最強オヤジ伝説

多忙、放置ごめんなさい、、(/ω\)

第三章(S.50年代)

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忘れえぬ人々(完)

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父からの電話の内容はこうだった・・・





近々支店を出すので人手がいる、支店は私に任すから早急に戻ってこいというものだった・・・!





どうやら父は知人の不動産屋に勧められて、隣町のスーパーの一角にある

貸し店舗で2店舗目をやるつもりだった・・・




そのスーパーは、まぁまぁ流行っており、人の流れも活発で

近隣の人口密度も高く、競合店からも離れている・・・




本店の売上が下がっている現状を打開すべく、父は決断をしたのだ!




しかし早急にやめろと言われても、やっと4トンに乗れたのだし

今自分が抜けたら会社が困るのは目に見えていた・・・






私は悩んだ・・・





悩んだが、父が決断した以上は、もうそれを受け入れるしかない・・・!




私は父に、1ヶ月待つように言い、会社に辞職願を持っていった・・・





会社に行くと、中央の机に鬼の取締役部長が座っていた・・・



事務員さんに挨拶をしながら、部長の前まで行くと、私はおもむろに言った・・・




『部長!大変言いにくい事なんですが、会社を辞めさせて頂けますか・・』




鬼の取締役部長の顔が、ハトに豆鉄砲食らったような感じで口をポカーンと開けた!




部長は気を取り戻すと『どういうことや・・なんや急に・・・』と肩を落としながら聞いた・・



私は、家業のことを説明した・・・



それでも部長は、思いとどまるように説得したが、私の決意が固いことを悟ると

笑顔で、『残念やが、仕方ないな・・あと1ヶ月頼むで!』と承諾してくれるのだった・・・




周りにいた事務員さん達も、皆あっけにとられていた・・・




私は涙が出そうになるのを必死でこらえて事務所を出た・・・



『あぁ、あと1ヶ月でこの会社ともお別れか・・・』



私はお世話になった会社に恩返しする思いで、必死になって1ヶ月働いた・・・











そしてとうとう最後の日がやってきた・・・




トラックを所定の場所に止め、事務所に入ると内勤の人達が、退社の時間が過ぎているにも

関わらず、仕事の終わった私を待っていてくれた・・・




そして、数人いた事務員さんから花束を貰った・・・



その中の、五十過ぎのおばちゃん事務員さんから


『あんた!二十歳になったらタバコやめるって言った約束覚えてるからね!』と


涙ながらに言うので、私ももらい泣きしながら



『その約束、堪忍してください。。。』と言うと皆一斉に泣きながら笑った・・・



配車係の主任も、倉庫担当の人も、普段滅多に会わない調色係の人も皆待っていてくれた・・・



本当に嬉しかった・・・



一人一人に挨拶をすると、やがて取締役部長の前に出た・・・



部長は私の頭を撫でながら『もういっぺん、考えなおさへんか?』と冗談を言うと


『いつでも帰ってきていいからな!』と言ってくれた・・・


その目には涙が滲んでいた・・・



それを見た職員が、それこそ鬼の目にも涙やな!と爆笑を誘った・・・



最後に社長に挨拶すると、社長は


『しっかり頑張るんやで!惜しい人材が去るけど、何かあったらいつでも相談にきなさい』と


励ましてくれた・・・



皆、いい人ばかりだった・・・



仕事には厳しい人が多かったけど、その分最高の人生の財となる経験をさせてもらった・・・







厳しい仕事だった・・・



理不尽なこともたくさんあった・・・



でも自分は全部やり切った・・・!



環境に左右されることなく、最後は環境を自分が左右するぐらいになった・・・!





私の心は晴れ晴れとしていた・・・












あれから随分歳月が経ったが、今でも交友がある人が何人かいる・・・




会社もさらに大きくなり、敷地も倍以上になっていた・・・!



