万年寝太郎徒然日記

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小津と黒澤の「顔」

映画監督の作品には、必ずその作品の「顔」とも言える常連俳優が何人かいて、その役者の演技が作品に厚みを加え、また観る側もそれを楽しみにしています。
中でも、その代表的な存在が小津安二郎作品と黒澤明作品で得難い存在感を示した、笠智衆と志村喬の2人ではないでしょうか。

笠智衆と志村喬。ここからは笠さん、志村さんと書きますが、面白いのは笠さんが本名で、志村喬さんは芸名だということです(本名は島崎捷爾=しまざき・しょうじと言うそうです)。笠さんの「智衆」という名前は、寺の住職だった父親が笠さんを将来僧侶にするために名付けたとのこと。山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズの「御前様」役がはまり役となっていたのも、ここから来ていると言えます。
この2人に共通するのは、小津・黒澤作品で、それぞれ父親、または父親的立場の役を多く演じてきたこと。それに無名、下積み時代が長く、俳優として注目を集めたのは戦後に入ってからということでしょう。

仏門に入るのが嫌で役者になった笠さんは、大正の終わりに松竹蒲田撮影所に入り、10年以上も通行人やその他大勢役専門の大部屋俳優として過ごしました。この頃から既に小津安二郎監督の作品には出演していて、そこから我々にとっては「おじいさん」のイメージが強い笠さんの若き日の姿を見ることが出来ます。もっとも、ここでも「その他大勢」の役ばかりで、これを探し出すのは楽しい反面、大変なものです。
大部屋俳優として地道にやってきたことが小津監督に認められて、『一人息子』(昭和11年)で初めて大役に抜擢され、『父ありき』(昭和17年)では遂に主役を演じます。戦後も『晩春』(昭和24年)、『東京物語』(昭和28年)、それに小津監督の遺作である『秋刀魚の味』(昭和37年)など、主役・脇役を問わず、小津作品には毎回登場し、俳優としての地位を不動のものにしました。

一方、芝居好きが高じて演劇の世界から映画界に入った志村さんは、戦前は時代劇映画の敵役が中心でした。その転機となったのが黒澤明監督と出会い、黒澤監督のデビュー作『姿三四郎』(昭和18年)に出演したことでしょう。戦後も黒澤作品では重要な役を演じ、特に『生きる』(昭和27年)と『七人の侍』(昭和29年)の2つの作品は、監督・黒澤明の代表作であると同時に、俳優・志村喬の代表作でもあり、志村さんが黒澤作品に欠かせない俳優であることを証明していると言えるのではないかと思います。

直接共演したという訳ではありませんが、揃って出演した作品もいくつかあって、黒澤監督の『赤ひげ』(昭和40年)や、『男はつらいよ』第1作(昭和44年)などがあります。
前者では笠さんが加山雄三演じる若き医者・保本登の父親役で、志村さんは和泉屋徳兵衛役、後者では志村さんがさくら(倍賞千恵子)の夫・博(前田吟)の父親役で出演しています。
また、テレビドラマでは、山田太一脚本の『男たちの旅路』シリーズ(昭和52年)の「シルバー・シート」というエピソードで文字通り共演した他、向田邦子脚本の『あ・うん』(昭和55年)には志村さん、『続あ・うん』(昭和56年)には笠さんが続けて出演しています。

笠さんも志村さんも、それぞれ小津・黒澤両監督との出会いがなければ、全く別の俳優人生を送っていたことでしょう。また、この2人がいなければ、小津映画も黒澤映画も雰囲気の違うものになっていたかも知れません。2つの俳優と映画監督との縁が、日本映画の歴史に大きな足跡を残したと言えます。

小津を語る

僕が住んでいる広島県尾道市は、最近では一般的に「文学」「坂道」、それに「映画」のイメージが強いようです。
その影響ではありませんが、僕も映画はよく観る方です。と言っても、最近の映画にはあまり興味がなく、観るのは専ら昔の日本映画、それも主にレンタルビデオで借りて観ることが多いです。

ところで、尾道と映画との関係を強く結び付けたのは、何と言っても地元出身の大林宣彦監督の功績が大きいのですが、そのきっかけを作った映画と言えるのが、尾道が舞台となった小津安二郎監督の最高傑作『東京物語』(昭和28年)でしょう。尾道には『東京物語』のロケにも使われた寺院や旅館が今も残っており、地元の「映画資料館」にも小津監督に関する資料が常時展示されています。そして、少年時代の大林監督もこの映画には大きな影響を受けたそうです。

小津安二郎監督と言えば、黒澤明監督などと並んで、世界で最も著名な日本の映画監督の一人です。黒澤監督がダイナミックで娯楽性豊かな作風であったのに対して、小津監督は終始庶民の生活にスポットを当てて、ローアングルで人物を見据える構図と、ゆったりとしたリズムによる独自の映画スタイルを持ち続けました。言わば黒澤明の「動」に対して、小津安二郎は「静」の作風の持ち主だったと言えます。
僕が最初に観た小津作品は、遺作の『秋刀魚の味』(昭和37年)ですが、その独特のカメラアングルに新鮮さと奇妙さを同時に感じたことを覚えています。
一昨年、小津監督の生誕100年と没後40年を記念した特集番組がNHK‐BSで放送され、現存する小津作品が全部放映されましたが、戦前のサイレントの時代から既にその作風は確立されていました。

小津監督の作品は、その殆どが家族、親子、夫婦、兄弟などをテーマにした所謂「ホームドラマ」ですが、それは小津監督が家庭的なものが特に好きだったという以上に、その映画スタイルが最も適していたのがホームドラマだったからだと言われています。その小津監督が生涯独身を通していたというのは、なんとも皮肉で興味深いものがあります。
戦前にもサイレント時代の『生れてはみたけれど』(昭和7年)や、トーキーになってからの『一人息子』(昭和11年)、『父ありき』(昭和17年)などの名作がありますが、個人的には、戦後の小津映画の方向性を決定付けた『晩春』(昭和24年)から遺作の『秋刀魚の味』までが、特にお気に入りです。今、小津作品を観ていると、その時代ごとの庶民の生活が見えてくるだけでなく、当時の社会背景までが見えてきます。また男優では笠智衆、女優では原節子や杉村春子など、小津作品の常連の役者たちの演技も各々の作品で異なっていて、それを見比べてみるのも結構楽しいです。
また、『東京物語』から『秋刀魚の味』までの小津作品9作のうち、7作の音楽を手掛けた斎藤高順(たかのぶ)の音楽は、爽やかさや朗らかさと同時にしみじみとした雰囲気をも醸し出して、これまた素晴らしいものです。

「家族」という極めて普遍的なテーマを描き続けてきたからこそ、小津安二郎の映画は今日でも国内外で高い評価を得ているのでしょう。
でも、僕が小津映画の本当の価値や魅力を理解出来るまでには、まだまだ長い年月がかかるかも知れません。

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