万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

落語

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近頃は「落語ブーム」だとかで、お若い方の間でも落語が持て囃されているようでございますな。
テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』で、古典落語をモチーフにしたり、実際に落語が演じられたことがそもそものきっかけですが、日本で一番ポピュラーな古典芸能である落語が、「大喜利」以外でも認められたことは誠に結構なことでございます。

「BRUTUS」という、男性向けの雑誌がございます。男性向けの雑誌と申しましても些か幅が広うござんすが、こちらの方は硬過ぎずそれ以上に柔らか過ぎない、非常に程の良い洒落た雑誌と思し召して頂ければ幸いでございます。
この「BRUTUS」が、なんと落語を特集したのでございますよ。タイトルがズバリ「え〜、なにせミュージシャンは落語好きなもので!」。普段は古典芸能には殆ど目をくれないような雑誌でも落語の特集が組まれるとは、全く良い時代になったものでございます。かくいう私も何せ落語好きなもので、本屋でこれを目にした途端、即買ってしまったのでございます。

で、肝心の中身はと言いますと、「なにせミュージシャンは落語好きなもの」であることが紹介されている…と、これだけだと説明にも何にもなっていませんので、もっと詳しく、ざっと8時間半ばかり…って、それじゃあ余りにも長すぎますのでそれよりは手短に中身を説明したいと思います。
先ず、対談がいくつか載っておりまして、これがいずれも面白い。井上陽水・立川志の輔のご両人に始まって、春風亭昇太・畠山美由紀、TOKIOの国分太一・柳家三三(さんざ)、曽我部恵一・三遊亭白鳥、遠藤賢司・林家彦いちといった組み合わせ。落語家の方はともかく、ミュージシャンの方は今度初めて知った名前もございました。国分太一・柳家三三のご両人は、この度公開の「しゃべれども しゃべれども」という映画で主人公の落語家と落語の指導・監修担当者という間柄だそうで、落語家や落語を演じることの楽しさやら大変さやらを語り合っております。TOKIOといいますと、同じくメンバーの長瀬君が『タイガー&ドラゴン』で落語をやってたし、「笑点」にも出たりして、今じゃジャニーズの中でも一番落語や演芸と身近な関係を持つグループでしょうな。リーダーは藤山直美のお父さんですから…って、これは関係ないですが…。

他にはどんなことが書かれているかといいますと、ミッキー=カーチスとミッキー亭カーチスの「対談」やら、町田康の「私はこんな落語を聴いてきた。」と題した落語論やら、ミュージシャンお薦めの落語と落語家の紹介やら、「BRUTUS」お薦めの落語家とCDと落語会の紹介やら、女優の肘井美佳嬢がビールを飲みながら桂米朝師匠の落語に聴き惚れるという、渋い趣味について語るやら、その他色々でございます。
そうそう、忘れちゃいけないのが、『幕末太陽傳』(昭和32年)が紹介されていること。鬼才・川島雄三監督のこの映画、幕末の品川遊廓を舞台に古典落語がモチーフにされていて、フランキー堺演じる居残り佐平次が絶品の私も大好きな映画でございます。で、この映画とモチーフに使われている古典落語を、現代のミュージシャンが見聞きしての感想が語られているんですが、フランキー堺の芝居のテンポがジャズから来ていることをちゃんと指摘しているのは流石でしたな。因みに、ジャズメンにも落語好きが多いんです。映画ついでで言えば、『幕末太陽傳』と同じ頃に作られた黒澤明監督の『どん底』で、黒澤監督が舞台になった江戸の裏長屋の雰囲気を出演者やスタッフに分かってもらおうと、撮影所に古今亭志ん生を呼んで一席落語をやらせたことがあるってことを、つい今し方思い出しました。

