最強オヤジ伝説

多忙、放置ごめんなさい、、(/ω\)

第一章(S.30年代)

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親友

非常に短気だった父は、それからも何度か青タンを作って帰ってきた・・・。

それでも生活の為にクビぎりぎりのところで、何とか踏ん張る父だった。

そんな父にも唯一得意とするところがあった。

それは機械いじりだった。

仕事中や休みの合間を見つけては、道端に捨ててある、

壊れたテレビやラジオなどを拾って来ては

家に持ち帰り、素人さながら見事再生し、知り合いや道具屋などに金にはならない金で

譲っては、将来の会社を興す軍資金の一部として貯めていた。

ぶっきらぼうで、ケンカぱやかった父だったが、手先だけは器用だった。


そんな父にも会社の同僚で仲の良い友人が出来た。

それは後の将来、父と共に会社を興すことになる『中瀬一郎』だった。

中瀬一郎は、父とは正反対の性格だった。 温厚で体格も良く、当時テレビで欽ちゃんと

大活躍していた坂上二郎そっくりの風貌で、無鉄砲で短気な父を何かと諌め、

助けてくれる、父にとっては最高の良き理解者であり、親友と言える存在だった。

ケンカ

妊娠がわかった父は、これから生まれてくるであろう子供のために

できるだけ危険な仕事は避け、安全で収入のいい仕事を探し始めた。

様々な仕事を経験しながらも何とか、あるタクシー会社に落ち着くことができた。

元々、車が好きで運転技術も人並み以上だったので、勤めてもすぐ辞める父の性分を

心配した母は、ひとまず安堵した。

お腹の子も順調に大きくなり、平穏な日々が続いていたある日、

仕事から帰ってきた父の服に少し血が付いていたのに気づき、母は父に聞いた・・・

母「どうしたの?」

父「・・・いや・・・ ようわからん・・・」

答えにもならない返答をするのが父のくせだった。

母は、気になりながらも普段と変わらない父の態度に

それ以上聞かなかった・・・。


それから数日後、父は今度は顔に青タンを作って帰ってきた。

さすがにこれには父も言い訳はできなかった。。。

なんでも、タクシーでお客さんを乗せて走行中、いきなり無謀な車線変更してきたトラックがあり

危ういところで追突回避した際、乗せていたお客さんが恐怖でひきつった・・・。

それを見た父の怒りがピークに達し、トラックの運ちゃんと殴り合いになったらしい。


父は元来、超〜短気だった。。。



今までも職場の人間としょちゅうケンカしては、よく仕事を辞めていただけに

先行きの不安を覚える母だった。。。

妊娠

念願叶い、晴れて夫婦となった二人は大阪此花区の堤防沿いの

とある小さな安アパートの一室を借り、待望の新婚生活が始まった。

父の将来の夢は何か商売を始め、会社を興し成功することだった。

学歴もなんのコネもない状態で、裸一貫で鳥取から出てきた父は闘志と野望だけは

燃え盛っていた。

とはいうものの、軍資金を貯めようと思えば自然ときつく辛い仕事を

するしかなかった。

父はある仕事を選択した。

それは、○○ガスの大きな球状のガスタンクの内部の点検、清掃の仕事だった。

その仕事は危険極まりない作業だった。

タンクに満載されていたガスを抜いたあとに中に入って作業する訳だが

完全には抜け切らず、底辺にガスが溜まっている場合があり、作業は高所で行わなければ

ならず、命綱を付けてあの大きな球状の内側を清掃、点検しなければならなかった。


父は元来高いところは苦手だった・・・。 


毎日死の危険と戦いながらも父は懸命に働いた。


そんなある日、仕事が終わり疲れきった体を引きずって帰路についた父に

母は笑顔でこう言った。


「私、妊娠したみたい!」


父は超〜シャイな割には、することは早かった。。。

許してやれや(完)

イメージ 1

『ばあば』は、自分の娘のように可愛がっていた母のことをとても気にかけ
おばあちゃんに再三結婚の許しを請う父の姿をじっと見ていたのだ。


『許してやれや・・・。』

『ばあば』は、おもむろにおばあちゃんに言った。

おばあちゃんは、とっさの『ばあば』の一言に色を失った。

『ばあば』は、続けて言った。
「若いのにあれだけ熱心にお願いに来よる。それも大阪から・・・ よほど好きなんじゃ・・・
 許してやれや・・・。」

『ばあば』は今まで色恋沙汰など無縁の人だった。それどころか、女博打打として並居る海千山千の男達を薙ぎ倒し、日頃から男の見る目は厳しかった。

そんな『ばあば』の意外な一言を、おばあちゃんは無視する訳にはいかなかった。

そして晴れて結婚の許しが出た父は、新しい門出に決意も新たに出発するのだった。


後年、父が亡くなってから私が『ばあば』に会った時、
すでに70数歳になるであろう『ばあば』は私にこう言った。

「マーブ、」(私の愛称)
「すまんかったのう・・・。ワシが結婚をすすめたばっかりに、お父さん早くに死んでもうて・・・
 淋しかろぅ・・・。」


私は言った。

「何をいうてるんや、ばあば! ばあばがすすめてくれたから俺が産まれたんやで!!
 だから俺は、ばあばには感謝してるんや。ありがとう!!」

『ばあば』の目に涙が光った。

それが私と『ばあば』との最後の言葉となった。

『ばあば』は天寿を全うし、この世を去った。

私は愛媛の『ばあば』のお墓参りに行き、在りし日を懐かしみながら、哀悼の誠を捧げた。

許してやれや

山あり谷ありのデートを繰り返したのち
いつしか付き合い始め、結婚前提で同棲をするようになった。


父はなるべく早いうちに母の実家に行き挨拶がしたかった。
思い立ったら即行動派の父は、早速母と一緒に愛媛県の母の実家に赴いた。


母は、これまた子だくさんの6人姉妹で4女であった。
上の二人はすでに嫁いでいた。


母の父(おじいちゃん)は戦争帰還者で貫通銃創があり体格も立派でしたが
人柄は温厚でやさしく、今回の結婚にはさほど反対はしなかった。


しかし、厳格なおばあちゃんは母の年齢の若さを理由に猛烈に反対した!


父は反対するおばあちゃんに何とか認めてもらおうと
再三に渡って愛媛に行った。


それでもおばあちゃんはガンとして聞かなかった。


その時、その様子を一部始終ひそかに見ていた一人の人物がいた。


それは細い道一本挟んだ隣に住む、通称『ばあば』だった。


その頃の『ばあば』は、女勝負師、女博打師として名を轟かせ、生涯独身を貫き、女どてらいやつとしてこの辺では知らぬものがいないほど有名人だった。


その『ばあば』と、うちのおばあちゃんは大の親友で、『ばあば』は独身ということもあって、
何かと母や他の娘達の面倒をよく見てくれる存在だった。


ある時、その様子を見ていた『ばあば』がおばあちゃんに一言言った・・・

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