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まりもは本屋さんで無料でもらえる出版社が出している小冊子が好きです。
今日はその中からの記事の一部をそのままの文章で
ここに書きます。
理性の探求16
「生命科学とサイバネティクス」 西谷 修
『UP』(University Press) 5 Number427,May 2008 59ページ〜61ページ
世界中で、といってもいわいる先進国の間で、
新しい世紀の敷居をまたぐ頃、
21世紀は生命科学の時代だとさかんに言われていた。
19世紀科学の主要舞台が化学の領域で、
20世紀が核物理学の代表されたとすると、
今度は生命科学の領域だというわけだ。
もちろんそうつじつまを合わせる必要もない。
DNAの二重らせん構造は20世紀半ばの53年に発見されており、
生命科学の躍進はその時から約束されていた。
ヒロシマ・ナガサキで核エネルギーがその桁違いの威力を
見せつけてから10年もたっていない。
そして核技術への民生への転用が始まるのは54年である。
同じ頃、生化学者たちが生命物質を自在に加工できる日が
遠くないことを誇らしげに告げていた。
つまり核技術の開発と遺伝子工学の誕生はほとんど同時代的だということだ。
この二つの科学技術上の革新は、
ともに戦勝国アメリカからもたらされたということもあって、
一時ナチスに希望を託していた大地の思想家ハイデカーをいたく震撼させ、
人間を存在喪失のきわみに導いていく技術の
「不気味」について思いを凝らせることになった。
核と遺伝子
核技術と遺伝子工学がほとんど同時代てきだというのは偶然ではないだろう。
核エネルギーを発生させる技術は、
人間が経験世界で知っている化学反応とは違う次元に分け入る。
それは人間を取り巻く<自然>基本的組成の単位そのものを破壊する技術である。
だからそのときから、自然はもはやわれわれの環境をなす<自然>ではなくなり、
まったくニュートラルな技術の材料となる。
もちろん核技術に適した物質はごく限られているが、
それでも原理的に、人間にとっての<自然>なるものの底板は
踏み破られたのである。
化石エネルギーによって産業社会が形成され以来、
「自然は巨大なガソリンスタンドになり、、、」というのはハイデカーの表現だが、
核エネルギーの開発によって、
宇宙は巨大な原子炉になったかのようである。
ただ、<自然>の底板が踏み破られたということは、
その<自然>の一部である人間にも当然影響を及ぼさざるをえない。
核分裂で発生する放射能は、
人間にこれまでほとんど未経験だった崩壊を引き起こす。
そのことをわれわれはヒロシマとナガサキで漠然と知ったが、
未曾有の惨事と混乱の中でことの実相はまだ明解にわからなかった。
チェルノブイリの原発事故や東海村臨海事故は
戦争中ではなく平時の日常に起こった。
その時われわれは、映像に残されたチェルノブイリの消防士や、
東海事故の犠牲者の様子などから、
人は放射能によって、死ぬ、というより
むしろ内部から、壊される、、のだということを知った。
死ぬというのは、事故であれ病気であれ、
生存のプロセスの果てに訪れる命の終わりである。
だが放射能は、生命体を作っている細胞、
それを作っている分子を物理的に破壊し、組織を崩壊させていく。
つまり、放射能によって人間は、
内奥から「壊れる」という終わりを経験するようになったのだ。
<自然>の体力を前提しにして治療を目指す医学が、
これに対して全く無力だというのも当然のことである。
この事態への対処は「治療」という医学の努めの範疇には入らない。
その一方で医学は、遺伝子技術という「療法」を手に入れた。
けえども、これが従来の医療の延長上にあるように見えるのは
見かけだけのことであろう。
近代医学における病因論は、基本的には身体にとっては外的な要因を想定していた。
つまり身体の統合に対する異物である。
だから現代の医学は免疫学を重要な柱にしている。
ところが遺伝子の観点は、身体の統合性といた枠組みをあっさり踏み越えて、