ページをパラパラとめくって行くと、おしまいの方に「お師匠さん」という題で、圓歌師匠だか開高健だか朝青龍だか、何だか分からない全部ごちゃ混ぜにしたような感じの人が妙に洒落たなりをした写真が出てまして、顔が顔だけに何とも可笑しいんですな。もっとも、こういう顔の方ほど、裏へ廻れば「御祝儀」なぞを筆の先でドガチャガ、ドガチャガとやってるなんてこともあるようで…。
そうこう言ってるうちに、どうやらお時間が来たようでございます(何の時間かは聴かないで)。この「BRUTUS」という雑誌は毎月1日と15日が発売日だそうで、間もなく次の号が出てしまいます。興味のある方や御用とお急ぎでない方は、早速本屋かコンビニでお目を通して頂ければと思います。

「落語研究会」の歴史

今日は、「落語研究会」の歴史について書いて行こうと思います。
といっても、これから書くのは、所謂「オチケン」の歴史についてではなく、そうしたものが出現するずっと前からあった「落語研究会」の歴史についてです。

「落語研究会」が初めて誕生したのは、明治30年代の東京でのこと。当時の東京落語界は、三遊派の三遊亭圓朝、柳派の談洲楼(だんしゅうろう)燕枝など、主に本格的な人情噺を得意とした大真打が世を去り、「ステテコの圓遊」こと初代三遊亭圓遊に代表される、滑稽噺を得意とする人気者たちが主流を占めていました。今日でこそ初代圓遊は「落とし噺」の水準を高め、落語を大衆へより浸透させた功労者として評価されていますが、この時代はその亜流が続々と出現する一方で、「正統派」「本格派」と呼ばれる噺家たちは苦境に陥ります。これに危機感を抱いた初代三遊亭圓左(えんさ)は、落語・講談速記者の今村次郎と相談。明治38年、四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右、二代目三遊亭小圓朝、三代目柳家小さん、圓左の6人が会員、岡鬼太郎、森暁紅(ぎょうこう)、石谷華堤(いしがやかてい)らの文人たちが顧問となって、第一次「落語研究会」が発足。この年の3月11日に日本橋の常盤木倶楽部で第1回公演が開催されました。当初、このような地味な落語会には客は来ないだろうと思っていましたが、いざ当日になると会場は超満員。6人の噺家たちは大いに感激し、落語を熱演したのは勿論、客の履物を管理する下足番まで自分たちで務めたといいます。第一次「落語研究会」の成功によって正統派の話芸が再認識され、大正12年9月1日の関東大震災で中断を余儀なくされるまでの18年間、多くの名手を輩出し、明治末期から大正にかけて東京落語界は黄金時代を迎えます。

大正時代は、活動写真(映画)や蓄音機などの出現で新たな娯楽が発達したことで寄席興行はそれに押されて行きますが、落語自体は「落語研究会」の人々が中心となって継承されました。関東大震災で第一次「落語研究会」が中断され、元号が「昭和」となって間もなく、昭和3年3月11日に第二次「落語研究会」が発足。太平洋戦争の激化で昭和19年3月に閉会するまで、足掛け16年、全179回の公演が開催されました。第三次「落語研究会」は、終戦後の昭和21年2月3日に発足しますが、世相の混乱のためすぐに中止。昭和23年10月9日、第四次「落語研究会」が発足。こちらは昭和33年4月19日の第105回で休会(解散)となるまで約10年続きました。

第四次「落語研究会」が開催されていた昭和20年代から30年代は、ちょうど民間放送が続々と開局した時期と重なり、家庭でも気軽に聴けるようになったことも手伝って落語は再び黄金時代を迎えた上、広い次元に進出するようになります。そうした中、昭和43年3月14日、TBS主催で第五次「落語研究会」が発足。以後、毎月1回、東京・隼町の国立劇場小劇場で開催され、今日に至っています。東京では、ここでの高座が毎月1回、TBSテレビで「落語特選会」として長年放送され、現在ではTBS系のBS−iに放映が移り、毎月最終土曜日深夜0時に放送しています。

