万年寝太郎徒然日記

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世界的に高い評価を受けている日本の映画監督と言えば、黒澤明、小津安二郎、溝口健二の3人が挙がりますが、この日本映画を代表する3人の巨匠に次ぐ「第4の巨匠」と讃えられているのが、今年生誕百年を迎えた成瀬巳喜男監督です。

成瀬巳喜男の映画人生は、大正9年、15歳で当時の松竹蒲田撮影所に入社した時から始まります。小道具係、助監督を経て入社から10年後の昭和5年に監督に昇進、徐々に頭角を現すようになります。しかし、彼の作風は同僚だった小津安二郎と似通っていたことから、当時の松竹社長・城戸四郎から「小津は2人いらない」と言われたそうです。小津をはじめとする他の監督たちが自分より先に評価されて行く悔しさを、成瀬は独り酒で紛らわしていたといいます。
やがて、松竹から東宝の前身であるPCLに移籍した成瀬は、『妻よ薔薇のように』(昭和10年)や『鶴八鶴次郎』(昭和13年)などの「芸道もの」などを発表して評価を得ますが、その手腕がより冴えを見せたのは、林芙美子原作の『めし』(昭和26年)によって戦後の一時的な低迷期を脱してからで、以後、女性映画の名手としての地位を確立して行きます。

「小津は2人いらない」とまで言われた成瀬監督ですが、全く作風が似ているという訳ではなく、特に戦後の2人の作品からそれが顕著に感じられるように思います。
小津は早くから自分の映像スタイルを確立し、特に戦後は『晩春』(昭和24年)以降、中流家庭を舞台に、家族をテーマにした作品を多く発表しました。対して、成瀬は市井に生きる人々の心情を細やかに描くことを得意とし、その中でも女性を生き生きと描くことに定評がありました。小津作品がホームドラマ的なのに対して、成瀬作品にはメロドラマ的要素が随所に感じられます。
また、成瀬は会社が決めた日程と予算を必ず守ることでも有名で、仕事も始めと終わりを定刻通りに行ない、ロケが嫌いな監督でした。この点は、同じ東宝の監督だった黒澤明が、日程や予算などを度外視してダイナミックな作風の映画を作り続けたことと好対照と言えます。

成瀬映画を語る上で大きな位置を占めるのが林芙美子作品です。前記の『めし』の他に、『稲妻』(昭和27年)『妻』(昭和28年)『晩菊』(昭和29年)『浮雲』(昭和30年)、それに『放浪記』(昭和37年)と実に6本の林作品があります。林芙美子作品の女性たちは、皆庶民的な生活の中で必死に生き抜き、そのくせどこか可愛い女で、それこそ成瀬の描きたかった女性像でした。中でも『浮雲』は、小津安二郎が「俺には出来ないシャシン(映画)だ」と絶賛したほどで、成瀬作品の中でも最高傑作として評価されています。『めし』で市井に生きる妻を演じた原節子は、成瀬作品では『山の音』(川端康成原作、昭和29年)や『驟雨』(昭和31年)に主演し、また『浮雲』に主演した高峰秀子も、その後成瀬監督とのコンビで多くの作品を手がけ、成瀬映画を代表する女優となりました。

成瀬巳喜男は国内では生前から一定の評価を得ていましたが、それは与えられた仕事をきっちりとこなす、いわゆる「職人監督」としてのものでした。自ら人生の苦しみに耐え、映画の中でもそうした世界を見事に描いたことから、「ヤルセナキオ」と言われた成瀬は、小津・黒澤・溝口に比べると地味な存在ですが、彼らに決して引けをとらない名匠であったことは間違いないでしょう。
テレビの映画番組も多くありますが、今最も面白く、放映する作品の質も高いのは、NHK−BS2の「衛星映画劇場」だと思います。
邦画・洋画を問わず、古今の名作から、ビデオ・DVD化もされておらず、めったにテレビでも放送されることのない作品まで、幅広いジャンルの作品を放送していて、映画ファンを大いに楽しませてくれています。