先代の社長は、もうすでに亡くなっており、息子さんが代を継いでやっているそうだ・・・





人は誰でも忘れえぬ人々がいると思う・・・



その人のことを思い出すだけで、自分を振り返れる時がある・・・



その心を忘れずにいたいと思う・・・・












父との約束どおり、会社を辞めた私は

新たな試練へと立ち向かって行くのだった・・・・・・つづく





               〜    忘れえぬ人々(完)    〜

忘れえぬ人々5

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ようやく派遣先から本社勤務に代わった朝、会社に行くと

ピッカピカの新車、日産UD 4トン車が目に入った・・・!



会社に新車が納入されるのは見慣れているので

『ええな〜、誰乗るのかなぁ〜』と思っていると、鬼の取締役部長が私を呼んだ!



いつもの強面の顔が今日は穏やかに

『今日からあれがお前のトラックや!』と指をさすではないか!



『えっ!?』と振り向くと、まさしく新車の4トン車のことだった・・・!



私は天にも昇るような気分だった!



『やったぁ!めっちゃ嬉しい〜!』



早速、三重県四日市行きを命ぜられた私は、最高の気分で出発をするのだった・・・!



実は私は4トン車の運転は初めてではなかった・・・!



4トン仲間からたまに運転をさせてもらってたこともあり、慣れていたのだ!




それからの私は、全国各地を走り回った・・・!



当然のことながら、遠方に行く場合はその日に帰ってこれない・・・



特にトラックの場合は、空で走ると効率が悪いので、積んで降ろして

また違う場所で積んで、降ろしに行って、などあちこちに行くので

いつ帰れるかわからない日などがあるのだ!



だから運転席の後ろには仮眠できるスペースがあり、いつも私はそこに洗面道具一式と

目覚まし時計、布団などを積み込み、時間のある日は現地で銭湯にいったり

適当な場所を見つけて仮眠などをしていたのだ・・・!



運転には慣れていたが、さすがに雪道は怖かった・・・



雪道に慣れている運転手などは、夜中の一面真っ白な北陸自動車道を

こともなげに、ガンガン!走っていくが、とても真似して走れない・・・




荷物を積んでいるときはまだいいが、積んでいない時などは、乗用車が作った

輪だちに、いとも簡単にハマってしまい、荷台がガンガン!ハネまくるのだ!




また、サービスエリアで仮眠を取って出発しようとすると、寝てる間に

タイヤが雪で埋まってしまい、脱出するのに一苦労したこともあった・・・!




そんなハプニング続きの雪道でも、思い出に残る、忘れえぬ人々はいた・・・




私がいつも通る富山県北陸道の、とあるインターチェンジの付近で

小さいながらも食堂をやってるおばさんがいた・・・




田舎道で夜、空いてる店らしい店はそこしかなく、駐車場も雪に埋まり

4トン車には止めにくい場所ではあったが、真っ暗な寒空の中、ポツンと灯りのついた

ちいさな食堂は、冷えた私の身体を暖めてくれる憩いの場所でもあった・・・




若干18歳で金も無い、貧乏そうな青年に見えたのであろう、そのおばちゃんは

私が好んで食べる、とん汁定食のご飯と、とん汁をいつも

『おまけや!』と言って大盛にしてくれた・・・



そして仕事の事、大阪での生活のことをよく聞いてくれて

若い私にアドバイスなどもしてくれた・・・




店と客と言ってしまえばそれまでだが、疲れてたどり着き、そこで身も心も

癒してもらえて帰路に向かえるというのは、一人で夜中に雪道を走る私にとっては

かけがえのない、場所だった・・















そして4トン車に乗り始めて2〜3ヶ月が過ぎたころ、突然、父から連絡があった・・・!



『帰って来て、店の商売手伝え!』



『はっ!?』









今まで父は、そんなことは言ったことがなかっただけに

『私は何事???』と困惑するのだった・・・

忘れえぬ人々4

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私の希望は4トントラックで全国各地へ走ることだったが

それは順番待ちで、まだ若かった私には2トンの集配ばかりだった・・・




会社は本来、塗料を運ぶことが主な仕事だったが

もうひとつ子会社があって、そこの仕事は様々な法人や行政とも提携していて

若くて真面目で時間に正確な私は(笑)ときおり子会社に派遣されて、いろんな物資を運んだ・・・!




ある時などは、大阪、茨木市内の全小学校の給食の材料などを運んだ・・・!



