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ヒマにまかせて、ちょっと興味を引いた映画はなんでも観てみる。
なんといっても、時間を一切気にせずに毎日好きに過ごせるのだ。
20数年自分の意思とは関係なく、労働から解放されるに十分な金を
貯めるためだけに働き続けて、やっと掴んだ今の人生。
思う存分楽しんでから死ななきゃウソだ。
映画と言っても、劇場に足を運ぶのではなく、CSで放送している映画
に限るので、時間の先端を行くような最新映画の話題ではなく、
いつ上映していたか映画なのかは全然知らない。
ただ、ここに書くってことは、自分自身が相当インパクトを受けた
映画だってことだ。
今日観たのは、『ハンナ・アーレント』という映画。
かなり有名な哲学者だそうだが、哲学不勉強なオレは知らなかった。
映画はその彼女がアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して感想を雑誌に掲載する
顛末を追ったものだ。
彼女はアイヒマンを「取るに足らない小役人」と表現して、シオニストたちから
ものすごいバッシングを受ける。ナチスに数多くの同胞を殺されたユダヤ人としては、
その表現がとんでもない裏切りに映ったのだ。本人自身も迫害されて米国に逃げた
当事者の一人だからこそ説得力を持つわけだが、彼女の目には、アイヒマンは
巨悪を企画したプロデューサーの一員ではなく、言われた通り実行しただけの
いわゆる雇われディレクターの一人にすぎないと映ったわけである。
正直言って、第三者の目からは、この指摘は非常に的を射ていると感じた
わけだが、当事者とその遺族に入るセンチメンタリズムからは「ふざけるな!」と
感じるだろうな、というのも十分理解できる。もっと巨悪の大物に殺されたの
でなければ被害者の魂も浮かばれないってところなのだろう。
圧巻なのは、彼女の講義のシーン
彼女を大学から追いだそうとする勢力に対し、学生からの絶大な支持を受け、
満員の彼女の講義。人間としてやるべきかどうかを考えなければならない案件
であっても上司の命令なら頭を傾げることもなく、何も疑問を持たずに実行するという
アイヒマンを「人間であることを辞めた」生き物と表現し、そしてその生き物が持つ
「悪の凡庸さ」が一番恐ろしいと表現した。
そしてホロコーストは「人類に対する罪」と表現した。
この映画、上映当時はオレのようなおっさんにすごく支持されたという記事を
ネットで見かけたが、それもよく理解できる。
今はブラック企業などと表現されて一線引かれる企業があるが、一昔前は
正直なところ、一流企業であっても「悪の凡庸」さを持つ上司が普通に存在した。
言ってみれば、どこもかしこもブラック的要素をふんだんに持っていたのだ。
今のおっさん連中は、団塊の世代あたりが中間管理職だった頃に若手だった。
今ではありえないめちゃくちゃな命令が普通に降りてきたこともあるのを
経験している最後の世代だ。ハラスメントなんていう言葉もなく、対抗手段など
なかった。日本のあちこちにアイヒマンみたいな生き物が上司として胡座を
かいていたのだ。もちろん、今も。
今は多分、各企業ともそれなりのセーフティ・ネットがあるので、ムチャな命令は
拒否権があると思うが、「悪の凡庸さ」は日本人が一番持ちあわせている可能性
が高い性質である。攻撃的に使用されることはなくても、これからも陰湿に、
わかりにくく発揮されていくことだろう。
一応、管理職を経験しているのでに、その内側の陰湿ぶりをオレは実際に
目にしている。それはそれは醜いもので、人間不信に陥るほどのものだ。
十分な給料をもらっているのに、なぜそこまで金や地位に執着するのか、
完全に「人間であることを辞めている」状態になってしまっているのに気づかない。
誰もが同じ位置にいる仲間が失敗することを心から望み、失敗の危険が高い
仕事を担当させられることを命がけで阻止して、他の誰かに押し付けようとする。
苦笑いしか出ない、世にも醜い争いになっているのだ。
いつの世も、人間の組織ってのはこんなもんだったのだろうか?
それでも、ほとんどの奴は、一抜けた!とは言わずに泥の中でずっと
もがき続ける。生きる糧を得なければならないからだ。
定年までそうやって過ごしても、せいぜい都内に大きめのマンション
一戸持てる程度の人生なのに哀れなものだ、と思っていたが、
それは今の日本社会ではかなりの勝ち組らしい。
なんとも人生とは虚しいものだと感じざるを得ない。
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Blogを拝見させて頂きました(*^^*)
幾つか記事を読ませて頂いて、自然にコメントしたい!って感じちゃいました♪
私のブログもあなたに何か興味を惹く事があればいいのですが☆
私のイチオシの事とかも書いているので、是非見に来て下さい♪
2015/4/9(木) 午後 8:09 [ ゆうママ ]