BS2は、昼から深夜まで映画の枠があって、特に平日には、夜8時から9時台にかけて放送されている「衛星映画劇場」をメインに、国会中継や大相撲中継のない時の昼間に放送されている「懐かし映画劇場」や、深夜の「ミッドナイト映画劇場」と、1日に3〜4本の映画が放送されています。
映画は邦画オンリーの僕にとっては、主に往年の東映や大映の時代劇映画を放送している「懐かし映画劇場」が気に入っていて、よくビデオに録画して鑑賞しています。

特定の監督や俳優、それに作品にスポットを当てて放送してくれるのもBS2の映画番組の良い所です。
例えば、一昨年の暮れから昨年の春先にかけて放送された「生誕100年・小津安二郎特集」。小津安二郎監督が生涯作った54本の作品のうち、現存する全作品を一挙に放送したものでした。戦前のサイレント時代の『生れてはみたけれど』(昭和7年)やトーキー第1作の『一人息子』(昭和11年)、それに『東京物語』(昭和28年)を筆頭にした戦後の名作は勿論、近年フィルムが発見された作品までが放送された他、小津監督に関する数々の特集番組も放送されました。また大杉漣のナレーションによる3分間のミニコーナー「小津百科」も、この企画の名物になっていました。
今月から始まったのが、「『男はつらいよ』全48作一挙放送」。「寅さん」シリーズを第1作目から全作品放送するというBS2ならではの企画。ここでも、「寅さん百科」という3分間のコーナーがあって、映画に造詣が深い落語家の立川志らくがナレーションを務めています。因みに、今夜放送されたのが第8作の『寅次郎恋歌』(昭和46年)で、初代「おいちゃん」役の森川信はこの作品が最後となりました。

来月放送されるのが、「生誕100年・成瀬巳喜男特集」。小津監督と同世代でありながら、不遇な時期が長かったという成瀬巳喜男監督の作品を24本放送するそうです。成瀬監督の作品では、高峰秀子主演の『浮雲』(昭和30年)が有名ですが、『めし』(昭和26年)『晩菊』(昭和28年)、それに『放浪記』(昭和37年)など、我が町尾道を代表する作家・林芙美子の作品も多く映画化しており、今回はこれらも全て放送されるということで、その点でも見逃すことが出来ません。

BS2の映画番組の一番の良い所は、民放のそれと違って、映画の途中でコマーシャルが一切入らないことです。最近では、CSでもコマーシャルなし・ノーカットで映画を放送しているチャンネルがありますが、1つのテーマについてじっくりと取り上げてくれるBS2の映画番組は、それらに勝るとも劣らないと思っています。これからも、映画ファンを喜ばせる企画やテーマを期待していて、要注目です。

裕次郎と雷蔵

石原裕次郎と市川雷蔵。
戦後の日本映画を代表するこの2人の俳優は、偶然にも同じ7月17日が命日にあたります。

この2人を比較してみると、対照的な部分と共通する部分とがあるように思います。
裕次郎は、兄・石原慎太郎の芥川賞受賞作品を映画化した『太陽の季節』(昭和31年)に端役で出演したことがきっかけで、一気にスターダムに登りつめ、いわゆる「太陽族」映画から青春もの、アクション路線と主に現代物で活躍しました。一方の雷蔵は、それに遡る2年前の昭和29年に『花の白虎隊』で映画デビューして以降、「眠狂四郎」シリーズ(昭和38年〜44年)や「忍びの者」シリーズ(昭和37年〜41年)などのシリーズ物を中心に、出演作品の殆どが時代劇でした。
また、裕次郎が汽船会社の重役を務めていた父を持ち、裕福な家庭に生まれ育ったのに対して、雷蔵は出生の事情は明らかにされておらず、生後6ヶ月で歌舞伎役者の市川九団次の養子となり、20歳の時に関西歌舞伎界の長老だった市川寿海の養子になりました。

