万年寝太郎徒然日記

世のため人のためになることは一切書きません。

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僕の少年時代、幼稚園から中学3年生までの時期は、昭和55年から平成2年までのちょうど10年間になります。
当時はまだ「週休2日制」というものはなく、土曜日も授業がありました。と言っても、午前中だけで昼前には帰るという、いわゆる「半ドン」でした。もう「半ドン」という言葉も「死語」に近いものかも知れません。

土曜日の午後は、平日とは一味違うユニークなテレビ番組が多く放送されていて、家に帰ってからそれらの番組をよく見ていました。それらの番組を思い出すままにアトランダムに挙げて行きたいと思います。
現在でもそうですが、広島ではテレビ東京(当時は東京12チャンネル)系のテレビ局がないので、同局の番組は、殆どが土・日の午後に放送されていました。その中で特に忘れられない番組が「三波伸介の凸凹大学校」です。三波伸介といえば、『笑点』の司会やNHKで日曜夜に放送されていた「お笑いオンステージ」など、各局でレギュラー番組を持っている売れっ子で、「凸凹大学校」は東京では木曜日の夜8時台に放送されていたそうです。番組は、レギュラー陣や毎週登場するゲスト(主に当時のアイドル)がゲームをするという内容だったと記憶しています。昭和57年12月に三波伸介が急逝したことで、この番組も突然幕を降ろしてしまいました。
テレビ東京系の番組では、「隠密同心」の活躍を描いた時代劇『大江戸捜査網』も、土曜日の午後に放送されていました。杉良太郎、里見浩太朗、松方弘樹と主役が代わりましたが、個人的には伝法寺隼人(音次郎)こと里見浩太朗のシリーズが一番印象に残っています。ちょうど自分が物心ついた頃にやっていたからより印象が強いのでしょう。

土曜午後のテレビ番組といえば、大阪や名古屋発のテレビ番組でも記憶に残る番組が多くあります。大阪製作の番組は、主に吉本興業の芸人たちが登場する番組が多く、「花月爆笑劇場」(毎日放送)や「お笑い花月劇場」(朝日放送)といった「吉本新喜劇」系の番組や、「モーレツ!!しごき教室」(毎日放送)などの番組が記憶に残っています。「花月爆笑劇場」は、オープニングでかえるのイラストをバックに出演者などが紹介されていた覚えがあります。「モーレツ!!しごき教室」は、横山やすし・西川きよしの司会で、間寛平、木村進(博多淡海)、オール阪神・巨人などが出演していました。この他、「ノックは無用」(関西テレビ)や「夫婦でドンピシャ!」(朝日放送)などの番組も放送されていました。
名古屋発のテレビ番組では、「お笑いマンガ道場」(中京テレビ)がありました。司会が広島・RCC中国放送の元アナウンサーの柏村武昭だったこともあって、より身近な番組という印象を持って観ていました。長年レギュラーを務めた鈴木義司・富永一朗の「バトル」や、車だん吉・川島なお美の「おまけコーナー」などが、今でも強烈な記憶として残っています。

この他、地元広島ローカルの番組では、現在でも放送されている「釣りごろ釣られごろ」(テレビ新広島)や、「レッツゴーカープ」(中国放送)、「われらがカープ」(テレビ新広島)といった、広島カープの応援番組などが土曜の午後に放送されていました。
今思い出しただけでもこれだけあるのですが、どの番組も懐かしいものばかりです。皆さんはこの番組の中で記憶に残っているテレビ番組はあるでしょうか。

毎日が「クイズの日」

今も昔もテレビ番組に欠かせないジャンルの1つがクイズ番組。
最近のクイズ番組は、昔の番組よりも視聴者の知的センスが問われる番組が増えて来たように思いますが、反面、視聴者参加型の番組が以前よりも少なくなっているように思います。
今日は、かつて「ゴールデンタイム」に放送されていたクイズ番組を、自分の記憶に残っているものをいくつか挙げながら振り返ってみようと思います。

月曜日。共にTBSで、夜7時からは関口宏司会の『クイズ100人に聞きました』、7時30分からは愛川欽也司会の『人生ゲームハイ&ロー』。『クイズ100人に聞きました』での、関口宏の出題をしながらの独特のポーズや、「屋根裏のアナウンサー」こと橋本テツヤのナレーションなどが今でも印象に残っています。『人生ゲームハイ&ロー』は、サラリーマンの出世コースをクイズとゲームに活用したものでした。時代は遡りますが、同じく夜7時30分から日本テレビで放送されていたのが、土居まさる司会の『ほんものは誰だ!』でした。
火曜日。夜7時30分からTBSで久米宏司会の『ぴったしカンカン』。坂上二郎の「ぴったしチーム」と萩本欽一の「カンカンチーム」が毎回対戦し、「カンカンチーム」は視聴者のメンバーでした。夜9時からは愛川欽也・楠田枝里子司会の『なるほど・ザ・ワールド』。世界をテーマにしたクイズ番組の決定版と言うべき番組でした。