病因を別な次元へ、つまり究極的原因としての遺伝子に帰していく。
そして遺伝子を操作することで発病の危険をあらかじめ封じようとする。
逆に、望ましくない性質は治療すべき欠陥つまり「病気」だと
見なされるようになる。
たとえば、害虫に弱い農作物の遺伝子を操作して、
害虫の付かない作物を作る。
それと同じように、あらゆる症状に関係する遺伝子の系列を特定し、
そこに細工することで発病しないようにする。
さらには、生き物にとっては<自然>のプロセスであった老化のような現象も
治療しうる「病気」だとされ、
その病因となる遺伝子を突きとめれば「治療」できるものだと考える。
そうなると「病気」や「治療」はいつも間にかその性質を変え、
ある機能の恒常性を基準とした「不調」の「調整」や「整備」と同様のものになる。
まさに「エンジニアリング」だが、
これが人間にとっては「福音」とみなされる。
けれどもそうなると、人間はもはやそれまでの人間ではなくなってしまうだろう。
それを一部では「ポスト・ヒューマン」というらしい。
進化論を受け入れるとすれば、
人間が変わっていくのも当然だということだ。
そのことについて不安を抱いて神経症になるとしたら、
現代の生命科学はその遺伝子をつきとめて「治療」の方途を与えてくれるかもしれない。
あるいはそのような人間は、科学技術をプロテーズ(人工器官)として
進化してく「ポスト・ヒューマン」の時代に、
淘汰を約束された不適合種でしかないのかもしれない。
西谷 修
東京外国語大学大学院地域文化研究科教授 思想文化論
時々まりもは、自分のある性格を考えて
これは遺伝的なものかもしれないと、思うことが前からありました。
気質的なものは一緒に暮らして環境が同じ家族によく似るだろうな、
とは思っていました。
皆さんはどうですか?
心配性とか、、イラチとか、、、のんびり屋とか、
そういうのは母似とか父似とか
思ったことはありませんか?
それは育ちや環境でなく、
遺伝子のせいなのでしょうか?
最近はヒトゲノムも解析が終了し、脳の研究も進んでいます。
あなたのその何でも悩んでしまう暗い性格は、
あの遺伝子の、あそこの配列の、右から3番めが原因、
なんてもしわかれば、
その暗い性格は、よくないと思われ、
病院へ行き、遺伝子操作をほどこし、何も悩まない明るい性格になれるかもしれないのです。
老化も、、病気、、、、、。
人が死なない。
そうなると、人はもっともっとなまけものになるでしょうか?
死にたい人がもっといっぱいできて、
テレビやなんかでもっと楽しい死に方のCMができるでしょうか?
体が傷つかづ内奥から見知らぬうちになくなってしまう、、そんなの?
死ななければ人は生殖機能を持たない生き物に進化するでしょうか?
そもそもそれって生き物なのでしょうか?
そうなるまえにこの地球がもたないかしら?
来週、26,27日は京都でG8があります。
最近は警官が町にたくさんいます。
交通規制もあります。
京都の人は、けっこうこういうの慣れているんですよね。
よくえらい人が来ますから。
京都へ来る方、観光はこの二日間控えたほうがいいとお思われますよ。
まりも
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原油が高くなっても
生産国の人達は、何のメリットもない
マネーゲーム
多分、マネーゲームの崩壊が数年後に起こると思います。
基盤の貨幣のドルの終わりとかと
2008/6/23(月) 午前 1:41 [ 秀 ]
そうなんですか!
マネーゲームも、ドルの崩壊も、まりものスローな生活にはどんな影響があるんやろ?
この生命化学も、教育も、福祉も、すべてすべて今の日本のいろんな話題はお金持ちの人用です。
どれほど医学が進歩し、福祉が整い、教育が充実してもそれはすべてお金持ちの人用です。いろんな情報もこれからは裕福な人しか得られなくなります。
みなさん、自然に帰りましょう。生産の暮らしに入りましょう。
2008/6/28(土) 午後 4:02