その仕事は何が何でも午前中に届けねばならなく、茨木も広くて山の中の分校にも

持って行くのだが、行くといつも児童が『あっ!給食のおっちゃんや!』といつも

おっちゃん呼ばわりされていたが、喜ぶ子供の顔を見るのが楽しくて

今でも思いで深いものだ・・・





それからもいろいろやった・・・



別の大手塗料メーカー先への派遣運転手


引越し会社


塗料店の専属運転手


倉庫担当



段々私は派遣専門のような立場になり、会社に行く事が少なくなってくるのだった・・・



私はいつになったら本社の4トン運転手になれるのか不安だったが

与えられた仕事は必死になってこなしていった・・・!




ちょうどその頃久しぶりの本社仕事が入り、塗料を積んで淡路島へ行く事になった・・・!


淡路島へは午前中に到着しなければならなく、私は午前4時頃、早めに会社に行った・・・



まだ冬の、薄暗い寒い朝だった・・・



トラックに乗り、エンジンをかけようとすると、何やら人影が近づいてきた・・・


よく見ると社長だった・・・


『あれ!?何でこんなに朝早くいるんだろう・・・』と思っていると


社長は『よう頑張っとるな!寒いやろう、ほらっ!』と缶コーヒーをくれた・・・






この会社は規模が大きく、普段社長は滅多と会社には来ない・・・


来ても運転手は外に出っぱなしなので会うことは稀だ・・・



なのに、私が派遣先から帰ってくると、決まって社長が駆け寄ってきて

いつもコーヒーをおごってくれるのだ・・・



特別な感情はないにせよ、若い私には嬉しかった・・・



特に会社内には鬼と異名される、こりゃ若い頃には絶対極道しとったなぁと言われる

猛者幹部に囲まれていた私にとっては、やさしいオヤジみたいな存在に写ったのだ・・・




それからもその社長にはいろいろと世話になった



運転手もいろんな人間がいて、会社内でも様々なトラブルがあり、私もそのトラブルに

巻き込まれたこともあったが、全部社長が守ってくれた・・・






この社長は、一代でこの会社を築いており、金の無い若い頃は、奥さんと二人で

手押し車で荷物を運んだこともあると聞いた・・・





社員の社長に対する忠誠心も厚く、今考えても素晴らしい経営者であり

人物だったと、私の心に強く残っている・・・













そんな私も約1年間、無事故で遅刻欠席ゼロをやり通して

ようやく4トン車に乗れる日が来たのだ!!

忘れえぬ人々3

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市街地での早めのブレーキングにも慣れ、いつもの料金所から

高速道路に進入した私は、道が空いていたため過積載を忘れ、調子よくスピードを出していた・・・



トラックにたくさん積めば、降ろすのにも時間がかかる・・・

到着時間の遅滞は、運転手の信頼はもとより会社にも迷惑がかかる・・・




私は自然と、アクセルを踏む足に力がこもっていった・・・




私が利用していた阪神高速道路は、今では当たり前であるが

その当時は渋滞表示などはなかった・・・



大阪市内を一周する環状線までの道なりは、結構カーブなどがあり前方が見えにくい・・・



それだけにカーブの先の状態を見越しての運転になるわけだが

この時だけはいつもと違った・・・



2トン車に3トン半以上積んでいるのだ!


トラックの車軸や足回りにもかなり負担がかかっている・・・



カーブを曲がるたびに、トラックの荷台から


ギッー!ギッー!ギッーーー!


という悲鳴にも聞こえる音が不気味にも響くのだった・・・!







あと少しで環状線だな・・・



私は最終コーナーに差し掛かった・・・



追い越し車線からコーナーに進入すると




なな、なんと!前方が渋滞しているではないか!!




スピードメーターは、ゆうに80kmを越えていた・・・!



私はとっさに、ブレーキを思いっきり踏んだ!!



キッーーーーーーーー!!!!



凄まじいブレーキ音が、辺りに響き、タイヤは白煙を噴き、蛇行しかけた!!



私はポンピングブレーキを駆使しながら停止を試みるが、過積載のトラックは

そう簡単には止まらない! 止まるはずがない!!