水曜日。夜7時からフランキー堺司会の『霊感ヤマカン第六感』。大阪・朝日放送の制作で、冒頭の「世界一面白いテレビ番組」というのがキャッチフレーズだったと記憶しています。7時30分からはNHKの『連想ゲーム』。「スリーヒントクイズ」や最後の「1分ゲーム」など、ユニークなクイズやゲームで構成されていて、今でも忘れられない番組です。8時からはTBSで関口宏司会の『わくわく動物ランド』、それまで大映テレビ制作の刑事ドラマが放送されていた後を受けて、10年近くにわたって放送されました。
木曜日。夜7時からは『クイズ・タイムショック』。7時30分からは『三枝の国盗りゲーム』。そして8時からは大橋巨泉司会の『世界まるごとHOWマッチ』。『クイズ・タイムショック』は、田宮二郎と山口崇が司会を務めましたが、自分は山口崇の方がより記憶に残っています。同じテレビ朝日系列でも、『三枝の国盗りゲーム』は大阪・朝日放送制作。トップ賞に輝いた解答者が海外旅行を賭けた「坊主めくりゲーム」などが印象に残っています。『世界まるごとHOWマッチ』は、「ホールインワン」「ニアピン賞」などゴルフの要素が取り入れられたもので、司会の大橋巨泉と、解答者の石坂浩二・ビートたけしとの掛け合いも見物でした。問題ごとに世界各国の紙幣とお金の単位が紹介されていました。

金曜日。NHKで夜7時30分から放送されていたのが『ホントにホント』。2人1組の4チームが、1つの出題ごとに4人のパネラーが出す答えの中から正解を選び、優勝を争うというものでした。
土曜日。夜7時30分からTBSで大橋巨泉司会の『クイズダービー』。クイズに競馬の要素を取り入れた番組。「○○さんに3000点」というのは流行語にもなりました。篠沢秀夫教授や「三択の女王」と呼ばれた竹下景子、それに驚異の正解率を誇るはらたいらなど、解答者の顔触れもユニークでした。
日曜日。昼は、現在でも長寿番組として人気を誇る児玉清司会の『パネルクイズ・アタック25』があり、夜は7時から大阪・毎日放送制作、TBS系列で『アップダウンクイズ』、その後番組の『クイズひらめきパスワード』、7時30分からはNHKで鈴木健二アナ司会の『クイズ面白ゼミナール』と、その後番組の『クイズ百点満点』、古館伊知郎司会の『クイズ日本人の質問』がありました。『アタック25』と同じ時間枠で、毎日放送制作、桂文珍司会の『クイズミスターロンリー』という番組が放送されていましたが、これは元々ローカル番組だったものが好評を得て全国ネットとなったものでした。また、『アップダウンクイズ』と同じ夜7時台に、朝日放送・テレビ朝日系列で『世界一周双六ゲーム』などが放送されていました。『アタック25』は「エール・フランスで行くパリの旅」、『アップダウン・クイズ』は「10問正解してハワイ旅行」が、それぞれ賞品となっていて、『アタック25』は、現在では「フランス縦断10日間の旅」に変わっています。

この他にも、フジテレビで、小泉博司会、月曜から金曜までの夜7時30分からの15分番組の『クイズ・グランプリ』などがあり、僕が物心ついた頃のテレビは、まさに「毎日がクイズの日」と言っても良いような感がありました。
皆さんは、この中で記憶に残っているクイズ番組がどれだけあるでしょうか。
昨日、広島のRCCラジオの音楽番組で、午後2時台に「お昼の人気番組のテーマ音楽特集」というのをやっていました。
現在でも放送している『徹子の部屋』のプロデューサーの方へのインタビューや、『おもいっきりテレビ』のテーマのCDバージョンが聴くことが出来て、それぞれ面白かったのですが、このコーナーの1曲めとして流れたのが、『2時のワイドショー』のテーマ。
「浪花のモーツァルト」ことキダ・タロー作曲のこの曲を、10数年ぶりに聴くことが出来、思わず「懐かしい」と声を上げてしまいました。