俳優としての個性や生まれ育ちでは対照的な2人ですが、若くして亡くなり、それから長い年月を経た現在でも高い人気を誇っている点では共通していると言えるでしょう。裕次郎が亡くなったのは昭和62年7月17日でしたが、告別式には多くのファンや芸能人が訪れ、テレビでも中継されました。平成11年の13回忌と平成15年の17回忌の時には、テレビでも特集番組が放送され、裕次郎を偲ぶイベントも開催されました。昨年は、兄・慎太郎が書いた『弟』がドラマ化され高視聴率をマークし、また主演映画がビデオ・DVD化され、過去のヒット曲を集めたCDなども多く発売されています。
雷蔵の場合は、もっと凄いのかも知れません。昭和44年7月17日に亡くなっているのだから、もう36年が経つのに、現在でも「市川雷蔵映画祭」というイベントが盛んに行なわれ、また彼に関する本も多く発表されています。映画祭には生前からの熱狂的なファンから、雷蔵を知らない若い人まで訪れているそうで、市川雷蔵を通じて映画の魅力を知った人も多いようです。

この2人の共通点をもう1つ敢えて挙げるとすれば、共に市川崑監督作品に主演していることでしょう。裕次郎は、『太平洋ひとりぼっち』(昭和38年)で太平洋をヨットで横断した堀江謙一青年を演じ、雷蔵は『炎上』(昭和33年)『ぼんち』(昭和35年)、それに『破戒』(昭和37年)の3作に主演しており、時代劇での演技とは一味違う熱のこもった演技を披露していました。

僕自身は、裕次郎と言えば、映画よりも『太陽にほえろ!』(昭和47年〜61年)のボスに代表されるテレビのイメージが強烈で、「映画俳優」としては雷蔵の方により強烈な存在感を感じます。
石原裕次郎52歳、市川雷蔵37歳。2人ともこの世から旅立つのが早過ぎました。
それにしても、この2人が同じ命日であるということは、単なる偶然なんでしょうか…。
双葉十三郎という映画評論家がいらっしゃいます。
今は亡き淀川長治さんと並び称される映画界の生き字引的存在で、明治43年、西暦でいえば1910年生まれというから今年95歳になりますが、今でも現役で活躍されています。
これまでに見た映画は2万本を超すと言われる、この双葉十三郎さんが、「これぞ日本映画」と言える作品を300本厳選して1冊の本にまとめたのが、『日本映画 ぼくの300本』(新書・文藝春秋)です。

内容は、大きく「日本映画 ぼくの300本‐作品ガイド篇」と「ぼくの小さな日本映画史」の2つに分けられており、これまで外国映画についてのみ用いられていた「星取り」(採点)が初めて用いられています。
「作品ガイド篇」は、映画がまだサイレントの時代だった1921年(大正10年)から2000年までの、実に80年に及ぶ期間の作品が300本紹介されており、先ずその時間的長さに圧倒されます。それ以上に目を瞠るのが、選ばれた作品のジャンルの幅広さで、黒澤明、小津安二郎、溝口健二、木下惠介などの「巨匠」の作品は勿論、今となっては永久に見ることの出来ないサイレント時代の作品から、「化け猫」映画やナンセンス・ミュージカルの『狸御殿』、小林旭主演の「渡り鳥」シリーズや「座頭市」シリーズなどの娯楽シリーズもの、更には北野武や竹中直人、岩井俊二などの最近の作品や、宮崎駿作品まで取り上げられています。この「作品ガイド篇」の特徴は、「星取り」の他に、それぞれの作品の公開当時の監督の年齢がカッコ内に示され、またビデオ・DVD情報も完備されています。

「ぼくの小さな日本映画史」は、「日本映画事始め」が一般映画館で観た尾上松之助の忍術映画だったという双葉さんが、実体験に基づいて日本映画史を紹介し、好きな映画や映画人について書いているのですが、読者にとっては「小さな」どころか、質量共に重みのある内容になっています。「日本映画の美点、弱点」という項では、黒澤、小津らの作品についての印象を述べた後、小津作品が好きな理由として「日本的な格調に魅せられ、おっとりとしたゆとりにひたることができる」ことを挙げています。
「ぼくのゴヒイキの映画、映画人」の項目では、「作品ベスト10」「ゴヒイキ作品ベスト10」の他に、監督、脚本家、撮影監督、美術監督、音楽家のベストが紹介された後で、男優・女優のベストが主役クラスと脇役とに分けて挙げられています。中でも、興味深かったのは女優部門で、◎が戦前の時代劇映画で「姐御」女優として活躍した伏見直江で、○が夏目雅子だったことです。「作品ベスト篇」で彼女の代表作である『時代屋の女房』(昭和58年、監督・森崎東)が紹介されていますが、これは「夏目雅子への追悼の思いが強かったから」だそうです。この選別に、双葉さんの映画への目配りが隅々まで行き届いていることがよく表れていると思います。