前方の車は渋滞のため、完全に止まっている!



だめだ!! 間に合わない!!



このまま突っ込めば大惨事だ!! あぶないっ!!























その時だった!!



前方の車の停止状況をみると、私が走っている右側車線よりも左側車線のほうが

車にして、約4台分ぐらい前方に止まり、空いていたのだ!



『もうそれしかない!!』



私はとっさにハンドルを左に切り、左側車線に滑りこむと

素早くポンピングブレーキをし、ギリギリのところで、ようやくトラックは止まってくれた・・・



間一髪だった!



前方の車との距離はわずか50cmほどだった・・・



私の背中一面は、冷や汗でびっしょりになっていた・・・!






配達が終わり会社に戻り、過積載でブレーキの利きが悪いことを報告すると

『お前がスピード出し過ぎなんや!』と鬼と異名される、取締役部長に一喝されたが

会社も便数を増やし、出来うる限り過積載をしないよう手配するようになっていった・・・




運転手仲間は若い私を『鬼に物を言うなんざ、恐いもの知らずだな』と笑いながら

『お前が言ってくれたお陰で楽になったよ!』と言ってくれるのだった・・・



それからの私も、以前にも増して安全運転を心がけるようになった・・・



ここでも父の教訓が、私の心には根付いていた・・・!




一度決めたら最後までやり通す









そんな私を、いつも励まし見守ってくれる人がいた・・・

それは社長だった・・・

忘れえぬ人々2

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念願叶い入社した私は、朝の朝礼で自己紹介をすることになった・・・!



ふと見ると、私と同じように自己紹介する新入社員が数十人並んだ・・・



『あれ!?こないだ面接に来た人、ほとんどやんか・・・』




なんと、全員採用されていたのだ・・・!





その訳は、後になってわかってきた・・・




この運送会社は、塗料を専門に扱う会社だ・・・!


主に塗料の入った『一斗缶』をトラックに積んで運ぶのだが

普通の一斗缶なら重さにして14kgから重くても18kgぐらいだが

塗料の一斗缶は一個、20kgはあるのだ!



この一斗缶を2トン車に、多い時で150缶から180缶積む!!

重さにして3トンから3トン半だ!



今なら過積載で、とてもではないが

その当時、何も知らない私は、平気で運んでいたのだ・・・!


それも午前の配達でその量だ!


午後からもそのぐらいの一斗缶を2トン車に積んで運んでいく・・・


見る見るうちに私の身体は、贅肉がそぎ落とされ、腕が太くなり

筋肉隆々たる体型に変わっていった・・・!





そんな過酷な重労働のため、当然のことながら同期入社した同僚は

日に日に脱落し、居なくなり、1週間たった頃には数十人いた同僚が

私一人だけになってしまったのだ・・・!







それも無理はなかった・・・




出発するときは、リフト積みできるが、降ろす場所が現場直行であれば最悪で

一人で、150缶以上を手降ろししなくてはならない・・・!


それも、マンション建設現場などは最悪で、階段をいくつも昇って降ろしに行くことなどザラなのだ!

人間の手は二つで、両方に持って40kg・・・



それが150缶あるのだ!



当時私は18歳、あの頃が一番最強だったと(笑)今では感慨深く思うものだった・・・




募集し、入社しても長くは続かない職場環境のため、新入社員などは

誰も相手にはしてくれなかったが、脱落者が出始め、孤軍奮闘している私を

少しは認めてくれたのか、周りの先輩方や内勤の偉いさん方から

声を掛けてもらえるようになり、次第に会社内に溶け込んでいくのだった・・・!







そんなある日、いつものようにトラックの荷台に一斗缶を積み、元気よく午前の集配に

飛び出した私は、交差点の信号が赤に変わるのを見て、ブレーキを踏んだ・・・



と、ところが、自分の感覚での位置でトラックが止まらない・・・・




明らかに過積載が原因だった・・・!



今日はいつもより一斗缶が多い目に積んでいる・・・








私は早めのブレーキングを心がけながら市街地を抜け、高速道路に入っていった・・・

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