5度に渡る「落語研究会」の結成について、「ややもすれば漫談・漫才・放談化しそうな伝統話芸としての落語の変容を防ぎ、伝統継承の姿勢を堅持することが出来た」と評価される一方、今日の「古典落語」の概念を生み、落語が文化遺産として固定してしまったという見方もあります。いずれにしても、明治後半から現在に至るまで、落語という芸と伝統の継承、そして歴史の保持に寄与したという点で、「落語研究会」の存在は大きいと言えます。
上方落語界には、現在198人の落語家がいるそうです。
戦後、一時は「滅んだ」とまで言われるほどの壊滅的状態に陥りながら、民間放送の普及や、六代目笑福亭松鶴、桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝の「上方落語四天王」などの活躍によって、「奇蹟的」と言える程の復興から隆盛へと繋がって行ったことが、この数字にも表れています。

「上方落語家名鑑ぷらす上方噺」は、昨年9月15日から興行が始まった「天満天神繁昌亭」の杮落としを記念して刊行された本で、上方の落語家たち198人の素顔と、上方落語180席を厳選し、そして上方落語界の「今」にスポットを当てています。当ブログでお世話になっている「お手伝い」さんからこの本を紹介され、先日漸く購入、一読しました。
本の内容は、先ず「まえがき」として桂三枝・現上方落語協会会長の挨拶、続いて、第一章「上方落語家名鑑」、第二章「上方噺厳選180本」、それに特別企画として、「上方落語と共に六十年」と題した三代目桂春團治・笑福亭鶴瓶両人の対談、「年表・上方落語三百年略史」の順に構成されています。

「上方落語家名鑑」は、一門別に落語家たちが紹介されていますが、重鎮である桂米朝、桂春團治両師匠をはじめ、テレビ・ラジオでもお馴染みの顔から、滅多にメディアには登場しないものの実力が認められている人、注目の若手まで完全に網羅されています。特に最近の若手の落語家たちの「高学歴」には驚かされ、例えば、笑福亭福笑門下の若手・笑福亭たまは京都大学経済学部卒業。「落語への熱中度とどん欲な改革精神で際立つ若手」で、「いかにも頭脳派だが、あざとさを嫌い、笑いの芯に優しさとわかりやすさを求める」とのことです。笑福亭三喬門下の笑福亭喬介(六代目松鶴の曾孫弟子)は、「落語・講談研究会」からプロに転身した僕の大学の後輩。我が母校の後輩から落語家を輩出するというのは、素直に喜ぶべきなんでしょう。若手落語家について言えば、いわゆる「イケメン」が多い。落語界も「顔」で勝負する時代になってきたようです。
落語家の後に、お囃子を担当する「三味線方」の皆さんが紹介されていますが、桂枝雀未亡人のかつら枝代さんのように、夫が落語家という人が多いのが特徴です。林家和女(かずめ)さんのように、夫が林家小染、妹が女流落語家の桂あやめという壮絶(?)な家庭環境を持つ方もいらっしゃいます。

現役の落語家たちと共に、昭和から平成に亡くなった主な落語家たちを紹介する「物故者名鑑」の項には、「伝説の人」である初代桂春團治をはじめとして往年の名人上手、人気者たちが紹介されていますが、今の上方落語界を引っ張っている筈の枝雀さんや、二代目桂春蝶、四代目林家小染、七代目笑福亭松鶴、桂吉朝といった人たちがこの中に含まれているのは、やはり寂しくて残念です。
春團治・鶴瓶対談は、戦後の上方落語復興の体験談から芸、遊びに至るまで盛り沢山の内容。笑いもたっぷりで読み応え十分ですが、この面白さはなかなかこの文からは伝えられないので、興味のある方は、是非手にしてお楽しみ下さい。

「天満天神繁昌亭」の席亭・岩本靖夫さん(この本が刊行されて間もなく退任)の「あとがき」によれば、この本は筆者の演芸ジャーナリスト・やまだりよこさんから提案を受けて、わずか1〜2週間の間にトントン拍子で話が進んで刊行される運びとなったそうです。上方落語を支える人たちの「熱気」から生まれた本と言えます。

