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12月14日と言えば、間髪入れずに『忠臣蔵』という言葉が出てくるくらい、『忠臣蔵』は我々日本人の心の中に深く浸透しています。 元々、この『忠臣蔵』という名前のルーツは、寛延元年(1748年)8月に初演された『仮名手本忠臣蔵』であり、また赤穂浪士の討ち入りのあった元禄15年(1702年)12月14日は、現在の暦に直すと1月中旬から下旬にあたるのですが、やはり『忠臣蔵』は、師走が一番似合うようです。 さて、江戸時代には歌舞伎や人形浄瑠璃で上演されていた『忠臣蔵』が、明治に入ってからは映画の題材としても取り上げられるようになります。最初の『忠臣蔵』映画は、明治43年に横田商会が、牧野省三監督・尾上松之助主演で撮った『忠臣蔵』が最初だそうで、戦前では阪東妻三郎主演の『忠臣蔵』(昭和13年)や、巨匠・溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』(昭和16年)などの名作が作られましたが、これらは余りに古すぎるのでここでは割愛し、戦後作られた『忠臣蔵』映画の中から代表的な作品をいくつか紹介して行きたいと思います。 戦後、最も多く『忠臣蔵』映画を作ったのは、時代劇映画のメッカであった東映でした。最初の作品は、戦後の『忠臣蔵』映画第1作でもある『赤穂城』『続・赤穂城』(昭和27年)。昭和20年の終戦から『忠臣蔵』映画が上映されるまで7年のブランクがあったのですが、これは終戦後、「民主化の妨げになる」という理由から、当時のGHQの支持によって歌舞伎などを含めて『忠臣蔵』ものが一時上演中止になったことも影響していると思われます。日本映画が最も華やかな時代であった昭和30年代には、市川右太衛門主演の『赤穂浪士』(昭和31年)、片岡千恵蔵主演の『忠臣蔵』(昭和34年)、『赤穂浪士』(昭和36年、以上3作はいずれも松田定次監督)の3本が作られ、大石内蔵助は右太衛門・千恵蔵の「二大御大」、浅野内匠頭は東千代之介、中村錦之助(萬屋錦之介)、大川橋蔵、吉良上野介は月形龍之介、進藤英太郎というように、どの作品も当時の東映時代劇を代表する俳優たちが勢揃いしています。その後、昭和53年には、萬屋錦之介主演、深作欣二監督の『赤穂城断絶』が公開され、こちらは「実録映画」調の作品となっています。 戦後、『忠臣蔵』が題名として使われた第1作目は、昭和29年に公開された松竹の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)。大石内蔵助は先代松本幸四郎(白鸚)、浅野内匠頭は当時の松竹時代劇の二枚目スター・高田浩吉、吉良上野介は新劇界の重鎮・滝沢修が演じました。松竹は昭和32年に再び『大忠臣蔵』(大曾根辰夫監督)を制作。先代市川猿之助(猿翁)が大石を演じたこの作品は、『仮名手本忠臣蔵』のストーリーをそのまま映画に取り入れたという、『忠臣蔵』映画の中でも異色の作品でした。 昭和33年には、大映で『忠臣蔵』(渡辺邦男監督)が作られました。長谷川一夫の内蔵助、滝沢修の吉良という顔合わせは、後のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』(昭和39年)と同じ顔合わせ。内匠頭を市川雷蔵、四十七士の1人・赤垣源蔵を、当時まだ二枚目路線であった勝新太郎が演じており、『忠臣蔵』の著名なエピソードが殆ど織り込まれていることから、「これは初心者向けの『忠臣蔵』である」と言った批評家もいたそうです。 東宝は、昭和37年に、阪東妻三郎主演『無法松の一生』(昭和18年)などで知られる稲垣浩監督で、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を制作。大石内蔵助は、かつて松竹作品でも同じ役を演じ、当時は東宝専属だった先代松本幸四郎。浅野内匠頭は『若大将』シリーズで売り出し中の加山雄三。他に、講談種のキャラクターで、槍の達人である俵星玄蕃を三船敏郎が演じています。いかにも憎々しい吉良上野介を演じた当時の歌舞伎界の長老・市川中車は、後年、三船が内蔵助を演じたテレビの『大忠臣蔵』(昭和46年)でも再び吉良を演じましたが、この作品が放送中の昭和46年6月に74歳で急逝してしまいました。因みに、この作品の音楽は、『ゴジラ』シリーズでも知られる伊福部昭が手掛けており、討ち入りのシーンの音楽は、そのまま『ゴジラ』でも流れてきそうな音楽です。 これらの作品の他にも、いわゆる「外伝」的な作品も多く作られましたが、日本映画が下降線を辿り、それに代わってテレビが台頭してからは、『忠臣蔵』ものは主にテレビで作られるようになりました。平成6年に、市川崑監督・高倉健主演の『四十七人の刺客』(東宝)に深作欣二監督の『忠臣蔵外伝四谷怪談』(松竹)と、2本の『忠臣蔵』映画が同時期に上映されたのを最後に、映画では『忠臣蔵』は作られていません。次の『忠臣蔵』映画は、一体どのような作品となるのでしょうか。
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