|
遅くなりましたが、先ずは皆さん、新年明けましておめでとうございます。 本年も『万年寝太郎徒然日記』を何卒宜しくお願い致します。 さて、平成20年が明けて早くも1週間が経とうとしていますが、皆さんはこのお正月はどのようにお過ごしになったでしょうか。 僕の場合は、元日は朝おせち料理とお雑煮を食べた後で近所の神社へ初詣へ行き、夜は母方の親戚一同が集まっての夕食。2日は父の実家へ行き、父方の親戚一同と昼食。3日は近所の介護施設に入っている母方の祖母に会いに行く…と、ここ何年も変わることない正月三が日を過ごしました。 今日は1月7日、「七草」の日です。皆さんも今朝は「七草がゆ」を召し上がったという方が多かったのではないでしょうか。当ブログの新年最初の記事も、「七草」と「七草がゆ」について書こうかとも思ったのですが、それについては本を読んだり、インターネットで検索すれば大方のことは分かると思いますので、今回は書きません。 今日は、昭和64年1月7日のことについて書いてみたいと思います。つまり、「昭和」最後の日についてです。 昭和64年1月7日、午前6時33分。60年以上続いた「昭和」の時代が終わりました。前年の昭和63年の秋頃からその予感が高まり、それを受ける形で世間では至る所で「自粛」が行なわれました。どこか重苦しい雰囲気の中で明けた昭和64年でしたが、わずか1週間で幕を閉じる結果となってしまいました。 僕、万年寝太郎は当時中学2年生。この昭和64年1月7日という日は土曜日で、2日後には3学期が始まるという時期でした。前の年の暮れ、つまり2学期の終わりに中学校の生徒会の一員となり、その日は新学期を前にして、生徒会の面々と先生方が学校へ集まって話し合いをすることになっていました。 朝、いつもの1月7日と同じように「七草がゆ」を食べ、7時55分頃、これから学校へ行く準備をしようと思ったその時、台所のラジオから普段は聴き慣れないチャイムの音が流れてきました。 その音こそ、「昭和」の終わりを我々に告げる音だったのです。 学校に登校して、先生たちや生徒会の仲間たちとその年初めて顔を合わせましたが、新年の挨拶はそっちのけで、話題は「昭和」が終わったことばかり。話し合いもごく簡単なもので、午前中には予定の殆どが終わってしまいました。 昼食を済ませた後、我々生徒の何人かは職員室に集まり、先生たちと共にテレビを観ました。 「新しい年号は『平成』であります」。 当時の小渕恵三官房長官が、発表に続いて「平成」と書かれた色紙を出したのを見て、「『平成』って、ピンと来ないよなあ」「何だかパッとしないね」という言葉が、誰ともなく出てきました。 かくして時代は「昭和」から「平成」へと移りました。そして、僕たちは「『昭和』の終わり」と「『平成』の始まり」を中学校の職員室で迎えました。だから、今でも「昭和」最後の一日というと、真っ先にあの時の中学校の職員室の記憶が甦ります。それはもしかすると、昭和20年8月15日を経験した人たちと同じ感覚ではないでしょうか。 昭和64年はわずか7日で終わりましたが、昭和元年もわずか7日で新しい年に代わり、そこには不思議な偶然を感じてしまいます。
「ピンと来ない」「パッとしない」年号のもとで始まった「平成」という時代も今年でもう20年。正確に言えば、明日1月8日が「平成」が始まって20年目の始まりということになります。 一口に20年と言いますが、あの昭和64年1月7日に新しい年号を発表し、後に総理大臣となった官房長官が今はもうこの世にいないことを考えると、20年という時の長さと流れの速さというものを改めて実感します。 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事



