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最近、会社の人や友達に聞くと「ベルリンの壁」は東西ドイツの国境線に作られていた物だと思っている人がすごく多い事に気がつきましてビックリしています。 「そんな事は常識だよ、今頃何言ってんの?」と言う方がほとんどだと思いますが ちょっと「ベルリンの壁」について簡単に説明してみたいと思います。 Google Earth ◆ベルリンの壁とは? 「ベルリンの壁」とはドイツを東西に分けた国境線の壁ではなく 正しくは旧東ドイツにある西ベルリンの周囲を囲んでいた壁です。 Google Earth ◆「ベルリンの壁」が出来る発端 第二次世界大戦において アメリカ・イギリス・フランス・ソ連を中心とした連合国とドイツ・イタリア・日本の同盟国との 戦争で勝利した連合国側が共同でドイツを占領する事が決まりました。 当時ドイツの首都であったベルリンも4ヶ国で分割占領されました。 アメリカ・イギリス・フランスの資本主義国が西ドイツ及び西ベルリンを ソ連が東ベルリンを含む東ドイツをそれぞれ占領したわけです。 その後、1949年に西ドイツがドイツ連邦共和国、東ドイツがドイツ民主共和国として それぞれ独立しました。 その際に東ドイツのほぼ中央にあったベルリンは西と東に分割さたれまま 西ベルリンは周囲を東ドイツに囲まれた形になってしまいます。 1961年8月13日午前零時 突然、東ドイツは西ベルリンを囲むように有刺鉄線を張り巡らせすべての交通を遮断し 人々の往来が出来ないように封鎖してしまいました。 当時社会主義であった東ベルリンでは「人民は貧富の差なく、みな平等」としていましたが 実際は生産ノルマの引き上げなどで労働者には厳しい環境であった事から西ベルリンに移住する人や 東ベルリンに住みながら高収入の得られる西ベルリンに通勤する人など 東側の労働力が西側に流出するという東ドイツやソ連にとって許しがたい状況を阻止するために 行われたようです。 その後、数年かけてコンクリートによる壁を造り、これが「ベルリンの壁」となりました。 ◆「ベルリンの壁」崩壊 東ドイツに住む人たちは「ベルリンの壁」越しに見える 資本主義の自由社会である西ベルリンの売っている物の豊富な豪華な百貨店や ベンツやBMWに代表される高級車を見て一種の憧れを持つ人たちも多かったようです。 社会主義である東ドイツは人々が貧富の差がない平等な社会という理想の元で生活をしていましたが、 東ベルリンの人たちは貧富の差が無いのではなく全員が貧乏だという事に気づき始めました。 ソ連のペレストロイカに端を発し、東ドイツでも民主化運動が活発になり始め 1989年の夏頃には近隣の国を経由して西ドイツへ亡命する人たちが急激に増え それを最初は黙認していたため止める事が出来なくなった東ドイツ政府はついに 1989年11月9日に西ベルリン及び西ドイツに自由に行く事を許可する決断をしました。 これが「ベルリンの壁、崩壊」です。 テレビなどのニュース映像で、人々が無意味なものとなった壁を壊し自由になった事を喜んでいる あの有名なシーンの背景の出来事です。 ●世界を旅する夢のブログ●
Google Earth(グーグルアース)の衛星写真を使って世界遺産や日本国内、世界各地のおもしろ画像を紹介しています。 地理や地形、地図が好きな方に楽しんでいただくのはもちろん海外旅行のネタや雑学の参考になる情報も発信できればいいなと思っています。 知っているようで実は良くわからないニュースの現場や映画のロケ地の衛星画像など世界の都市や大自然の様子が自宅にいながら楽しめるブログを目指しています。 By マゴマ |
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2006年11月24日
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