ところで、『2時のワイドショー』は大阪のよみうりテレビの制作で全国ネットされていましたが、この番組が放送されていた当時の、平日の午後2時台は、僕の住んでいる広島では、大阪制作のワイドショー番組が挙って放送されていました。
『2時のワイドショー』は、昭和54年4月から平成4年9月までの13年半にわたって放送されていました。スタート当初は横山ノックと上沼恵美子の司会だったそうですが、これは全く記憶にありません。2年目から、神戸のラジオ関西で人気DJとして活躍した奥田博之がメイン司会者となり、個人的にはこの番組と言えば、奥田さんのイメージが一番記憶に残っています。「夫婦110番」や「神田川料理道場」、浜村淳の映画評論や「心霊写真」などの名物コーナーが各曜日ごとにラインナップされていました。この番組は、東京でも放送されていたので、御記憶の方も多いのではないでしょうか。

同じ午後2時台に放送されていた大阪発のワイドショーと言えば、他には先ず、朝日放送制作の『ワイドショー・プラスα』がありました。スタートは『2時のワイドショー』よりもはるかに早い昭和47年1月で、昭和57年12月までの約10年にわたって放送されていました。広島では、放送初期はTBS系列のRCCテレビで放送されていましたが、昭和50年4月からはテレビ朝日(当時はNET)系列の広島ホームテレビで放送されるようになりました。司会は朝日放送アナウンサーの乾浩明。関西弁を自由自在に操る司会ぶりが人気を博しました。乾アナは『世界一周双六ゲーム』というクイズ番組の司会も務め、全国的にはむしろこちらの方がお馴染みだったのではないでしょうか。レギュラー・コメンテーターとして、大阪の人気落語家だった桂春蝶などが出演していたように記憶しています。

TBS系列の毎日放送制作で放送されていたのが『スタジオ2時』。広島ではRCCテレビで放送されていました。司会は当時、関西の人気タレントとして活躍し、競馬中継の司会などでもお馴染みだった森乃福郎。いかにも芸人らしい軽妙な司会ぶりだったことを微かに記憶しています。この森乃福郎という人は、名前を見ただけではピンと来ないでしょうが、実は最初の芸名を「笑福亭福郎」といって、れっきとした上方の落語家でした。民間放送草創期からDJやタレントとして売れっ子となり、ドラマでも役者として活躍しました。年号が昭和から平成に改元する頃、糖尿病の影響でマスコミの第一線から早々と身を引き、平成10年12月27日に、63歳の若さで亡くなりました。この番組でも『2時のワイドショー』と同じく、「心霊写真」のコーナーがありました。

と言う訳で、僕が子供の頃、特に夏休みに観ていた大阪発のワイドショーについて書いて行きました。皆さんは、この中で記憶に残っている番組はあるでしょうか。
この2日の夜、TBSテレビの放送開始50周年を記念した特別番組が放送されました。
長時間の放送だったこともあって全部は観られませんでしたが、8時台には『8時だヨ!全員集合』の特集があり、懐かしい気分に浸ることが出来ました。

僕が子供の頃は、土曜日の夜は母方の祖父母の家で共に夕食を食べるのが習慣となっていました。小学校1年の時に祖父が亡くなってからも、祖母と両親、それに弟の5人で夕食を食べる習慣は続きました。
テレビのチャンネルは、いつもTBS系列のRCCテレビに合わせてあり、7時半からの『クイズダービー』に引き続いて、8時からの『全員集合』を観るのが土曜の夜の楽しみでした。だから、僕にとっての『8時だヨ!全員集合』の思い出は、そのまま当時の一家団欒の記憶とも重なります。

『8時だヨ!全員集合』がスタートしたのは昭和44年10月。同じ年、TBSでは現在まで続いている『水戸黄門』もスタートしており、また、映画では山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズもこの年に始まりました。スタート当時のTBSでは、前の時間では大橋巨泉司会の『お笑い頭の体操』、9時からは『キイハンター』が放送されており、視聴率が50%を超えた頃には、『全員集合』などの後に、10時台には初期の「必殺」シリーズが放送されていました。

僕らが『8時だヨ!全員集合』を観ていた時代は、視聴率50%を超えた人気絶頂期は過ぎていましたが、番組の人気は衰えることなく安定期を迎えていました。8時丁度になると、いかりや長介のアップが映り、「8時だよ!」の掛け声に答える形で、客席にいる他のドリフターズのメンバーが「全員集合!」と声を上げてステージに上がり、それからオープニング。CMを挟んで前半のコント、ゲストの歌、それから「少年少女合唱団」から後半のコント、そしてエンディングに突入し、出演者が「いい湯だな」の替え歌を歌いながら、加藤茶の「お風呂入れよ」「歯を磨けよ」「また来週」の呼びかけと共に終わるという内容でした。
前半のコントは殆どローテーション化されていて、「母ちゃん」「国語・算数・理科・社会」「会社」「金田一」「コンバット」「武者修行」などがありました。志村けんの「カラスの勝手でしょ!」もテレビに向かって一緒に歌ったし、「少年少女合唱団」での「早口言葉」と共に学校でも流行りました。