「真打」薀蓄

東京の落語家団体の一つである「落語協会」のホームページによると、この3月21日に新しく5人の真打が誕生し、3月21日からの上野鈴本演芸場を皮切りに、新宿末広亭(4月1日〜10日)、浅草演芸ホール(4月11日〜20日)、そして池袋演芸場(4月21日〜30日)と、10日間ずつ40日に渡ってその披露興行が行なわれることになっています。

『真打ち競演』(NHK)というラジオの演芸番組もあるので、落語や演芸にあまり興味のない人でも、「真打」という言葉は馴染みが深いことでしょう。
真打制度は現在では東京落語特有の制度で、上方では事実上消滅しています。落語家の身分は「前座」「二つ目」「真打」の3段階から成り、二つ目から真打へ昇進するには噺家自身の師匠と別の師匠による推薦の後、試験によって昇進が決められます。
「真打」になることを「真を打つ」と言い、昇進の際には披露目が行なわれ口上が述べられ、寄席で主任(トリ)、つまり一番最後に高座へ上がる資格を持つことが出来、また真打になって初めて「師匠」と呼ばれるようになります。この「真を打つ」とは、寄席の最後の出演者が閉幕の際に蝋燭の芯を打つ様からきたと伝えられ、「芯を打つ」が転じて「真を打つ」となり、「真打」という言葉が生まれたとされています。

真打昇進の披露口上には、本人の師匠は勿論、他の大師匠連も顔を並べるのが通例となっています。昭和33年、当時既にラジオ・テレビで人気絶頂だった林家三平が真打に昇進した際には、彼の師匠の七代目橘家圓蔵と共に、五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽、八代目林家正蔵(彦六)、五代目柳家小さんといった「名人」たちが口上に並びました。「あんなものは落語ではない」との批判も多かった三平ですが、その真打昇進披露にこれだけの顔触れが揃ったことに、「いかに落語界全体が期待してたか」(高田文夫)が伺えます。八代目文楽の真打披露での口上には3種類あったそうで、芸に見所がありと認めた時の最高の褒め言葉は、「当人は、至って芸道未熟な者ではございますが…」、芸はそれほどではないが人間が出来ている人物に対しては、「当人は、大変に親孝行でございまして…」、そして、芸も人間的にもあまり褒められないタイプに対しては、「当人、芸は至って地味でございますが、奥の方に何かキラッと光る物がございます」と述べていたそうです。そこには、一言一句疎かにしない芸風の持ち主だった「黒門町」の、後輩を激励しようとする配慮があったと言います。

林家三平が真打に昇進して4年後の昭和37年には古今亭志ん朝、五代目春風亭柳朝、三遊亭圓楽が、翌昭和38年には立川談志がそれぞれ真打ちに昇進し、「若手四天王」として売り出し芸を競い合うことになります。志ん朝が入門5年で真打に昇進したのはその実力を早くから認められていたからですが、実力は伯仲していた談志の真打昇進が遅かったのは、「生意気」だったからだと言われています。因みに、談志は真打昇進に当たって「十代目柳家小三治」の名跡を希望したのが、師匠の五代目小さんに反対され断念したという経緯があったそうです。昭和55年に真打に昇進した春風亭小朝は、先輩落語家36人を一気に抜き去ったことで話題を集めました。
最近では、落語協会と落語芸術協会に所属する落語家の半数以上を真打が占めていて、真打制度は形骸化しているという意見も聞かれます。戦後の真打昇進制度は何度変わっていますが、その選考基準が不明瞭であるという批判が一貫しており、一門同士や一門内部での対立の一因ともなっています。六代目三遊亭圓生が一門を率いて落語協会を脱退して「落語三遊協会」を設立するに至った昭和53年の「落語協会分裂騒動」や、昭和58年、真打昇進試験を巡って立川談志が一門を率いて落語協会を脱退した騒動はその代表的なもので、真打昇進制度が慢性的に問題や矛盾を抱えていることを証明しているとされ、現在でもこの問題は解消されていないようです。