日本映画を紹介する本は沢山出ていますが、ここまで厚みのある内容のものは他にないと思います。それは、何よりも双葉十三郎さんが「生き字引」であることは勿論、評論家と呼ばれる人にありがちな妙な「選り好み」や「偏見」がなく、純粋に映画というものを楽しみ、愛していることが自然に伝わってくるからです。この本は、まさしく映画ファンにとって格好の「バイブル」と言えるでしょう。
昨日は、『七人の侍』の7人のうち、昭和に亡くなった4人の俳優について書きました。今日は残る3人の俳優達について書いていこうと思います。

元気いっぱいで喜怒哀楽の激しい野性児、しかし悲しい過去を背負っている百姓上がりの菊千代を演じた三船敏郎が亡くなったのは、平成9年12月24日のこと。享年77でした。この平成9年という年は、3月には萬屋錦之介、6月には勝新太郎が、それぞれ三船に先立つようにこの世を去って行き、また翌平成10年9月6日には、黒澤明監督が、その後を追うように88年の生涯を閉じました。いわばこの2年間は、日本映画の1つの時代の終わりを告げるかのような時期で、その中で三船敏郎がこの世から旅立って行ったことは、決して偶然だったとは思えません。少なくとも『赤ひげ』(昭和40年)までの黒澤作品は、この人と志村喬の2人によって支えられてきたと言っても過言ではないでしょう。とにかく『七人の侍』の三船は、後の寡黙で眉間に皺を寄せた気難しいイメージの三船とは大違いで、菊千代の動きも、三船自身のアイデアやアドリブが多く反映されていたそうです。

温厚な人柄でゆったりとした風貌の副将格・五郎兵衛を演じたのは稲葉義男。俳優座所属の新劇俳優で、映画ではこの作品が初めての大役でした。以後、黒澤作品では『蜘蛛巣城』(昭和32年)に武将役で出演した他、水爆実験をテーマにした新藤兼人監督の『第五福竜丸』(昭和34年)など、多くの作品で善悪両方の役柄をこなし、またテレビでは、『ザ・ガードマン』(昭和40年〜46年)のレギュラーとしてお馴染みでした。『水戸黄門』などの時代劇にも善悪問わず頻繁に出演していました。晩年の数年間は、俳優業から身を引いていたそうで、三船と黒澤監督の間に挟まるかのように、ひっそりとこの世を去って行きました。平成10年4月20日没。享年77。この人と三船が同い年だったということに、正直驚きました。

そして、『七人の侍』の7人の中で最後に逝ったのが、とぼけた雰囲気を持つ平八を演じた千秋実。三船・志村の2人の影に隠れていますが、この人も黒澤作品には欠かせない俳優でした。『野良犬』に演出家の役で黒澤作品に初出演して以降、『羅生門』の法師や、『蜘蛛巣城』の武将・三木義明、それに『隠し砦の三悪人』(昭和33年)の百姓・太平が特に印象に残っています。東映時代劇の常連でもあり、特に加藤泰監督の『真田風雲録』(昭和38年)では、歴代で最も「カッコ悪い」真田幸村を演じています。昭和50年に脳内出血で倒れ、「再起不能」を言われながらも奇跡的に復帰を果たし、その後も俳優として活躍を続けました。平成11年11月1日没。享年82。

以上、『七人の侍』の7人の俳優達について書いて行きました。『七人の侍』では、野盗との戦いの末に4人が亡くなり、最後まで生き残ったのは勘兵衛、七郎次、それに勝四郎の3人でした。ところが、実際にはこの3人を演じた志村喬、加東大介、木村功の3人が先に亡くなり、一番最後にこの世を去ったのが、映画の中では一番最初に命を落とした平八を演じた千秋実だったということに、運命の不思議さを感じます。7人の侍たちは、皆この世を去ってしまった訳ですが、『七人の侍』が観られる限り、この7人も永遠に生き続けているのです。

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