番組史上最大のハプニングとして知られる「停電事件」の回もよく覚えています。当時、父方の祖父が亡くなり、土曜日が告別式。祖父の家のある広島県三原市から尾道に帰り、駅の近くの食堂で夕食を食べることにしました。ちょうどテレビはRCCにチャンネルが合わせてあり、8時になった途端に真っ暗になった会場の様子が映し出されたという訳です。先日の番組でも紹介され、10分ほどで停電が収まったことが分かりましたが、当時はもっと長い時間停電していたように感じました。

『8時だヨ!全員集合』が終了したのは昭和60年9月。放送中はPTAから「ワースト番組」のレッテルを貼られていましたが、これほど子供たちを楽しませてくれたテレビ番組も無かったのではないかと思っています。番組終了後も3ヶ月間にわたって「名場面集」が放送され、昨年3月にいかりやさんが亡くなった時にも過去のコントが再び放送されました。最近ではDVDも発売されており、改めてこの番組の人気の高さを実感しています。
タイトルの頭に「大」の字がつく刑事ドラマと言えば、石原裕次郎、渡哲也主演の『大都会』シリーズ(昭和51年〜54年)が思い浮かぶのですが、これ以外にも沢山ありました。今日は、それらの刑事ドラマについて書いてみたいと思います。

先ずは『大空港』(昭和53年〜55年)。当時開港したばかりの新東京国際空港に設置された「空港特捜部」が舞台の刑事ドラマでした。レギュラー陣は豪華で、チーフの鶴田浩二の他に、緒形拳、中村雅俊、田中邦衛、黒沢年雄(当時は黒沢年男)、それに女性陣では片平なぎさ、石川さゆりなどが出演していたそうです。鶴田浩二や田中邦衛などは微かに記憶があるのですが、後の人たちは全く記憶にありません。全体的にハードな内容だったらしく、緒形拳をはじめとして殉職者も多く出たということから、このように大物俳優が入れ代わり登場していたのでしょう。鶴田浩二が主演だったので、東映の制作だとずっと思い込んでいたのですが、実際には松竹制作だったことをずっと後になって知りました。小さい頃にやっていたという程度の記憶しかないので、もう一度観てみたいです。

『大都会』と同じく、日本テレビで火曜夜9時に放送されていたのが『大追跡』(昭和53年)と『大激闘』(昭和55年)の2作品。『大都会』が石原プロ制作だったのに対して、『大追跡』は東宝、『大激闘』は東映の制作でした。『大追跡』は横浜を舞台に、加山雄三率いる「遊撃捜査班」の活躍を描いた刑事ドラマで、「遊撃捜査班」は加山の他に藤竜也、沖雅也、柴田恭兵、長谷直美というメンバーでした。リアルタイムでは観なかったのですが、去年、CSのファミリー劇場で観ることが出来ました。レギュラー陣も錚々たる顔触れですが、最終回では、ストーリーとは全く関係なくいきなり松田優作が登場したことでも知られる作品です。『大激闘』は、その松田優作主演の『探偵物語』(昭和54年〜55年)の後番組で、僕は大学時代に再放送されていたのを観たことがあります。日本の暴力団が結集して組織された「ジャパン・マフィア」を壊滅するために結成された「マッドポリス」の活躍を描いたもので、渡瀬恒彦、梅宮辰夫などが出演していました。放映当時、視聴率的には振るわなかったらしく、いつの間にか「ジャパン・マフィア」は壊滅し、ドラマのタイトルも『特命刑事』に変わっていました。

ここまで紹介した作品は漢字3文字の作品ですが、もう1つ紹介したいのは漢字4文字の『大捜査線』(昭和55年)。この作品で一番注目すべき点は、あの「杉サマ」こと杉良太郎主演だったこと。時代劇のイメージが強い杉良太郎が刑事ドラマに主演するということで、当時もかなり話題になったようです。しかし、この作品で最も強烈なインパクトがあったのは、ドラマそのものよりも杉良が歌っていた主題歌「君は人のために死ねるか」でしょう。この曲は、今『刑事魂』(デカコン)というCDで聴くことが出来るので、知らない方で興味のある方は是非一度聴いてみて下さい。

と言う訳で、タイトルの頭に「大」のつく刑事ドラマを紹介してみました。これらの作品はいずれも1970年代後半から80年にかけて放送されたもので、ちょうどこの頃が刑事ドラマの全盛期だったことに改めて気付きます。どの作品ももう一度見直してみたい作品ばかりです。

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