今回、落語協会で真打に昇進するのは四代目隅田川馬石、柳家喬之助、古今亭菊志ん、柳家我太楼、それに六代目春風亭柳朝の5人。春風亭柳朝という由緒ある懐かしい名跡や、隅田川馬石という長年埋もれていた珍しい名跡が復活するのが、落語ファンにとっては嬉しい限りです。
落語家には基本的に「定年」や「引退」というものはありません。
それこそ、噺のマクラでよく言われるように「舞台に出て座布団に座れるまでの体力」さえあればいつまでも出来るものですが、しかし「体力」があっても「気力」が伴わないとなかなか難しいようです。

昨日2月25日、東京・国立演芸場の「国立名人会」に出演した三遊亭圓楽さん。得意の人情噺「芝浜」を約45分間に渡って演じた後、正式に引退を表明しました。引退の大きな理由は、呂律が回らなくなったこと、義歯の調子も悪く、この日の出来に納得が行かなかったこと、「まだやれる」というお客さんの声に甘える訳にはいかない、というものですが、9年前から人工透析を受けるようになった上、一昨年10月には脳梗塞で入院した後、長年司会を務めてきた『笑点』の司会の降板を余儀なくされ、落語家としても何度も引退を口にしていたといいます。

定年や引退というものがないだけに、落語家たちの「最後」の高座には印象的なエピソードが多く、中には伝説化したものもあります。今でも「昭和の名人」の筆頭として挙げられることの多い八代目桂文楽は、昭和46年8月31日に開かれた「落語研究会」で「大仏餅」という噺を演じた際、「神谷幸右衛門」という登場人物の名前を忘れてしまい、「勉強し直して参ります」と言って高座を降りたのが最後の高座となりました。その文楽の良きライバルであり親友であった五代目古今亭志ん生は脳梗塞に倒れた後も高座を務めましたが、昭和43年10月9日の「精選落語会」で廓噺の「二階ぞめき」を演じるはずが、いつの間にか「王子の狐」という別の噺になってしまい、それ以来、昭和48年9月21日に亡くなるまで高座に上がることはありませんでした。圓楽さんの師匠である六代目三遊亭圓生は、奇しくも自分の誕生日でもあった昭和54年9月3日、体調不良を押して出席した千葉県習志野での自身の後援会発会の席で「桜鯛」という小噺程度のものを演じた後、容体が急変し、その日のうちに亡くなっています。今回の圓楽さんの引退表明は、完璧主義を貫いた文楽型と言えるのでしょうが、死の直前まで「落語家」であり続けた師圓生にも影響されることが多かったと思われます。

圓楽さんはほぼ同時期に真打ちとなった古今亭志ん朝、立川談志、それに五代目春風亭柳朝と共に「若手四天王」として売り出し、芸を競い合ってきました。このうち、江戸前の芸風に定評の柳朝さんは、50代半ばで脳溢血で倒れ言語障害に陥り、数年の闘病生活の後、平成3年2月7日に62歳で世を去り、それから10年後の平成13年10月1日、これからの落語界を背負うはずだった志ん朝さんが63歳で亡くなってしまいます。残ったのが圓楽さんと談志さんですが、談志さんは「圓楽が嫌いだ」と公言し、圓楽さんが寄席「若竹」を建てた際にも、「すぐダメになる」と見限ったそうです。後に談志さんの予測通り「若竹」は廃業となりますが、その際圓楽さんは「談志の言う通りだった」と自らの失敗を認めたといいます。圓楽さんの引退に関して今最も興味があるのは、家元が果たしてどのような反応を示すかということです。

司会者で自ら「横浜にぎわい座」の館長を務めるほど落語にも精通している玉置宏さんは、「圓楽さんは自分に厳しい人なので、自分の物差しで己の芸に評価を下し、引退を表明したのだろう。圓楽さんらしい決断ではないか。本人は今、ホッとすると同時に寂しいと思う」と語っています。
「人間、『引き際』が肝心」と言います。「山あり谷あり」の落語家人生だったとはいえ、自ら「引き際」を見つけることが出来たという点で、三遊亭圓楽という人は幸せな落語家だと思うのですが、本人はどう考えているのでしょうか。

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