1つが、今年で65回目を迎える「尾道みなと祭」です。

「尾道みなと祭」は、元々江戸中期に尾道町奉行を務めた広島藩士・平山角左衛門尚住(ひらやま・かくざえもん・なおずみ)を祀った住吉神社の例祭を中心に発展したものです。この平山角左衛門という人は、元文5年(1740年)に尾道町奉行に着任後、翌寛保元年(1741年)に住吉浜を築造し、現在の尾道港の礎を築いた人物として、今日まで讃えられている人物です。「尾道みなと祭」開催中には浄土寺で平山角左衛門の法要が、また住吉神社(平山霊神社)では「平山霊神社祭典」が、それぞれ行なわれます。以前にもこのブログで紹介した、毎年7月の最終土曜日に開催される「住吉花火祭り」も、住吉神社の夏の例祭として開催されているものです。
          http://blogs.yahoo.co.jp/mannennetaro2005/48658675.html

さて、「尾道みなと祭」は昭和10年4月1日に第1回が開催されて以来、今日まで70年余りの歴史を誇ります。70年以上続いているのに今年が65回目なのは、途中戦争によって一時中止されていたからで、戦後は昭和22年春に復活して以降は、60年以上に渡って絶えず開催されています。祭が始まって間もない頃の名物だった出し物は「仮装行列」だったそうで、ある年、戦国武将に仮装した人々による行列が行なわれた際、織田信長や豊臣秀吉は登場したものの徳川家康は登場しませんでした。これは、家康が「士農工商」の身分制度を確立したから、つまり商人を軽んじたからというのが理由だったそうで、商人の町として栄えた尾道らしい逸話と言えるのかもしれません。
かつては5月の連休中に開催されていたものが、いつの頃からか4月の第4土曜・日曜の2日間の開催となりました。これは5月3日から5日に開催され、国内でも最大級の動員数を誇る広島フラワーフェスティバルとのかち合いを避けるためで、「みなと祭」へ1人でも多くの人に呼び寄せようと考える主催者側の苦心のほどが窺えます。

毎年期間中には、尾道駅前の特設ステージで「ミス尾道認定式」やプロのミュージシャンによる「おのみち音楽祭」などが開かれ、また一般パレードや神輿の披露、尾道中央桟橋、通称「おのみち海の駅」での弓削商船高等専門学校の練習船「弓削丸」一般公開と体験航海、それに市街地一円でのスタンプラリーが行なわれたり、フリーマーケットがオープンするなど、様々なイベントが開催される「尾道みなと祭」ですが、近年、この祭りの最大の目玉行事と言えば、何といっても「ええじゃんSANSA・がり踊りコンテスト」です。尾道に古くから伝わる音曲「正調三下がり」を三味線や新しい楽器によってリズミカルでアップテンポ調にアレンジし、これにのってオリジナルの踊りを観衆に披露するというこのイベントは、平成13年の第58回から始まり、今年は「一般・グランプリ部門」と「幼・小・中部門」を合わせて117チーム、約6,000名が参加する予定になっています。尚、今年は「正調三下がり」の踊りの披露とパレードも行なわれることになっていて、「ええじゃんSANSA・がり」との違いを比べて見るのも面白いかもしれません。

今年の「尾道みなと祭」は、4月26日・27日の2日間開催されます。今年は尾道市にとって市制110周年の節目の年にもあたり、それを記念した式典や、今も紹介した「正調三下がり披露」などの行事も開催されます。
          http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/minato2008/minato2008.html

「みなと祭」が終わると、尾道も春から初夏へと季節が移って行きます。

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